分刻みでふくらます風船と休日
なんとなく嫌な感じがする。こういうときは思い切って走り抜けるか、コンビニで貰った箸を手に握って渾身の変顔を披露しながらやり過ごして、急いで飛び込んだ見慣れた部屋でココアと安心を手に入れるのがハッピーエンドなのだけれど、今回は目的地のない道の上で、ただただ嫌な感じだなあ、なんて思いながら時間が過ぎるのを待っている。
用意周到な性格でもないが、いきなりいろいろと状況が変わると、さすがに滅入る。やたらと気分の良い日なんてそもそもなかったからいいし、とはいかず、まったくよくなくて、欲なく、淡々と過ごしていたら、気がついたら2週間も外に出ていなかった。この家はなぜか常に寒いから、外では桜が咲いたと聞いてもまだ信じられない。雪も降ったらしい。きっとそういうなぞなぞなのだろう。
最近は、家のメンテナンスだか、てんでナンセンスだかで、騒音がひどく、不本意な目覚めが続いている。それだけでなく、日中は、顔も知らない作業員達の、何を取ってくれだの、どこがうまくいかないだの、あれはどうしただの、絶え間なく交わされる便宜上必要な会話が、お気に入りのアーティストやパーソナリティの声に横入りしてきて、妙に落ち着かない。この感じが何だか今の世の中と似ている気がして、「ここでもか」と思う。
そんな家のなかで時間を止めている気がしていたが、もちろんそんなことはなく針は進み、転職活動なんてすぐ終わらせるからいいよと息巻いてごまかし程度に暗くした髪色は、何も決まらないうちについに褪せてしまい、焦って焦ってもう焦っていない。だらしのない何でもない人間がここに誕生しつつある。でも物語は始まりそうにない。
このまま陽の光を浴びずにもう少しコンティニューすることもできたが、急に不安に駆られたので外出することにした。と言っても、必ず避けられない目的がないと腰が重くなるだろうことはわかっていたので、前日に脱毛サロンを無理に予約した。
こうした美容関連の投資については、今さら何を足掻こうとしているんだという部分はあるにせよ、億劫なことから逃れたいみたいな心理があるのだろうと思う。未来的な価値があるかもわからないのに自分の気持ちを満足させるのは今に始まったことでもなく、現に楽しめているなら何だっていいのである。知らん。あっちいけ。
施術が終わり、何でわざわざ出かけてまでこんなに痛い思いをしないといけないんだと泣き、少し怒りながら、がんばったごほうびを得なければと服屋に急いだ。罰も褒美も全部が自分の手の内にあるから、自分だけの世界は尊い。この日も新しいワンピースに袖を通したばかりなのに、またワンピースを2着買った。わたしはちゃんと春を迎えたがっているのだと気がついた。ついには春のコートまで探していた。気温の感覚を忘れかけているから、この日は買わなかったが。
それはそうと、明日がどうとか考えられなくなるくらい、どうしようもなくつらくなるときというのは、誰にでもいちどくらいはあるものだと信じたい。とにかく、わたしの生活には確実にそういう日がたびたび存在している。そんなとき、太宰治の『葉』の、「これは夏に着る着物であろう。夏まで生きていようと思った。」という一節を思い出す。
ショッピングバックをぶらさげ、そのまま流れるように濃い赤のアイシャドウを買った。いつかわたしの味方になるはずの色。そのあと、ふと思い出して、自由律俳句の本を迎えに行った。心地よいリズムでととのう。感覚と空気を吸い込めるようになっていくのを感じた。
今日も、どうしようもない日々に消化不良になりながらも、わたしのものになったワンピースをながめている。ひとつめのあざやかな花柄があたたかい風にふんわりと揺れるのが待ち遠しい。ふたつめはきっと、出会った瞬間からわたしのものになると決まっていた。それは「昨夜の反動ワンピース」という名だった。
素直な感想、とても嬉しいです。 お茶代にします🍰☕️