
39歳父の竹修行奮闘記 第十四回「竹かごはなぜ高いか」
【前回までのあらすじ 】
39歳でひょんなことから別府で竹細工を学ぶことになった私。竹細工をする上で、とにかく大事な材料作りであるひご取り。竹を割って、剥いで、幅を揃えて、面を取って、うらすきで厚みをそろえて、とうとうひごが出来上がる。まず風車と四海波かごを作って、いよいよ第一課題「六つ目編み盛りかご」へと突入した!
前回は第一課題「六つ目編み盛りかご」の六つ目編みについて紹介した。
今回はその後の工程について説明しようと思うが、全てを詳述することは控える。その理由は、じきにわかるだろう。
①胴編み
編みあがった六つ目の各辺に直角より少し鋭角の折り癖をつけ、編みヒゴを曲げながら、まわしひごを通すことによって、平面を立体に立ち上げていく。
②折り止め
胴編みが終わったら、まわしひごがはずれないように、一番上の編みヒゴを折り曲げる。
③縁の加工、接着
縁は厚さと幅を揃えたら、火曲げ治具を使って、加熱して丸く曲げる。その後、合わせ削りといって、縁の重なる部分が分厚くならないように、表と裏それぞれを斜めに削る。外縁ははずれやすいため、ボンドで接着する。
④柾(まさ)の加工
柾は厚さと幅を揃えたら、柾割りといって、皮を上にした状態で縦に割っていくが、一番端(3センチくらい)はくっついたままにする。今回は柾割りは2等分にするだけだが、もっと細かく割る場合も多い。重なる部分(合わせ)が分厚くならないように、くっついた3センチほどの部分を斜めに削っておく。
⑤縁と柾の取り付け
折り止めしたひごの上に、外縁、柾、内縁の順番ですきまがないように取り付けて、針金でしっかり縛っていく。
⑥籐の加工
ひごと同じように、籐の厚さと幅を揃えていく。竹に比べると、デリケートで切れやすいので、加工には注意が必要。
⑦籐結び
針金を巻いていた部分(今回だと六つ目1つ置き)に籐を結んでいく。今回はただ結ぶのではなく、大和結びという飾り結びをプラスしている。
⑧余分なひご、籐のカット
まわしひご、編みヒゴ、籐の余分を全てカットする。
⑨力竹の取り付け
最後に力竹を取り付けて、座りをよくして出来上がり。
要するに私がここで何を伝えたいか、というと、工程がとても多いということ。ひとつのカゴを仕上げるだけで、ここまで多くの工程が必要となる。細かい工程を入れたらこの倍以上になる。
プラスチック製品の普及によって竹製品が廃れた
なるほど、それは不可避だとようやく理解した。プラスチック製品は機械が前提で大量生産に向くから安価にできるし、型に流し込むだけだから工程も少ない。なのに機能的には、竹製品に引けを取らない。むしろ防カビ性や耐久性では竹製品を上回る。
残念ながら、我々の世代は「プラスチック以前」を知らない。どうやら「竹しかなかった時代」があったらしい、という話は聞くけど、身をもって体験していない以上、想像の域を出ない。一体どんな世界だったんだろう。
「プラスチック以前」には戻れないし、過去の状態に戻そうとする試みは恐らく躓くだろう。だからといって、過去を蔑ろにしていいわけではない。豊かな過去から学べることは多い。
賃労働が普及したせいで、いつしか世の中の価値尺度が全て「給与ベース」になってしまったようだ。1000円の商品を見たら「私のバイト1時間分か」と思い、40万円の商品を見たら「私の給料二か月分か」とか思う。
それは果たして自明だろうか。
今回の六つ目編み盛りかごは、市販の価格だと5000円前後。おそらく多くの人が「高い」と感じるだろう。私も一消費者としてはそう感じる。
だが一方で、実際に作ってみた感想として、「5000円では安すぎる」とも思う。熟練していけば速度も精度も向上していくとは思うが、手仕事である以上限界がある。
労働も商品も、価値尺度が貨幣のみになってしまうのは寂しい。そして労働と商品の価値を貨幣のみではかっていたら、竹細工は今後も間違いなく廃れていく。それは個人の努力や創意工夫でどうにかなる域を超えている。竹細工で食べていくためには、1日にこのカゴをいくつ製造できなければいけない、という発想そのものに、絶望的な限界を感じる。
でも逆にだからこそ竹細工には、貨幣のくびきから自由になる可能性があるのではないか。「貨幣以外の価値尺度」というものが、もし今後入り込む隙があるとしたら、それは恐らく「身体」ではないか。
そしてその「身体」に訴えかける何かを、竹細工は豊かに備えている。まだぼんやりとだけど、そんな気がしている。
プラスチック製品の普及により竹製品が廃れた
この先には大体以下の文言が続く。
だが別府竹細工は高級路線で生き残った
それが間違いだったなんて全く思わない。そのおかげで、私が通う訓練校は存続できたのかもしれないし、高級路線を選択しなければとうの昔に潰えてた可能性も高い。
でも一方で、そのせいで失われたこともあるに違いない。かつては誰でも行っていた竹細工を、一部の職人が占有することになった。専門性が高まり、日用品から贅沢品へと変化するにつれ、竹製品も竹細工も、市井の人々の日常からは乖離していく、という事態が不可避的に起きる。
私が望むのは、竹製の道具と竹細工の技術を市井の人々の手に引き戻すことだ。それは専門性の否定でも、職人性の軽視でも、過去への回帰でもない。
むしろ専門性や職人性を、商品にのみ閉じ込めておくのはもったいない、竹細工にはモノとしてだけでなく、コトとしてのパワーと価値がある。それが3か月竹細工を学んできた実感だ。
まだまだ偉そうなことは何も言えないけれど、今までと同じシステムや発想の中に留まっていては、竹細工のパワーや価値が日の目を見ることはない気がする。だから既存の技術や知識を学びながら、なるべくそれを疑う。本当にそうなのか、と。
そんな感じで竹修行は今日も続く。本当はついていくだけで精一杯だが、どっぷり浸かるだけなら、私でなくていい。
次回からは第二課題「鉄鉢盛りかご」に入る。どんなものができあがるのか。乞うご期待!
いいなと思ったら応援しよう!
