長編連載小説 Huggers(61)
裕子は大阪へ向かう。
裕子 10
沢渡がたずねてくる1か月ほど前の2月末、裕子は夜勤明けに新幹線に乗り、大阪に向かっていた。
東京駅で駅弁を買おうか、大阪についてから何か食べようかと迷い、結局何も買わずに乗ったが、朝食をとっていなかったので途中でお腹がすいてしまい、車内販売で珍しくもないミックスサンドイッチとコーヒーを買った。熱いコーヒーでツナサンドを流し込みながら、ぼんやり窓に頭をもたせかけ、心のなかに響いてくる声を聞く。
僕は――あなたが――好きなんです、西野さん。
好きになってしまったんです、女性として。――だからもうこれ以上、あなたのホルダーはできません。苦しくて。ほんとに、ごめんなさい。
そう言った電話越しの小倉の声を、裕子は何度も何度も心のなかで思い返し、声の細かな強弱や、わずかなイントネーションの特徴までを、忘れないように記憶に刻んでいた。
思いがけない告白の後、小倉とは一切連絡が取れなくなった。
永野にもキンモクセイにも聞いたが、誰に聞いても、小倉からの連絡は途絶えているようだった。
永野は小倉の住所や固定電話を知っているようだが、教えることはできないと言った。
「彼を信頼して、待っていてあげてください」永野は言った。
「彼は日本一優秀なホルダーです。必ず帰ってきます」
最初の衝撃が過ぎた後、裕子の心の中に、静かな喜びが湧き上がってきた。小倉と連絡がとれない困惑よりも、この広い世界に、自分を愛してくれている人がいる、という生まれて初めての感覚が、胸の真ん中が温かくなるような、全身がしびれるような幸福感となってひたひたと押し寄せてきた。
同時にまた、今まで自分が彼に対してしてきたことを思い返すと胸が痛んだ。病気を抱えながら、そして裕子への思いを胸に封印しながら、ただホルダーとしての使命感だけで全力で支えてくれようとしていたのに、裕子のほうは、彼の体調を気遣ってのこととはいえ、永野からの提案を小倉に相談せず独断で受けては、事後報告ばかりしていた。結果、小倉のプライドを傷つけ、無力感を与え、苦しめていたのだ。
小倉に相談しようと思っていたミアの件を、裕子はひとりで解決しようとした。
ミアのライブには一度だけ行ったことがあった。ミアの声は透明で、聞くものを崇高な場所へ導くような天性の力があった。全曲が彼女のオリジナルだったが、軽快なラブソングや、バラード調の失恋ソングに交じって、魂が洗われるようなアカペラの祈りの歌や、シンギング・リンやクリスタルボウル、チベタン・ベルなどの珍しい楽器をあしらった、人類の創生を感じさせる荘厳なインストゥルメンタルなど、息もつかせぬ迫力のある構成だった。
彼女には、音楽を通してしなければならないことが、まだある。
その直感が、裕子にはあった。
だがミア自身は沈黙を守っていたし、連絡先はきいてなかった。永野もキンモクセイも、ミアを説得するなどして彼女の心の平安を乱すつもりはないと言った。
ミアが洗脳されて奇矯な行動をとっている、という記事が何度か週刊誌に出た。薬物中毒であるという噂もあった。それが事実ではないという確信が裕子にはあった。だが本人が姿を見せないので、いくら事務所が反論や抗議をしても、そうした記事は次第に事実として受け取られるようになっていった。
ハガー協会やハグセッションに対しても、中傷や明らかにセッションの内容を何も知らない人物が書いたと思われる体験記事が出た。それに対し協会側も抗議をしていたが、何しろボランティア団体なので人手も足りず、対応が追い付かないようで、セッション希望者も激減し、このままではセッションの継続が危ういという状態まできていた。
根岸といういつかのルポライターから再び連絡があったのはそのころだった。
彼は熱心に、何度も裕子を訪ねてきた。
「あなたの話が聞きたいんです」彼は言った。「当事者の話を聞いて、公平な記事を書きたいのです」
裕子はとても迷ったが、世間の誤解をとき、ハグセッションを広く知ってもらうチャンスだと思った。またミアの状態を説明する一助にもなると思い、永野に相談すると、「西野さんはもうアウェイクンドなので、お任せします」と言われ、インタビューに応じることにした。
根岸は紳士的で、長時間話を聞いてくれた。ハグセッションを受けてみたいとすら言った。協会を通してでないと引き受けられないと断ったが、それが一番早いのに、と残念に思った。
永野から口外しないようにと言われていること以外の、ふだん公開説明会で語られることはほとんど網羅した。何を求めてくる人にセッションが有効か、セッション後の受講者の変化や、それが受講者の家族や職場に及ぼす影響について話した。ハガーの役割、外に出られないさまざまなホルダーがいて、彼らがハガーを支え、また集合意識のレベルを高めていること、そのほかにスタッフやアウェイクンドがいて、それらの仕事はすべて寄付金とボランティアワークでまかなわれていることなど、協会の内部のことについても話した。心が平和になり、事実をありのままに見ることができ、幸福や愛や優しさを感じ取る力が増すという話もした。そのあたりを話しているときに、根岸の表情が少し曇ったような気がしたが、裕子はあまり気に留めなかった。
ミアについては、噂されているような洗脳によるものでも、薬物中毒でもなく、急激に覚醒したために体のほうがついていけないだけだと、インドやヨーロッパの覚者の例を挙げて力説し、少し時間がたてば必ず復活して、またライブ活動をするだろうと保証した。
3時間近くに及んだインタビューを終え、根岸と握手して会場の喫茶店を後にしたとき、裕子は満足感でいっぱいだった。これですべてうまくいくと思っていた。
(つづく)