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2019年12月8日「風をよむ~中村哲さん死去~」

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アフガニスタンで活動した医師・中村哲さん「モンシロチョウが本当にいるのか。その原産は、中央アジアなんですよ。パミール高原とか今のアフガニスタン。いっぺん行ってみたいという憧れの地に行ったんですね」

今年6月、アフガニスタンに関わるようになったきっかけを、こう語っていた中村哲さん。

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30年以上にわたり、アフガニスタンで支援を続けてきたNGO「ペシャワール会」現地代表の、医師・中村哲さんが、4日、銃撃を受けて死亡しました。

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現場となったのは、アフガニスタン東部ジャララバード。

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現地当局は中村さん襲撃の事前情報があり、「危険度が増している」と中村さん本人や周辺に注意を呼び掛けていたといいます。

地元警察は中村さんを狙った計画的犯行とみて捜査を進めています。

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現在、アフガニスタン東部では、反政府武装勢力タリバンや過激派組織「イスラム国」がテロを繰り返していますが、タリバンは関与を否定しています。

今回の犯行に対して、内外から強い非難の声が上がりました。

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国連・ドゥジャリク事務総長報道官「アフガニスタンでもっとも弱い立場にいる人たちを助けることに人生の大半をささげた人間に対する無分別な暴力行為だ」

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また銃撃が起きたジャララバードでは追悼集会が開かれ、中村さんの死を悼みました。

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追悼集会に参加したアフガニスタン人「とても悲しい。中村さんにはお世話になりました。彼は私たちの心の中にずっといます。中村さんの家族にも心から哀悼の意を表したい」 

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そして6日、中村さんの遺族が首都カブールに到着。遺体と対面しました。

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長女・秋子さん「こんなにアフガンの皆さまに厚意を寄せていただいて、父も喜んでいると思います。お世話になりました」

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「100の診療所よりも1本の用水路」と、医師でありながら、自ら重機を操り、用水路の建設に取り組んだ中村さん。

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アフガニスタンで活動した医師・中村哲さん「私は医師だが、用水路なしにアフガニスタンの人たちは生きていけない。水なしで生きていけない」

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こうした復興支援活動の一方で、中村さんは軍事によらない国際貢献の大切さを、繰り返し訴えてきました。

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2001年同時多発テロ後のアフガニスタン空爆。中村さんは、こうした武力による解決を非難。日本の自衛隊派遣にも反対する立場を国会で訴えます。

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アフガニスタンで活動した医師・中村哲さん「自衛隊派遣が取り沙汰されているようでありますが、当地の事情を考えますと、‘有害無益’でございます」

武器によって平和は訪れない…。その思いは終生、一貫して変わることはありませんでした。

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アフガニスタンで活動した医師・中村哲さん「やはりそこに住んでいる人たちと良い信頼関係があること。これが武器よりも何よりも一番大切なことだと思うんですよね」

武力による紛争解決に異議を唱え続けた中村さん・・・。

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いまだに戦火が絶えないアフガニスタンで活動を続け、戦争の悲惨さを肌で知る中村さんは、憲法九条についても…

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アフガニスタンで活動した医師・中村哲さん「何百万という犠牲のうえに築かれたのが、あの一つの金字塔だと。民族の理想であり、それと同時に世界の人たちの理想であるわけですね」

生前、「あと20年はやる」と強い活動継続の意思を語っていたという中村さん。自身の著書の中で「戦争と平和」についてこう記しています。

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「利害を超え、忍耐を重ね裏切られても裏切り返さない誠実さこそが、人々の心に触れる。それは、武力以上に強固な安全を提供してくれ、人々を動かすことができる―」 (『天、共に在り』より)

キリスト教徒だった中村さん。彼がしばしば用いた言葉があります。

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「一隅を照らす」

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天台宗を開いた最澄の言葉で、自分が今いる場所で最善を尽くすことが、隣人や、世界を良くすることに通じるというもの。

中村さんは生前、「なぜ、困った人たちを救うのか?」と問われた時、こう答えています…

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アフガニスタンで活動した医師・中村哲さん「みんなが泣いたり、困っているのを見ればね、誰だって“どうしたんですか?”って言いたくなる。そういう人情に近いもんで。そういうもんでしょうね…」

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