汝、チョロ給うこと勿れ
耳障りこそいいけれど内容ゼロの糞ポエムにコロッと行っちゃう「チョロい人」を見るたびに、ちゃんとした文章を読むことの重要性に気付かされる。読解力は、今やサバイバル能力だ。
「チョロい人」はいつも狙われる。いつも騙くらかされる。でも本人は気づかない。むしろ自分だけが、知られざる「重大な真実」に気づいた、と錯覚して、せっせと拡散して回る。みんな目を覚まして!みんな騙されてるんだよ!
チョロい。
なんてチョロさだ。
チョロQもびっくりのチョロさだ。
そのシェアばかりの情報発信は、「みんな気づいて!」という叫びに満ちている。
だが見た人は十分に気付かされている。
あなたが「チョロい人」だということに。
でも誰も自分が「チョロい人」だなんて認めたくない。だから「チョロい人」同士で群れる。「チョロいコミュニティ」が出来上がる。それによりチョロさは無制限に増長し、再起不能なレベルになる。集団的チョロさ。「みんな気づいて」の大合唱。顔に張り付いたこわばった笑顔と、同調圧力に屈した「いいね」の応酬。
チョロさを侮ってはいけない。
関東大震災後にデマにのせられて朝鮮人を大量に殺した人たちは、明らかに「チョロい人」だ。
戦時中の大政翼賛ムードにのせられて大日本帝国の勝利を信じて疑わなかった人たちもまた、「チョロい人」だ。
「チョロい人」は易々と暴力に加担する。
悪どい人はそのチョロさを見逃さない。必ず暴力的に利用する。
たとえそのチョロさによって助けられた人がいたとしても、その何倍もの人が「チョロい人」による暴力に晒されている。
視野を広げよう。本を読もう。聞きたくない声を聴こう。
「チョロい人」にならないために。暴力に加担してしまわないために。
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