40歳父の竹修行奮闘記 第四十回「まほろば竹伐り塾!」
気がつくと前回の記事から半年が経過していた。
まずは少し近況をば。
3月に別府から木更津へと戻り、4月に自営を始め、5月に「房総竹部」をスタートした。
その後あれよあれよと、竹部の拠点は3つに増え、現在部員は25名、11/30には南房総に「あわ竹部」という新拠点が立ち上がる予定で、恐らく今年中に部員は30名を超えそうだ。
順調過ぎて恐いくらいだが、一歩ずつ前に進んでいる。
そんな中、SNS上でとある人と知り合った。
栃木県の茂木町で竹細工をしながら夫婦で暮らす五月女大介さん。
彼はいわゆる、「ただ作る職人」というタイプではなくて、ライフスタイルの中に竹を最大限に活かす生き方を選択していて、しかもすごく楽しそうだった。
今回彼が主催する「まほろば竹伐り塾」というイベントがあると聞いた。なんでも竹林整備、竹伐り、ひご作りが1日で学べるという。
この機会を逃すわけにはいかない。
当日朝出発では間に合わないため、前日仕事終わりで高速を飛ばすこと3時間、恐ろしい濃霧の中、命からがら20時ごろにたどり着くと、柔和な笑顔を湛えた五月女夫妻が迎えてくれる。
初対面にも関わらず、竹という地下茎でつながってるせいか、下手に警戒する必要がないのが気楽だ。杯を交わしつつ、暮らしや仕事について色んな話をした。
翌日、朝一で一緒にヨガ、お祈り、瞑想をして身体と心を整えて、いよいよ「まほろば竹伐り塾」。
まずは裏山の竹林に入って、荒廃した箇所の整備から。
枯れた竹や倒れた竹を枝打ちしながら一ヶ所にまとめていく。それらをいかに土に還すか、という視点を常に忘れないところが素敵。
裏山の広大な竹林には、竹細工を生業とする者にとっては垂涎ものの良質なマダケが大量に並ぶ。太くて、節と節の間が長くて、節が低い、本当に理想的な竹が至るところに。この「資源」のために移住を考えたくなるほどだ。
歩きながら蔓性植物の見分け方やテングス病の特徴など、ずっと知りたかったことを教えてもらう。こういうのが本当に嬉しい。
そして竹伐り。
毎週のように地元で竹を切ってるが、竹の切り方についてしっかりと教わったことがなかったため、人に教えることを躊躇していた。
今回具体的に切る竹の選び方、切り方、運び方とその理由についてしっかり教えを受けたことで、ようやく自信を持って人にも伝えることができるようになったと感じた。やはりこういう機会は大事だ。
ここまでで昼休憩。
奥さんの尚子さんの作ってくれたけんちん汁とおにぎりをいただく。人と空間と味がすべて響き合う。穏やか、そして安らか。楽器も少し弾かせてもらう。音も喜んでいる。
午後は切り出した竹を洗う。
木灰を入れた水を使ってスチールたわしで洗う。木灰はアルカリ性だから汚れが簡単に落ちる。日頃ロケットストーブで煮炊きしているので木灰はいくらでもある。資源を最後まで使い切る工夫。敬服。
切った竹の保存の仕方を教わる。適度な湿度を保ちつつ、カビない風通しも必要。なかなか絶妙なバランスが必要。
そしていよいよひご作り。
別府で習ってきたやり方をもとに、現在は部員たちにレクチャーする立場にある私だが、わからないことやはっきりしないことはまだまだ多い。そして何より、竹細工は地域によって、道具もやり方も言葉もまるで違う。
五月女さんは現在の竹細工職人にしては珍しく別府で学んでいない。だから聞きたいこと知りたいことが山ほどあった。
曲がりなりにも別府で一年学び、その後半年間ひとりで試行錯誤してきた者にしか尋ねられない質問があって、詳述はしないが多くの学びがあった。当たり前だけど、やはり現役の職人から学ぶことは多い。しかも同世代(私が一つ年上)なので、色んな部分で感覚が近いのもありがたい。
他の参加者の方々は陶芸家、美容師、移住者などなどバックグラウンドは様々で、それでもみんな本当にいい顔をしていて、栃木でも千葉と同じように、若い世代が地域を作って、懐かしい未来を作ろうとしている様子が窺えて、頼もしかった。都市部ではなかなか見えないかもしれないが、地方では、静かに、確実に、価値の地殻変動が起きている。
美大を出てDJをやってた五月女さんは、竹細工一筋的な生粋の職人ではない。その「雑種性」にも大いに惹かれ共鳴する。竹と音楽の祭りとか、いつか一緒に企画できたらどんなに素晴らしいだろう。
何事もそうだけど、実生活に落とし込んでる実践者の言葉は、いつも重くて深い。でいて軽やかに楽しく日々の暮らしを営むお二人に、大きな勇気と元気をもらって、帰途についた。明日も部活だ。
また、来ます。ありがとう。