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【私が中国に住む理由 Vol.1】エステサロン経営者 中平彩香さん

ドキュメンタリー監督 竹内亮

私が中国で制作・配信中の、中国に住む日本人を紹介するドキュメンタリー番組「我住在这里的理由」(私がここに住む理由)。このコラムでは、番組で紹介した主人公を、日本人読者向けに再編集して紹介する。

上海在住 エステサロン経営者 中平彩香さん(31歳)

「ここ(中国)にいると、“生きている”という実感ができる」

中国に来て8年、上海でエステサロン兼ネイルサロンを営む彩香さん。
東京の丸の内にいそうな美しい女性だ。実は彼女、もともと中国に興味があったわけではなかったと言う。

2009年に大学を卒業した彼女は、大手のエステ会社に就職。昔から興味のあった、エステティシャンの道を極めようと決意した。しかし、現実は予想以上に厳しかった。前年のリーマンショックの影響からか、会社の雰囲気は張りつめ、プレッシャーが厳しく、毎日深夜1時、2時まで残業するのは当たり前。ついには体調を崩し、一年半で退職してしまった。


当時は友人たちに「もう二度とエステの道には戻らない」と宣言していたほど、エステの世界に嫌気がさしていたそうだ。しかし、それから間も無く、彼女はエステティシャンとして中国に渡ることになる。

■勢いで決断した中国行き

きっかけは、東京で開かれたとある説明会。2010年末、中国・瀋陽でエステサロンを開くのにエステティシャンを指導する人探している、という話を友人に聞いて、興味本位で話を聞きに行った。すると、現場にいた社長に「行くか行かないか今日決めて」と言われた。

彼女は、その場の勢いで、中国行きを決めた。そして、2週間後には荷物をまとめて中国の地に降り立った。「エステティシャン歴一年半の自分が、海外で、しかもインストラクターとして働けるなんてチャンスだ!」と思い、即決したという。


2010年は、尖閣諸島中国漁船衝突事件が発生し、日中関係がギクシャクし始めた頃。若い女性が「中国」に行くとなると、大抵の人は少し考えてしまうものだが、当時24歳の彩香さんは日中関係が緊張している事すら知らないほど、中国について無知だった。

中国の第一印象を彩香さんに尋ねると、「街に漢字があったし、街を歩く人の顔も日本人と同じだし、特に驚くことが少なかった」という。だから自然に中国の生活に慣れていったそうだ。先入観がほとんどない状態で行ったからだろうか、中国を見つめる視線があまりに自然体で、あまりにリラックスしていて、質問したこちらが少しびっくりしてしまった。

■28歳、中国で起業

中国語が全く話せない状態で中国へ行った彩香さん。紙に書いたり、翻訳機を使ったりしながらエステについて教えるのは、楽しい経験だったと言う。
その後、彼女は瀋陽や上海のエステサロンで働いたのち、2015年7月、上海で自分のネイルサロン兼エステサロンをオープンさせた。

「中国に来てから、失敗を恐れずチャレンジできるようになった」

弱冠28歳で、海外で起業した彩香さん。中国に来る前は、自分が起業するなんて思ってもみなかったという。筆者も中国で起業した身だから分かるが、この国では起業に対する心理的ハードルがすごく低い。


中国では公務員や国有企業など、政府関係の組織に入らない限り、雇われの身は安定が無い。だから、多くの若者が起業する。それは特別な事でもなんでもない。彩香さんも、周りのそんな空気に押されて、自然に起業を決められたのだと思う。

■中国での働き方

日本にいた頃は毎日、朝早くから深夜まで働いていたそうだ。残業代はなかったが、店長でさえそんな風に働いていたから、文句も言えなかった。最近、日本では「働き方改革」が叫ばれ始めているが、当時はそんな考えは無かった。当時の彼女は「全ての時間を仕事に費やす私、なんか機械みたい」とぼんやり感じていたという。

現在の生活はそのころとは全く違う。彼女は自分の生活を楽しんでいた。

普段は自分のサロンで、一日数人の客を相手にネイルやマッサージの施術をしている。日本で働き始めた頃、「お客様を私の施術で幸せにすることができる!頑張ろう!」と意気込んでいいたものの、あまりの忙しさにその気持ちがどんどん薄れてしまっていた。しかし今は「自分の手でお客様を幸せにできている」という実感が持てているという。

最近では、中国の美容学校で講師をしたり、大手化粧品会社とコラボして、
日本式美容技術を推進するプロジェクトに参加したりしている彩香さん。
日々、日本と中国の美容事情の違いを感じているという。

例えば、現在、日本も中国も美容の中心は「整形」に移ってきているそうだ。ただ違いがあるのは、日本は病院でしか施術ができないのに対し、中国ではエステサロンやネイルサロンでも整形の施術をしていること。そのためトラブルも多いのだと言う。

