鞄の中の

職場で私のパンパンの鞄には何が入っているのか?という質問に、同僚が正しさへのこだわりが入っている。というようなことを言って、その相手が爆笑したらしい。
私のポジションの人間が正しさを大切にしていることが笑えるのならもう私がこの会社にいる理由はないなと思う。
まあまあな大企業のまあまあな中間管理職だ。正しいことをしたいわけではなく、なによりも顧客へのアプローチと自分より後に入ってきた人間の働きやすさや、会社や上司が何を求めているかを知り、考えて、それに対して共感できるところはとことんやり、疑問は投げかけ続けて働いているだけで、それが人に良い影響はもちろんあったとも思っているが、最近はストレスを多く与えてるように見えることが増えた気がしてきていて、と何してんだろうと思える。
会社にとっての自分の便利さを利用して続ける理由があったものの、その違和感の方が大きくなってきて耐え難い。
今まで理由にしてきたものがそこまで耐えてやるべきなのかすらもうわからない日々だ。

正しいこと云々でなく、この会社のこの商売の中で結果を顧客にも会社にも仲間にもプラスになる方法を給料の出る間だけ追求しているだけだが、その自分の懸命が仲間の笑いの種になっているならそれはもう仲間ではないなと気づいた。
私なんざいなくてもこの会社は回るでしょうし、評価されてるとしてもたかがしれているのだからもういい加減けじめをつけたい。
この時世で難しいと思っていたけど
この時世でいつどうなるかもわからないのにコケにされて生きるのはまっぴらである。
海に流れる藻みたいに生きてる方がよっぽどいい。
気にしていないとかではなく腹立たしいので気にはなるが楽しくないので興味が湧かない。
それを言った奴にも笑った奴にも。悲劇のヒロイン気取ってる奴にも。
せめて私生活だけでやってくれたら興味がないから全く気にならないのだが。
もう興味がない人の尻を拭くのはまっぴらごめんである。
私の正しさをギャグにする奴の、笑う奴の尻を拭ってやる理由が見当たらない。
潔よくなく臆病で諦めが悪いのでのでここまで長引いたがもういいだろう。
呼吸と思考と行動だけをやめないでなんとか生きていく。
放たれる努力をする。

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