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築180年の町家が農家民宿三重県多気町にある必然【農家民宿つじ屋】

三重県多気町を流れる清流櫛田川のほど近く、山々が広がる旧街道沿いに「農家民宿つじ屋」がある。築180年の町屋をリノベーションした宿で、宿泊客は一日一組限り。レトロでのどかな風情に引かれ、外国人観光客も訪れるという。つじ屋を営むのは、多気町で自給農生活を送る高梨英子さん夫婦。神奈川県の大根農家だった高梨さんが多気町に移住し、農家民宿を開くまでの道のりに、どんな発見やこだわりがあったのかお話を伺った。

東日本大震災で揺らいだ農家としての生き方

以前は神奈川県三浦市で農園を営んでいた高梨さん夫婦。旦那さんが生まれ育った先祖代々の土地を出て、三重県多気町へ移住することにしたのには理由があった。

「きっかけは3.11でした。ちょうど2年前に、少量多品目の無農薬栽培に切り替えたところだったんです。無農薬野菜は市場に出すのが難しい。ですが、当時逗子にあったカフェcoyaさんが『うちで売りなよ』と、週に1度、店舗入り口を開放してくれたんです。その後、『うちでも使いたい』と仰ってくださるお店が増えて、湘南のカフェなどでも扱ってもらいました。そういう地元の固定客の方がいらしたんですけど、3.11を機に野菜が売れなくなっちゃったんですよね」

東日本大震災後は被災地や関東を中心に、放射能に対する危機意識が高まった。高梨さんが住んでいた三浦半島も大きな不安に覆われたという。

「そもそも慣行栽培(農薬や化学肥料を使用する従来型の農業)から無農薬栽培に切り替えるだけで、収量は激減するし栽培期間は延びるんです。そこへ野菜が売れない状況になってしまったから大変でした。収量を上げて収入を安定させるには慣行栽培に戻るという方法もあるんですが、それはしたくなかったんです。試行錯誤しながら無農薬栽培を始めて、農薬や化学肥料が環境や作物に与える影響がわかってきていたところでした。ですから慣行栽培に戻るという道は選べませんでした」

震災後の変化に戸惑う日々。高梨さんの周囲では西日本へ疎開していた人も少なくなかったそう。高梨さん夫婦も、息子さんだけは疎開させることに。夫婦で三浦市に残って作物を育てながらも、悩みは尽きなかった。

「いろいろ考える中で移住の話も出たのですが、私が『農家はもうやめよう』と言ったんです。夫も『放射能が降り注いでいるかもしれないときに畑仕事をしていていいんだろうか。自分が栽培した野菜を食べさせていいんだろうか』と、悩むようになっていましたから。自給分の野菜は育てるけど、業としての農業はやめるつもりでした。そもそも私、農家が嫌になっていたんです」

新生活のための理想地を求めて多気町へ

高梨さんは農家出身の人ではない。40歳での再婚を機に神奈川県三浦市に移り住み、農家の道へと進んだという。

「再婚前は娘2人を育てるシングルマザーで、東京で会社員をしていたんです。専業農家の夫と再婚したので、農家や農村について全く知らない状態で三浦市へ移りました」

鎌倉時代には三浦一族が活躍した三浦市。港町として栄え、江戸時代は漁港に立ち寄る多くの人で賑わった。温暖な気候に恵まれ、露地野菜を中心とした農業もさかん。大根やキャベツの全国有数の産地として有名だ。

「三浦って特殊な地域なんですよ。あんな都会にありながら、第二次世界大戦時に大きな空襲に遭っていない。だからなのか、言葉や文化が昔のまま残っている。たとえば地域のお祭りの文化も残っていますし、地域社会が壊れることなく続いている地域です」

東京から三浦市へやって来た高梨さんだが、カルチャーショックの連続だったという。

「もうびっくりすることばっかり(笑)。まず名前で呼んでもらえない。地域に同じ苗字の方がいっぱいいらっしゃるから屋号で呼び合うんですよ。夫は長男ですから屋号で呼ばれていました。歴史が長くて、先祖代々の土地なんですよね」

古くからの文化や伝統が色濃く残る地域で暮らす中で、コミュニケーションの在り方や農家の嫁としての生き方に疑問を感じていた高梨さん。そんなときに発生した東日本大震災。無農薬農家存続の危機や家族の安全を考えるようになり、移住を決めた。

「まず神奈川を出てから三重県北部の亀山市に2年住みました。亀山に住みつつ、三重県内全域を見て回って次の移住先を探していたんです」

新しい移住先ではチャレンジしたいことがあり、こんな条件のもと住処を探していたという。

「自給農をしたかったので、私たちみたいな他所から来た移住者でも無料で農地を借りられる理想地を求めていました。野菜が育ちやすい気候を考えて、亀山より南へ。そうしたら多気町の土が大根の栽培に良かったんです。この辺りはもう少し下流に行くと伊勢いもの産地で、肥えた土に恵まれています」

