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俺の音楽変歴 〜流転の社会人編①〜
【前回までのあらすじ】
小中でピアノ、バイオリン、高校でギターを習うもどれも物にならなかった俺。諦めたシンガーソングライターの夢、成就しない恋、高校生活は終わりを告げた。大学でオケに入りバイオリンを再開、トランペットと三線にも手を出し、留学先の中国で二胡を学び帰国。就職先は楽器メーカーだった。
俺は新卒で名古屋にあるギターとドラムのメーカーに就職した。
かつて高校では爆音にたじろいで軽音部に入れず、大学では大人の雰囲気に怯んでジャズ研に入れなかった俺が、こともあろうにギターとドラムのメーカーに入った。
その会社では、役職がついてても金髪ロン毛は普通で、ロックやメタルに関する話題があちらこちらで飛び交っていた。
「メイデンはどのアルバムが好きなの?」
新入社員歓迎会での先輩からの質問である。そもそもIRON MAIDENを俺は知らなかった。QUEENしか知らなかった。
最初の仕事は、Joe Satrianiというギタリストが中国で行うクリニックへの帯同だった。とはいえ入社直後で右も左もわからず、どちらかというととりあえず雰囲気を体験させるという意図だった。
俺はエレキギターを楽器だと認めていなかった。生で空気を揺らすことのできない楽器などおもちゃに等しい。
Joe Satrianiの演奏を間近で聴いた。
エレキギターは、完全に楽器だった。
その演奏は芸術の域まで達していた。
俺はロックとメタルを聴き漁った。大学時代にクラシックを聴き漁ったように、ロックの歴史を辿り、特に気に入ったバンドを繰り返し聞いた。Ritchie Blackmoreの哀愁を帯びた印象的なリフが好きになった。
会社からサンプルのアコースティックギターを格安で買い、高校で挫折して以来ひさびさにギターをひいた。相変わらずFは押さえられず、それでもEric ClaptonのUnpluggedが弾きたくて、ジャカジャカと弾いた。
オランダに3ヶ月半研修に行き、寂しさのあまりCDを買い漁り、自転車でロイヤルコンセルトヘボウに毎週末通いクラシックのコンサートを聴いた。オケ専用に設計されたホールの音響は桁違いに素晴らしかった。
またオランダではSlipknotというエクストリームメタルバンドのライブを関係者として見せてもらった。覆面をつけた9人が爆音の中、見事にアンサンブルしていた。俺の耳はいつしか轟音に耐えられるようになっていた。
中国に出向することになった。
出向先は広州。留学していた済南とは気候も風土も言語もまるで違う。
現地の営業マンと共にディーラーを回りながら唯一の日本人として奮闘した。ドラムセットを買い倉庫に一室部屋を用意してもらい、基礎からドラムを練習した。身体から音が出てれば楽器は何でもよかった。
無駄に広い部屋に帰ると、また寂しさのあまり、今度はリコーダーを吹いた。大学時代に少し練習したが本格的に吹いてみると思いのほか楽しく、気がついたらヘンデルのリコーダーソナタを全曲暗譜していた。ミカラペトリという北欧のリコーダー奏者が好きだった。
中国での大仕事が回ってきた。
元Mr.BIGのドラマーであるPat Torpeyの中国クリニックツアーに帯同することになったのだ。今回は前回とは違いしっかりと仕事をしないといけない。ドラムテクは日本から来るが、現地との折衝は俺の仕事だった。
Mr.BIG、さすがに名前は聞いたことがあった。でも曲は聞いたことがなかった。
Patは心優しい紳士で、俺のようなひよっこにも分け隔てなく接してくれた。対応が難しいミュージシャンが多い中で、Patはいい意味でミュージシャンらしくなかった。ドラムの腕は素人の俺から見てもすさまじかった。片足で2回ずつ高速でバスドラを踏む姿は、魔術師のようだった。
クリニックツアー中に、俺は大失態をやらかした。
手汗でスティックが滑るため、Patは演奏時常に扇風機を回していた。それによって手汗を乾かし、スティックが滑らないようにしていた。
とある街でのクリニック前のリハ中に、俺は変圧器をかまさずに扇風機のコンセントを入れ、スイッチを入れた。煙が出て、Patの演奏の命綱である扇風機はあえなく即死した。
俺は焦った。
近くの家電屋へ走り似たような扇風機を探すが、見つからない。仕方なくなるべく風力の強い扇風機を買った。Patはそれでもやさしかった。ミュージシャンならブチきれてスティックで俺を百叩きにしても良さそうなのに、クリニックでしっかりとパフォーマンスをすることだけを考えていた。
なんとか間に合わせの扇風機で、その後もクリニックは開催できた。俺は生きた心地がしなかった。
別れ際にサインを求めるとPatがドラムヘッドにサインをくれた。最後までジョークを忘れない素敵な紳士だった。(「ファン」と「扇風機」が掛けてある、念の為)
Patはパーキンソン病で昨年2月に亡くなった。ここに冥福を祈る。
その後、日本へ帰国ししばらくして会社を辞めた。
それが俺の流転の始まりだった。
「流転の社会人編②につづく」
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