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テレワークゆり物語 (18)私のボウリング人生
「中山律子さんの次は、由利ちゃんじゃないか?!」
むかし、むか~し、生駒のボウリング場で噂された。(真偽は不明)
中山律子さんといえば、日本のボウリングの女王と言っても過言ではない。
2021年夏、東京オリンピックのテレビ放送を見ながら、私のボウリング人生に思いを馳せた。(2024年7月27日加筆)
10歳からのボウリング英才教育
時は、空前のボウリングブームの真っ最中。
今から半世紀近く前の、1972年頃だ。
全国の小さな町にもボウリング場があり、毎日テレビでもボウリングの試合が放送されていた。
私が生まれ育った生駒市にも、ボウリング場が2つあった。
父は、ボウリングだ大好きで、プロ並みの腕。
小学校5年生の私は、そんな父からボウリングの英才教育を受けていた。
毎朝、父と一緒に、早朝ボウリングで2ゲームを投げてから、小学校学校にいく。(朝は1ゲーム50円だった)
おかげで、私のボウリング人生は、好スタートを切った。
10歳にして、3ゲームの最高アベレージは203点。最高得点は214点。
私自身、ボウリングが大好きで、将来はプロになろうと本気で思っていた。
ボウリングブームの終焉で夢破れる
しかし、人生はそう甘くない。
突然、空前のボウリングブームは終わった。
どこの街にもあったボウリング場は無くなり、消えないまでも、ボウリングは「スポーツ」ではなく、「娯楽のひとつ」のようになってしまった。
私が毎日通ったボウリング場の場所は、今は大型スーパーに。もうひとつのボウリング場は、病院になっている。
私のプロボウラーの夢は、ブームと共に去った・・・
ボウリングが上手過ぎて引かれた大学時代
大学に入ると、学科や部活の新入生歓迎ボウリングに行く機会ができた。
新入生の女子が、ガーター(ボールを溝に落とす)をして、「キャー」とか言って戻ってくるかわいい仕草に、男性先輩たちは「どんまい、どんまい」と嬉しく迎え、僕が教えてあげるよ的に、その場が盛り上がる。
これは、私が知っている「ボウリング」ではない。
しかし、郷に入っては郷に従え。
昔取った杵柄を見せてはいけない。(当時18歳だけど)
空気を読んだ私は、適当に投げる。
が、数年ぶりとはいえ、体が覚えていた。
力を抜いたことが、さらに功を奏した。
ボウルは、ストライクゾーンに吸い込まれ、パコーン!
ピンが美しく舞うストライク。
やっちまった。
それ以来、私はボウリングを封印した。
ボウリングで、オリンピックを目指す⁉
そして時は流れ、1986年。
当時働いていたシャープの組合で、ボウリング大会が開催された。
全員参加と言われたので、さすがにもう下手になっているだろうと、しぶしぶ、参加した。
さすがに凄い点数は出なかったものの、フォームを崩すのは難しかった。
そのボウリング場で働くオジサンが、私の美しい投球フォームに魅せられて、声をかけてきた。
「ボウリングでオリンピックを目指さないか」
はっ? ! 何を言っているのか。オリンピック種目にボウリングはない。
しかし、話を聞いてみると、
1988年のソウルオリンピックでボウリングが競技に入るかもしれない
というのだ。
それに向けて奈良で選手を育てたいとのこと。
さすがにそれは無理だろうと思いつつ、当時は仕事があまり忙しくない頃で、ダイエットがてら、練習に参加してみることにした。
しかし、オジサンは、本気だった。
仕事終わりにボウリング場に直行し、トレーニングに入る。
バケツに水を入れて、右手で何度も何度もグルグル回す
(遠心力ってすごい)。
平日は6ゲーム、休日は12ゲーム。
とんでもないところに足を踏み入れてしまった。
しかし、一度はOKした。
とりあえず、目の前の国体予選とやらまでは頑張ろう。
半年ほど、本気になって取り組んだ。
しかし、小学校5年の頃の記録には届かなかった。
国体予選は、予備選手の次という残念な結果。
そして、スポーツとしての、私のボウリング人生は、終わった。
その後のボウリングとオリンピック
1988年、ボウリングは、ソウルオリンピックで公開競技となった。
しかし、その後正式種目にはならず。
今年の東京大会では、候補には入ったものの、選ばれなかった。
2024年のパリ大会は、候補にも入らなかったらしい。
ただ、小学校の頃にボウリングをしていたおかげで、右の手首が鍛えられ、高校から始めた卓球人生に、少なからず貢献していたようだ。
卓球部顧問の先生から褒められた。
「お前のカットの切れは本当にすごい。なんで、そんなに手首が強いんや」
人生、無駄なことは何もない。
※写真は、北見のバスケ父母仲間とボウリングを楽しんだときのもの。このときは11ポンドだけど、小学5年生の時は13ポンド。おそるべし。