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そこにあるのは舟か流木か

大きな海なのか川なのかがあって、ここから、この不変の鬱々としたようなそれでいて穏やかで凪のような日々から抜け出すには、あの海なのか川なのかを渡る必要があるようだった。

ここから見える海辺なのか川辺なのかには、大きそうな木のようなものが見えている。

それには囲いがあってカヌーよりは幅の広い舟のようにも見えるし、ただ流れ着いた大木にも見える。
すべてが不明瞭。

そう見えるところに、私は、居る。

居るのだ。

海辺なのか川辺なのかはすぐにはわかるまいが、あれが舟なのか大木なのかは近づけばわかるはずである。

私はそれが見える所に、居る。

どうやら足の神経がここに根を張ってしまったようだ。
私の左足の靭帯はほぼ機能していないのだが、そのかわり神経が地中に根を張ったのかもしれない。
これ以上無用に動いてより周囲の筋肉や骨を傷めることのないように自治本能が働いた。
自身を守る意識とこの大海原または大川原を渡るチャンスを逃したくない意識に挟まれて千切れてしまいそうな意識の核が長いこと大きな声を上げているが、それらに対してさらに別の意識が何かをすることができないほど拮抗していて、もう長い間、その千切れの寸前の意識と留まる足と動こうとする足の狭間に胴体があり、人としての機能がなされていない。

私は人なのか。
あそこに見えるのは大きな海なのか川なのか。
その海辺なのか川辺なのかまたそこに見えるのは、それを渡れる舟なのか。

私はここから離れたいのか離れたくないのか。

ただここに居る私は、ただ確かにここに居て、あの海なのか川なのかの、ただ確かに流れている水を見ている。

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