書評『わたしと日産 巨大自動車産業の光と影』(西川廣人 講談社)『ルポ 高学歴発達障害』(姫野桂 ちくま新書)
『わたしと日産 巨大自動車産業の光と影』(西川廣人 講談社)
著者の西川は、カルロス・ゴーンの逮捕のとき、日産の社長だった男だ。
ゴーン逮捕の翌年、月刊「文藝春秋」にゴーンと共に逮捕されたグレッグ・ケリーの手記が出た。ケリーは「西川に日産社長の資格はない」と西川もまたゴーンたちと共に報酬の不正を行っていたという告発だった。ぼくはこの記事は読んでいないが、西川という人間もゴーンの同類だったのかと思いこんでいた。
この本を読むと濡れ衣だったことが分かる(あくまでも彼の言い分ではあるが)。センセーショナリズムは時に、人を社会的に抹殺する。
ぼくはカルロス・ゴーンという人間に興味があった。というのは、彼は日産のCEOになったとき「フランス人」のように取りあげられていたが、実際にはブラジル人だった。正確には、レバノン系ブラジル人である。
ブラジルにレバノン系は多い。拙著「キングファーザー」に少し出て来る、ジョアン・アベランジェ元FIFA会長の懐刀であり金庫番であった、エリアス・ザクーもそうだ。ぼくの知る限り、レバノン系ブラジル人は、頭が切れ、商売が上手い。
カルロス・ゴーンの生まれた町、ホンドニア州ポルトベーリョにも行ったことがある。アマゾン川に面した田舎町だ。かつてはゴールドラッシュで栄え、無法者が集まっていたらしいが、かなり寂れた町だ、もっとも一家はすぐにリオに移り住み、レバノンに戻っている。移民として彼を描けば面白いと思ったのだ。
「わたしと日産」によれば、ゴーンの改革はある時期までは良かったと思われる。長期に亘って権力を握れば必ず腐敗する。そして日本人は権力を持った(白人に見える)外国人に弱い。
この本には、アメリカ同時多発テロの直後、西川やゴーンはパリのシャルル・ド・ゴール空港に足止めされた。待合室にいた日産の社員が次々とゴーンのところに挨拶に行き、自分の所属や名前、功績をアピールしたという話が出て来る。彼らは同時多発テロよりも、ゴーンにゴマをすることの方が大事だったのだ。ザ・日本のサラリーマンである。
この本を読むと日産は世界に進出したが、日本企業の悪癖を抱えたままだったことが良く分かる。みなは先を争って、ゴーンに従属した。不正蓄財をしたゴーンは間違いなく悪人だが、彼の驕りの元凶は日産の体質だったようにも思える。
西川は英語が堪能だ。彼は会議の中で「上位に立つ日本人が好んで使う英語」があると書く。それは「ビー・ケアフル」だという。
非常に良く分かる。日本の地方は、日本の悪癖を煮詰めたようなところがある。年長の彼らは「気をつけたほうがいい」と良く言う。しかし何に気をつければいいのか、さっぱり分からない。たぶん言った本人も分かっていないはずだ。失敗したとき「ほら、言っただろ」と言いたいだけのように感じる。自分は安全地帯にいて、挑戦する人間をくさし、やる気を奪う。恐らく日産はその体質を脱していない。長期低迷しているのは当然だろう。
望むらくは、この事件はしかるべきノンフィクションの書き手によって、複眼的に検証されるべきだとも思う。ぼくもやってみたい。
『ルポ 高学歴発達障害』(姫野桂 ちくま新書)は、最近多い、当事者の1人語りを集めた本。著者も発達障害であるためだろう、彼ら、彼女たちに寄り添った原稿になっている。
多様性は大事である、困っている発達障害の人を排除すべきでないというのは正しい。同感だ。これからの社会はそうあるべきだと思う。
同時にこの本を読んで思ったのは、彼ら、彼女たちの「配偶者(パートナー)」、会社の同僚たちは大変だったろうなということだった。発達障害の方に配慮することは、往々にして通常発達の人にしわ寄せがいく。結果として通常発達の人が壊れてしまうこともある。会社=組織は配慮をしなければならない。金銭的に余裕のある大企業ならば、中小企業はどうすればいいのだろうか——。もやもやした感情が残る。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?