多気町は三重県中部に位置する内陸の町。柿の生産量は県内一を誇り、温暖な紀伊半島らしくミカンやモモなど果物が豊かに実る。野菜では伊勢いもやしいたけが有名で、そのほか伊勢茶や松坂牛など名産品が多い。

多気町が持つのどかな空気も魅力的に映った。そうして2014年、高梨さん家族は多気町に移住し、いよいよ自給農生活をスタートさせることになった。

農家民宿つじ屋を作ったこだわりと職人の技

大根が育つ土地で自給農生活を始めることは、高梨さんのひとつの目標だった。ところが多気町に来てみると、その目標が思いがけない方向に姿を変え始めた。

「多気町で暮らすことにした住まいが築180年の町屋で、すごく大きくてすごくボロかったんです(笑)。住むにあたってこの家の病気を治すと考えるならば、自分たちが使う場所だけを直せばいいものではないじゃないですか。全体を直すにしても、ちゃんとした技術や無垢の木材を使いたいと思ったんです。でもそんなに素晴らしく直しても、こんなに大きい家は私たちだけでは使い切れない。どうしようか考えてみて『わかった!じゃあ農家民宿やろう!』と安易に決めたんです(笑)」

農家民宿つじ屋は、180年もの間残ってきた町屋と高梨さんが出会ったからこそ生まれたのだ。つじ屋誕生に向けて、高梨さんが特にこだわったのが薪風呂だった。元々備え付けられていた薪風呂を美しく蘇らせるべく、左官屋や大工の力を借りた。

「左官屋さんといえばアールですよね。アールのついた綺麗な曲線を描いてもらいたくて、それにはモザイクタイルが必要でした。薪風呂は浴室全体の温度がすごく上がるので、樹脂では溶けちゃって駄目なんです」

薪ストーブが部屋全体をじんわりと温めてくれるように、薪風呂も浴室全体の温度を上げる。電気やガスと比べると、切った薪を火にくべて燃やし続ける労力が必要だが、その暖かみに魅了される人は多い。

「薪風呂をどう直すかで本当に喧々諤々でした。まず、古い浴槽を撤去するために浴室の壁1枚を壊す必要があり、その後、横長の浴槽を入れるために2尺(約60センチ)の増築も。薪風呂は、焚口・浴室と一体となった構造なので、作り変えるとなるといったん壊すしかないんですよね。ただ、大工さんの能力がすごく高かったんです。私は自分の使い勝手を考えて要望を言うんですが、大工さんは嫌がらずに私の話を聞いてくれました。その上で家の体力面を考えつつ、構造的にできること、できないことを一つ一つ丁寧に説明してくれた」

そうして薪風呂は、美しい曲線とどこかレトロなモザイクタイルが目を引く浴室へと生まれ変わった。完成度の高さは左官職人や大工の熟練の技によるものだ。

「やっぱり薪風呂は温まり方が違うんですよね。タイルって冷たいと言われますけど、薪で沸かすことによって空間全体が温まる。薪風呂ならタイルも床も温かくなるんですよ」

つじ屋自慢の薪風呂は、宿泊客だけでなくご近所さんも楽しみにしているのだそう。

ここにしかない、つじ屋ならではのおもてなし

煙突から出る煙が目印の薪風呂、大きく立派な瓦屋根、広々とした畳の部屋など、つじ屋にいるとタイムスリップしたような気持ちになる。

「懐かしいご友人同士で利用するお客様も多いです。客室は二間続きの和室なのですが、『雑魚寝でいいですと』と仰って賑やかにされています。一日一組のみの受け入れで他にお客様もいないので、まるで同窓会のように楽しんでいたり。ですがそういう日々はコロナでぴたっとなくなりました」

2020年から世界中で猛威を奮い始めた新型コロナウイルス感染症拡大。2022年になってもその影響はいまだ強い。コロナ以前にはどんな人々がつじ屋に宿泊していたのか、印象的な出来事を伺ってみた。

「つじ屋はエアビー(Airbnb)をしているんですが、外国語には対応していないことをはっきりと明言しているんです。ところが日本語も英語もおぼつかない、ご高齢のフランス人のお客様3名の予約が入ったことがありました。まず、どうやってつじ屋にたどり着くのかが不安でした」

つじ屋の最寄駅はJR東海紀勢本線栃原駅。ただし最寄りといっても駅からつじ屋まで4、5kmは離れている。勢和多気ICからは6kmというアクセスで、自家用車やレンタカーなど公共交通機関以外の足でやってくる宿泊客がほとんどだ。

