“あの夜”まで順調だったブルームバーグ氏
撤退宣言も、大富豪らしい演出だった。マンハッタン市内の高級ホテルのボールルームに、1000人以上の選挙スタッフや支持者が集まった。テレビカメラも数十台。大音量の音楽が流れるなか、マイケル・ブルームバーグ氏が登壇した。
「3か月前、私は、ドナルド・トランプを倒すために選挙戦に参加しました。きょう、同じ理由、つまりトランプを倒すために、選挙戦を終えます。このままでは、その目標を達成することが、より困難になってしまうのが明らかだからです」
"あの夜”までは、全てが順調に見えた。ブルームバーグ氏が出馬を宣言したのは、他の候補から大きく遅れて去年の11月末。当時の世論調査(Emerson社調べ)では、わずか1%と9位タイで泡沫候補に過ぎなかった。ところが、カネの力によって、徐々に支持率を上げていく。600億ドル(約6兆5000億円)の資産を持つとされるブルームバーグ氏は、寄附を一切受けず、私財で選挙活動を展開。とりわけ重視したのが、テレビやインターネットの広告だった。職場には地上波、ケーブルテレビが映るモニターが数多く並んでいるが、一日に何度も選挙広告を目にした。YouTubeなどインターネットでも、特にドキュメンタリーなど政治的なテーマと関係のある動画では、数分毎に挿入された。
銃問題の選挙広告
「トランプ政権発足後、学校で263件の銃撃事件が起きた」
トランプ大統領への攻撃的な内容が目立った。移民や銃、気候変動などへの政策を批判。一方で、ブルームバーグ氏がニューヨーク市長時代に行った政策の功績を強調した。マイケルは“実行する男”というイメージを巧みに印象づけるものだった。さらに「父から学んだもの」と題して、自らの生い立ちを語らせ、彼の人間味を表現するパターンもあった。作成された動画の数は、合わせて180種類を超える。3月3日のスーパーチューズデーで予備選が行われる14州を中心に莫大な資金が投下された。しかも、情勢に応じて、次々と新たな動画を作るスピードにも驚かされた。黒人層への浸透が進んでいないと見ると、ニューヨーク市長時代に、オバマ前大統領と共に映る場面で構成した動画を放映した。陣営は、ソーシャルメディアにも巨額のカネを投入した。米メディアによると、Facebookなどに1日あたり数億円を費やし、カリフォルニア州などでは、個人のアカウントに、定期的にブルームバーグ氏支持の投稿をする、数百人ものスタッフを月30万円程の報酬で採用したという。
果たして、広告の効果は狙い通りに出始めた。2020年1月に入ると、全米での支持率が上がり始め、党員集会・予備選の幕開け直前の1月末には、38歳の若さと同性愛の公言で注目されていた5位、中西部の市の市長だったブティジェッジ氏を抜く。さらに、ニューハンプシャー州の予備選が終わった2月中旬には、去年秋に支持率1位だったウォーレン上院議員を捉え、3位に躍り出た。さらに“あの夜”の前日、2月18日には、ブルームバーグ氏は15.8%にまで伸ばし、バイデン前副大統領の16.5%に、僅か0.7ポイントに迫ったのである。初戦、第二戦で4位、5位に沈み、支持率も急落していたバイデン氏と比べて、勢いのあるブルームバーグ氏が、中道派の代表候補になり得るとの見方が広がるのも当然だった。
緑=バイデン氏 青=サンダース氏 オレンジ=ブルームバーグ氏
2月19日に予定されていた米NBCテレビ主催の民主党候補者討論会。それまでは参加資格がなかったブルームバーグ氏だが、世論調査の支持率で、民主党全国委員会が認定する資格基準を満たした。「ブルームバーグ氏が討論会に初参加へ」ニュースの見出しが躍った。アイオワ州、ニューハンプシャー州に参戦しなかったにも関わらず、選挙広告によって存在感を増していた大富豪は、全米で注目の的となったのだ。
