自分史1
今、ホモサピエンス全史を読み始めてますのでついでにちっぽけな自分史も振り返り記すことにします。
ちっぽけな中の超ミクロレベルの記憶の一端です。
そして記憶というのはおそらくですが美化、だけでなく、忘れた部分を創作して埋める作用があると脳科学の本で読んだような、自分の経験でもそう思ったような気がしますから100%真実ではないという疑いを孕んだままに書き記します。
0歳。大きすぎはしませんでしたがまあまあ健康的が過ぎるくらいの大きさで生まれた上に延々とおっぱいを離さなかったらしい私は1歳になるまでにだいぶ肥えていました。
パンパンです。足の段差は隙間に紙が挟まるほどでした。(写真を見た限り写真を見せれないのが残念です)
逸話のひとつを紹介します。
私の実家は文具屋と印刷業を営んでいました。
昭和後半の当時の文具屋、文房具屋は文房具とともにコピー機があったり写真の現像を受け付けたりしておりました。
ある日のこと、祖母が抱っこしていた0歳児の私があまりに重すぎるためコピー機の上に置いた瞬間のことでした。
母と結婚して以来、父が初めて叫んだのです。
「壊れるからやめてくれ!」
と。
2番目とはいえど当時の私は愛娘のはずです。
ええ、そうなんです。間違いなく、まだふてぶてしくもなかったはずであります。
とはいえ、重すぎてコピー機というまあまあな精密機器であり高さのあるところに置くばあちゃんもばあちゃんだ。
転がったらどうしてくれたんだ。そんだけ丸かったんだぞ。といずれ再会したら伝えることを覚えておきます。
そして叫ぶ父よ、百歩譲ってもし叫ぶとしたら
「そんなところ!危ない!」
とか
「やめて!落ちたらどうするの!」
とか
そっちじゃないか。
本音というのは人間やはりとっさの時にでるものです、危機感が尋常ではなかったあの瞬間父はあんな重い赤ん坊?人間?を乗せたら大事な機械が壊れてしまう!!と、間一髪!と感じたんだと思います。
たしかに。否めない。
(今見せられないのが本当に残念ですが)写真を見た限り相当に重そうなんですよね、自分で言うのも難なんですが、本当に。
さらにおっぱいを離れテレビがないと暴れるらしかったですからそりゃあばあちゃんも父ちゃんも辟易したことでしょう。書きながらどこかでお気持ちお察ししますよ。お、ついちゃいますよ身内ながら。
おっぱいかテレビ。
つまり、食物またはテレビ。
それは長いこと私を静かにするための強力な手段として行使されます。
その時点で大分肥える要素がありますね。
食べてテレビだけ見てたらそりゃあ足が肉団子みたいになるわけだよ。そりゃあなるべくしてなってる。それだけが唯一静かになる方法だったんだもの。それ行使されますよ。
自営業ですから。店番からなにからありますから。ねえ。
という、美化した部分のない話でした。
予定は未定、仕方ありません。
いずれ実家に帰れる日が来たらあの数々の写真をお見せできる日が来るでしょう。
紙の挟める足と、コピー機に乗せられた私。
真っ裸でも食べ続けてる私を。
今日も安定のどうでもいい話に仕上がりました。
もしも奇跡的にこれを読んだあなたが食と楽しいテレビ番組に出会えるいい夢が見れますように。
おやすみなさい。