「フランスのお客様が来られる当日、伊勢市駅の観光案内所の人から電話が入りました。『つじ屋に行きたいんだけど、どう行けばいいんだ?』と尋ねる外国人の方々がいると…。ですが、そこはさすがおもてなしの伊勢。フランスのお客様がつじ屋に来られるように協力してくれたんです。行き方を説明してもらったりしながら、フランス人のお客様が見事つじ屋に到着されました」
あとは二泊の滞在をゆるりとくつろいでもらうだけ、と思ったのは束の間。3人のうち1人の宿泊客が腰痛を訴えた。なんでも空港で転んでしまい、腰をひどく痛めてしまったらしい。つじ屋では鍼灸師の出張施術が可能だったため、治療を受けてもらうことにした。

「近所に住んでいる英語が堪能な友人も呼びました。お客様はまだ三重県内の観光を楽しめていないことがわかり、友人が車を出して観光案内をしてくれたんですよ。腰痛のお客様は安静にすることになりましたが、つじ屋のお部屋を楽しんでもらえたようでした。私たちは振り回された感があるんですけれど(笑)、3名ともすごく満足してお帰りになったので良かったなと印象に残っています」

旅の楽しみはグルメや観光だけではない。どんな風に宿でくつろげたか、素敵なおもてなしを受けることができたかで満足度は大きく変わるのだ。つじ屋の基本の宿泊プランは素泊まりだが、シンプルだからこそ宿泊客次第で楽しみ方が広がる。

「食事なしのプランで予約をした若いお客様がいたんです。到着したのが遅めの時間で、飲食店に行くには間に合わない時間帯でした。『それならお肉を買ってきて、つじ屋で焼き肉をしたらどうですか?カセットコンロはお貸し出ししますし、うちで育てた無農薬米の天日干しご飯なら出せますよ』と、お話ししたんです。すると『松坂牛を買いに行ってきます!』と、本当に買ってきて自分たちで焼いていました。それがすごく楽しかったと喜んでくださったんです。お店で松坂牛を食べると、普通に1人1万円は超えちゃいますから。好きな部位を好きな量だけ買ってくれば、お店より安く適正価格で食べられます。こういう過ごし方もいいですよね」

そんなつじ屋では、宿泊客の希望があれば食事付きのプランも用意されている。高梨さん夫婦が自給した野菜を中心に、多気町や伊勢で採れた旬のものが食事を彩る。

つじ屋の心落ち着く空間でいただく食事はさぞ魅力的なはずだが、「つじ屋は私と夫の2人で掃除や洗濯など全てを賄っていますし、私はプロの料理人じゃないので、食事してから来てくださるとありがたい(笑)。近くにVISON(2021年に多気町にオープンした商業リゾート施設)ができたので、そちらで食事するのもいいと思いますよ」と高梨さんが笑った。

のどかな多気町に住むエネルギッシュな人々

つじ屋で貴重な時間を過ごす宿泊客の姿を見て、高梨さんが感じたことがある。

「つじ屋はすごくストライクゾーンが狭い農家民宿だと思っています。宿泊施設として求められる綺麗さの基準が違うのが一番です。お客様によっては『きゃー!!虫!』と驚いてしまったり、築180年の古さが汚く見えたり。(昔ながらの町屋建築なので)プライベートがしっかり守られていないように感じられることもあるでしょうし、防犯セキュリティの面が気になる人もいますよね。だから、よっぽどこういう雰囲気が好きじゃないと、満喫するのは難しいかもしれません。もちろん、この一見すると何もないのどかな多気町を楽しんでくださる方もいらっしゃいます」

移住してから約8年。多気町が醸し出すのどかな雰囲気は変わらない。高梨さんが住んでみてわかったのは、多気町の人々が持つエネルギーだった。
「多気町は規模が狭い町なので、行政と住民との距離が近いんですよ。たとえば最近だと多気町ではオーガニック給食の話が上がっていて、地域のお母さんたちがすごく動いています。打てばまあまあ響くというか、住民の意見が行政に届きやすいんですよね。自治体の規模が大きいと全然響かないこともあるじゃないですか」

多気町の人々が、移住者である高梨さんを助けてくれたこともある。高梨さんは町屋のリノベーションを計画していた当時、薪風呂の改築費用をクラウドファンディング「Ready for」を利用して集めることにした。

「Ready forはオール・オア・ナッシングなので、寄付の達成金額が100%にいかないと一銭にもならないんですよね。ですが寄付を募ってみたところ、多気町に移住してきてから知り合った方々が寄付してくれたんです。神奈川に住んでいた頃の友人も寄付してくれたんですけれど、多気町のご近所の方なども寄付してくださってびっくりしました」

高梨さんの移住先が多気町だったから、農家民宿つじ屋は完成した。つじ屋が多気町の風景に溶け込んでいるのも納得のことだったのだ。

宿泊は通常予約のほか、多気町のふるさと納税返礼品にも登録されており、寄付を通してつじ屋を満喫することも可能。つじ屋を利用する際はぜひ自分なりの滞在法を見つけて、ホテルや旅館とはひと味もふた味も違う楽しみを堪能してほしい。

つじ屋

※本記事は『読むふるさとチョイス』(2024年8月まで公開)からの転載です
※2022年8月19日掲載 価格等は取材当時のもの

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