これだけ聞くと、「やっぱり中国は…」と思われて終わってしまいそうだが、彩香さんはこの違いを日本と中国の習慣の差だとは考えていなかった。
これは圧倒的な「知識」の違いだと話してくれた。中国はまだ正しい知識を教えてくれるところが少ないから、未熟な知識で施術をしてしまうところが多いのだという。彩香さんは、このような状況を変えるために、中国で正しい知識を広めていきたいと考えている。

■”自分らしい”生活

仕事は毎日6時に終わらせて、自分の生活を楽しんでいる。

ひとつは食事だ。日本で働いていた頃は常に外で食べていたが、現在彼女は毎日自炊をしている。

彼女がスーパーに食材の買い出しに行くというので、同行させてもらうと、そこで、いかにも中国らしい光景を目にした。商品を並べているスーパーのおばさんが店内BGMに合わせて大声で歌っているのだ。彩香さんはその光景を見て「こういうところが中国の好きなところ」と言う。

中国の人達は働いているときも、「自分」でいる。日本だったら、ある程度自分の役割を演じなければいけない。スーパーで働いているときは、「店員」として振る舞わなければならない。でも中国は皆そのままの自分で働いている。だから、お客さんがいないときに携帯で映画を見ていたり、自由に歌を歌っていたり、とても自由だ。

そんな光景を「まじめに働いていない」と思う人もいるだろう。でも、その分中国で働く人の顏にあまり疲れは見えない。皆楽しそうに働いている。それはもしかしたら、自分らしく、自分のまま働いているからじゃないだろうか。

手作りの夕食を食べた後、彼女が次に向かったのは、社交ダンスのスタジオ。彩香さんは毎週2回から3回ここに通っている。中国に来てからは仕事以外の生活を積極的に楽しむようになった。

社交ダンスと言えば、年輩の人が多いイメージがあるが、このスタジオのほとんどが若者だった。彼らも、自分の生活を楽しむ一人なのだろう。彩香さんは今、好きな仕事をして、食べたい物を作り、楽しいダンスをする。その表情は、どの瞬間もとても楽しそうに、生き生きしていた。

■私がここに住む理由

彩香さんが中国に住む理由はなんですか?と聞くと、

「ここにいると、”自分の人生を生きている”と実感ができるから」

という言葉が返って来た。さらに続けて、

「日本人の周りとの調和を重んじる文化は素晴らしいと思うけれど、その分、常に周りの視線に気を配らないといけないし、自分をおし殺さないといけない時もある。でも、中国の人はまず自分がどうしたいのかを考える。自分の人生を生きるために一生懸命。その姿を見ると、“自分も頑張ろう!”と前向きになれる」

他にも、彩香さんは最近、企業とコラボする中で、日本と中国の大きな違いに気が付いたと言う。彼らのプロジェクトはとても計画性がなく、毎回ドタバタしているそうだ。でもなぜか、最後は形になっていく。日本は時間をかけて綿密な計画を立てる。スムーズに動ける反面、失敗を恐れ、計画外のことが起きると動けなくなってしまう。一方中国の場合、失敗することが大前提で、「とりあえずやってみてから調整しよう」というスタイル。

あまりの計画のなさにイライラすることもあるというが、失敗を恐れず「まず挑戦する」という姿勢を見て、彩香さんも以前より失敗を怖がらず、自分のやりたいことに挑戦できるようになり、同時に他人の失敗にも寛容になったという。

私(筆者)は、日本と中国、どちらの生活がいいかと論じるつもりは無い。
たまたま彩香さんには中国の生活が合っていただけだ。私が彼女を通して学んだのは、「先入観がないことの素晴らしさ」だった。かつて中国に興味もなく、なんの予備知識もなかった彩香さんだからこそ、先入観なく、自然に中国社会に入って行けた。それは誰でもできる事では無い。新しい物への好奇心、異質な物への包容力があるからこそだ。日本人の中には「中国人って○○だよね。」と言う、ある種の偏見を持つ人がたくさんいる。まずは彼女のように、先入観ゼロで中国を見て欲しいと、切に思う。

竹内亮
ドキュメンタリー監督 番組プロデューサー (株)ワノユメ代表

2005年にディレクターデビュー。以来、NHK「長江 天と地の大紀行」「世界遺産」、テレビ東京「未来世紀ジパング」などで、中国関連のドキュメンタリーを作り続ける。2013年、中国人の妻と共に中国·南京市に移住し、番組制作会社ワノユメを設立。2015年、中国最大手の動画サイトで、日本文化を紹介するドキュメンタリー紀行番組「我住在这里的理由」の放送を開始し、2年半で再生回数が3億回を突破。中国最大のSNS・微博(ウェイボー)で「2017年・影響力のある十大旅行番組」に選ばれる。番組を通して日本人と中国人の「庶民の生活」を描き、「面白いリアルな日本・中国」を日中の若い人に伝えていきたいと考えている。