そして迎えた"あの夜”。ニューヨーク・マンハッタンの中心部、オフィスビルのワンフロアに100人近い支持者が集まっていた。ブルームバーグ氏の選挙事務所のひとつだ。討論会を支持者で観ようという「ウォッチパーティー」が開催された。サンダース氏支持者らによるパーティーにも立ち会ったが、雰囲気は全く異なり、会社帰りと見られる白人の男女が多い。企業の会議のように整然とし、落ち着いていた。しかし、やはり選挙は怖い。テレビのモニターのなかで、討論会が始まると、その落ち着きが徐々に落胆の空気に変わっていく。初登場のブルームバーグ氏に、他の候補者たちが攻撃を繰り返したのだが、その対応がまずかった。
最も激しく攻めたのはウォーレン氏だった。「私が誰を相⼿に選挙を戦っているのかについて話したいのです。⼥性のことを、デブ、⾺⾯のレズビアンと呼ぶ大富豪です。それはドナルド・トランプのことではありません、ブルームバーグ前市長のことを言っているのです」さらに続ける。「納税申告書を隠し、女性を苦しめ、ストップ・アンド・フリスクのような人種差別的な政策を支持した経歴のある人物を、もし指名したら民主党は勝てないでしょう」
※「ストップ・アンド・フリスク」とは、主に黒人やヒスパニックを対象に、不審者と見ると呼び止め、所持品検査を可能としたニューヨーク市警察の犯罪対策。
ブルームバーグ⽒が市長時代に、この⼿法を推進したことを「人種差別」と批判されたのだ。これに対し、ブルームバーグ氏は、治安の改善に必要だったと説明したが、バイデン氏やサンダース氏からも非難され、説得力ある返答はできなかった。さらに、ウォーレン氏が、ブルームバーグ社の元従業員女性らへの性差別に関する守秘義務契約について追及した。
ウォーレン氏:女性の守秘義務契約を解除するつもりはありますか?
ブルームバーグ氏:守秘義務はとても少ない
ウォーレン氏:何人なのですか?
ブルームバーグ氏:最後まで言わせてください
ウォーレン氏:何人なんですか?今夜、テレビで解除できますか?(拍手)
この後も、他の候補から追及が続いた。ブルームバーグ氏は、まさに防戦一方。討論会のウォッチパーティーでは、自ら支持する候補者の発言がある度に、大きな歓声や拍手が上がるものだが、この夜は、ほとんど無かった。室内には、重い空気ばかりが漂った…。ブルームバーグ氏の初登場により全米で注目された討論会は、民主党討論会としては過去最高の視聴率を獲得した。しかし、翌朝の米メディアの、ブルームバーグ氏に対する評価は散々だった。例えば、ニューヨーク・タイムズ紙記者16人の採点の平均点は、10点満点の2.9点。ダントツの最下位だった。「ライバルたちからの攻撃に、彼は言いよどんでしまった。予備選全体を通して、最悪の出来栄えの一つで、選挙運動をダメにしかねない」「予想されていた質問に対し、酷く、下手で、不快な対応でしか自分を売り込めなかった」「彼のパフォーマンスは壊滅的だった。硬くて、傲慢で、強烈に好まれないものだった。守秘義務に関する彼の答えは、討論会史上、最悪だった」そして、極めつけの言葉は、これだった。「カネで、カリスマ性は買えない」
1週間後に再び参加した米CBSテレビ主催の討論会でも、採点は4.1点と若干改善したものの、評価は結局下位のままだった。それでも、テレビで討論会を見た人よりも、選挙広告を見ている人が圧倒的に多く、影響は少ないなどという楽観論もあった。陣営は、3月3日のスーパーチューズデーに向けて、さらに広告投下を加速させた。
タイムズスクエアの交差点にある、あの有名な縦型の巨大電光掲示板にも、ブルームバーグ氏が登場した。新型コロナウイルスの感染者が増え始めると、星条旗を背景に、まるでホワイトハウスで撮影したかと思わせるような動画で、こう呼び掛けた。「このような時は、国民の皆さんを安心させるのが大統領の仕事なのです。全ての市民の健康や幸福を守るために、必要な措置を全てとっていると言うべきなのです」
「Drop Out Mike!Drop Out Mike!」(=マイクは撤退!マイクは撤退!)
