医療における「寄り添うこと」について
私は9年前から小さな病院の病院長をしている。その間、当院に就職を希望する医療者たちに提出して頂く履歴書、当院就職希望の理由書きのすべてに目を通してきた。最近5年はそれぞれの部所の調整に任せているが、それまではほとんどの面接にも関わってきた。その経験で感じることがある。それは「寄り添う」ことを医療の目的としている人がとても増えたことだ。「患者さんに寄り添う看護がしたい」「地域住民に寄り添う医療をしている御院への入職を希望する」というふうに、である。
医療において「寄り添う」というのはどういう意味なのか?気になってwebで検索してみた。多くの場合、看護学におけるあるべき姿(看護観)の最近の潮流のようである。医療者が良かれと思うことだけではなく、患者さんの立場に立って患者さんが望むことに医療者が気を配り、それを提供することの大切さを主張していることがわかった。
しかし、私は「寄り添う医療」を無批判に、声高に主張する医療者が苦手だ。患者さんに寄り添うことを、医師や看護師が目的としていていいのだろうか?と思うからである。
医療の目的は、患者さんの病気を治すことではないのか?治すことができなくても、今の状態、またはこれから予想される病状の悪化の苦しみを少しでも患者さんから取り除くという責任を抱えることが医療者の仕事ではないのか?それは、大変な仕事である。どう頑張っても患者さんの力になれないこともある。それでも、医療のプロである私たちは、その重圧にじっと耐え、その仕事を遂行するための知識と技術を身につけていかなくてはいけない。「今はできないことも、明日にはできるように」と努力して医療は進んできた。
その仕事を成すために、患者さんの気持ちを常に考えることは絶対的に大切だ。患者さんが言葉にできない「言外の言葉」を探ることも必要である。しかしこれは、医療の目的ではなく、医療者に必要な条件だと思う。
「寄り添う医療を目標とする」場合、医療者が、医療という苦しい宿命に身を置く覚悟の不在を、聞き心地の良い言葉で置換してしまう危うさがあると感じる。
もし、患者さんに寄りそうことを目標にしなくてはいけないのが今の医療の現状だとすれば、それは、私たちに寄り添う基本的態度が欠けていることの傍証である。私は「患者さんに寄り添う医療が大切だと思う」と訴える人に接すると、自分の立っている足下に不安を感じてしまうのである。
注:日本医事新報の「識者の眼」の私の連載から、日本医事新報社の許可を得て転載しています。