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「百聞は一見にしかず」の続き

中学の技術の先生が黒板に書いた文字が今でも心に残っている。
聞 見 考 行 果

これだけ書かれてもハテナ?であったが、先生が説明すると納得できた。

は一にしかず
これはよく聞く古事成語である。この時は知らなかったが、この古事成語には続きがあって、先生はそれを説明していたのである。

直訳すれば、百回聞くことは、一回見ることに及ばないとなり、「人から何度も聞くよりも、自分の目で一回見る方が確かである」という意味である。

は一にしかず
百回見ても、一回考えるという行為には及ばない

(こう)は一(こう)にしかず
百回考えることは、行動にうつすことには及ばない

は一果(効)にしかず
百回行動したとしても、一回結果を出すことには及ばない

何度も聞くより、実際見てみないとわからない。ただ見るよりも考えなければ意味がない。考えるだけでなく、行動すべきである。行動するだけじゃなく、成果を出さなければならない。

なるほど、何事にも当てはまりそうである。

これは単に、聞<見<考<行<果 という関係を表すものではないように思える。どの行為(プロセス)も大事であり、さらにリニアモデルのように直線的なものでもなく、例えば、聞→行、考→聞→行 のようにそれぞれの行為が相互的に絡み合って作用するものである。

結果が出なかったら、その原因を探るために、また見たり、聞いたり、考えるというプロセスにもどり、行動し、成果をだす。

わかっているつもりでも、自分の行動を振り返るとすごく難しいように思える。

私は、研究者を目指しているが、何か成果を残したいと思いつつも、なかなか行動に移せないでいる。執筆が進まず、その言い訳として、「時間がない」「まだ知識不足だから」などと自分に言い聞かせていることも多々ある。

そんな時に、この言葉を思い出して、自分の行動をこれに当てはめて考えてみた。どれだけ、講義を聞いたり、本を読んだりしても、それについて自分の頭で考え、さらにアウトプットしないと意味がない。アウトプットしたところで(論文を書いたところで)、誰かに読んでもらえないと、社会にインパクトを与えることはできない。

研究者はそれなりの実績がないとやっていくのは難しい世界であり、やはり、成果は大事であるが、ただ成果を出すだけで良いのか?

しかし、さらにこの古事成語には続きがあった。

果(効)は一にしかず
百回の成果は、一つの幸せに及ばない。

は一にしかず
百個の幸せは、一つの民のための行動に及ばない。

最後の「皇」という漢字は、「民のために」を意味する。これは、古代中国の皇帝の言葉が由来となっているためである。

つまり、「多くの成果を残すより、それが自分の幸せにつながることの方が大切であり、自分の幸せがたくさんあるよりも、他の皆のために行動していくことが大切である」ということである。

やはり、自分が成し遂げることがただの自己満足に終わるよりも、誰か人のためになった方が良いと感じる。というか、自分も含め、他の人も幸せになるような成果を出したいと思う。

この考えを念頭に置いておくだけでも、何か良いものを作り出していくことができるのではないかと思った次第である。

「百聞不如一見」は、自分の今の行動を見直したり、思考のプロセス整理したりすることにも使えるが、自分の人生の歩み方の参考になるんじゃないかと思う。

これからもこの考え方は大事にしていきたいと思う。


最後に、ここまで読んでくださった方、ありがとうございます。
まだ、Noteを活用し始めたばかりで、書き方もイマイチなところがありますが、これからもどんどん投稿していければと思います。
気に入った方がいれば、スキやコメントをしていただけると幸いです!



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