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鈴木大拙「日本的霊性」を読んでいた。 周辺のない円環がみずからを限定して、どこにでも中心を置く、そこに親鸞の一人が現前して、無碍の大道が坦然として長安に通ずるのである。 「周辺のない円環がみずからを限定し、どこにでも中心を置く」、円環という言葉が出てくるとそこにはホロスコープを重ねてしまう。