スーパーチューズデー直前の週末、気温0度近い、厳しい寒さの夕暮れ時、黒人やヒスパニックを中心した人々が声を上げた「#NeverBloomberg」と名付けられたデモだ。「Stop and Frisk is not for me」(=ストップ・アンド・フリスクは私のためではない)「Billionaire Bloomberg buys elections. This is NYC’s rejection」(=億万長者のブルームバーグは選挙を買っている。このデモは、ニューヨーク市の拒絶だ)
デモの最終地点は、マンハッタンの最高級住宅街にある、50億円以上というブルームバーグ氏所有のアパート前だった。「No more secrets!no more lies!No more votes that Bloomberg buys!」(=もう秘密はいらない!もう嘘もいらない!ブルームバーグが買収する票もいらない!)参加者の間では、市長時代の「ストップ・アンド・フリスク」の推進と、巨万の富で選挙活動を展開する姿勢に反発が強かった。デモの参加者は、それほど多くはなかったが、反ブルームバーグの市民感情が現れ出たものだった。
初参戦となった3月3日、"決戦の火曜日”―。勝利は米領サモアのみ、という大惨敗だった。翌日には、選挙戦からの撤退を表明した。1か月前に、このnoteで「大富豪ブルームバーグ氏の“シナリオ”?」を書いたが、ブルームバーグ陣営には、全国党大会までに、どの候補も接戦のため指名獲得に必要な代議員の過半数(1991人)を取れずに、党大会の「話し合い」に持ち込むという戦略があったと指摘されている。これが、中道派候補であるブティジェッジ氏、クロブシャー上院議員の相次ぐ撤退、そしてバイデン氏への支持表明で、バイデン氏が過半数を獲得すると見たのだろう。スーパーチューズデーでの惨敗によって、当初のシナリオは頓挫した。敗因は、討論会での失態、ニューヨーク市長時代の政策、深刻化する格差のなかでの、私財による選挙活動など多々あろう。
だが、根本的に欠けていたと感じることがある。それは、アメリカをどんな国にしたいのか、その国家像を実現するための、ブルームバーグ氏ならではの政策だ。「トランプを打倒するためなら、全財産を注ぎ込んでもいい」。そう明言して「打倒トランプ」を第一に掲げたのはいいが、肝心の政策は、銃規制、気候変動への取り組み、金融機関の監督強化、大学授業料の負担軽減、富裕層の増税など、他の候補と似たり寄ったりで、あまり新鮮味がなかった。大きな成功を果たしたビジネスマンとして、アメリカという国の“未来像”を、野心的な目標と具体的な政策とともに提示できなかったのだろうか。
米メディアによると、ブルームバーグ氏は、選挙広告に5億7000万ドル(=約600億円)を費やしたという。米大統領選挙の長い歴史では、パット・ロバートソン氏、パット・ブキャナン氏、スティーブ・フォーブス氏、ロス・ペロー氏らが、資産と名声によって大統領の座を得ようとしたが、勝ち抜くことはできなかった。ブルームバーグ氏もまた、失敗した一人に数えられることになった。カネでは、アメリカの民主主義を買うことはできなかったのだ。
ニューヨーク支局長 萩原 豊
社会部、「報道特集」、「筑紫哲也NEWS23」、ロンドン支局長、社会部デスク、「NEWS23」編集長、外信部デスクなどを経て現職。アフリカなど海外40ヵ国以上を取材。