長編連載小説 Huggers(68)
裕子 11
「園田さん、おはようございます」
窓をあけて初夏の風を入れながら、裕子は園田に話しかけた。枕の上の園田の顔に表情はないが、裕子の目には穏やかな微笑を浮かべているように見える。
園田が転院した先の療養型の病院を調べていたとき、それが実家から通える範囲にあることに気付き、思い切って応募した。
そこで働きながら、裕子は今、仕事とは別に新しいプロジェクトに参加している。
それはクラウドファンディングサイトで知った、重度の意識障害の患者専門の病院を立ち上げるために活動している人たちのコミュニティだった。
発起人は、交通事故で遷延性意識障害に陥った息子を持つ脳神経外科の医師で、彼は私財を投じ、まだクラウドファンディングや、世界中の医師仲間に呼びかけて資金と人材を集めている。
最近では、今までまったく意識がなく、意志の疎通が不可能であると思われていた患者とのコミュニケーション手段として、脳の活動を読み取り、それをコンピューターが解釈して患者との対話を可能にする技術など、最先端の医学分野で活発な研究が行われている。
そうした研究を視野にいれながら、新しい病院ではまず今の段階で、指先やまぶたなど、わずかでも身体の一部を動かすことで意志表示ができる人たちとのコミュニケーションを目指すということだった。
研究者と医師や看護師、介護者が協力して、現段階で可能な意思伝達のあらゆる方法を探る。
また現場の声も大切にし、医療スタッフ以外に事務スタッフや清掃スタッフ、家族も含めてのカンファレンスがあり、みんなの意見やアイデアが平等に尊重され、患者の情報が共有される。
介護者の心のケアも必須事項ということで、牧師や僧侶を講師とする勉強会が開かれ、相談なども受けられるようにする。代替医療にも門戸を開き、アロママッサージセラピストやキネシオロジー、オステオパシーなどの専門家も招いてはどうだろう。
発起人のそんな熱のこもったプメッセージに、プロジェクト参加者に名を連ねた人たちのなかにも、あまりにも理想論で、現実味が感じられないと抜けていく人たちも多かった。
けれども裕子は、それでもいいじゃないかと思う。
自分の子供は助けられないかもしれないけど、未来の誰かの役には立ちたい。
そんな発起人の言葉は、裕子の心を震わせる。
そんなふうに行動を起こそうとする人がいうというだけで、世界はほんの少しでも、変わっていくんじゃないだろうか。すぐに結果は出なくても、あきらめないってこと、次につなげていくってことが、大事なんじゃないだろうか。
どうせできないからって、傍観者になることは簡単だ。
だけど私は、そんなふうに生きていきたくはない。
いつかこの命が終わるとき、「それ」だか「神様」だか、「閻魔様」だか、とにかくその人に言いたい。
頭を上げて、「私、せいいっぱいやりました」と。
科学がこんなにも発達した現在でさえ、人間の「心」についての研究はまだあまりにも立ち遅れている。何も証明されていない。
裕子にとっては毎日が勉強で、またその勉強が日々の仕事に直接生かせることがうれしくてたまらなかった。
いつか、もう少し勇気が出たら、あの日、「輝きの海へ」という曲を園田に聴かせたときに起こった奇跡のようなできごとを、プロジェクトのみんなに話してみよう、と裕子は思っていた。
大阪から帰ってきた日、自宅に着いて玄関の鍵を開けたとき、裕子はふと、自分にはもうハグの能力がない、と気がついた。
そうした理解は今までも、いつも突然やってきた。理由もなく、ただそうなのだとわかるのだ。悲しみも失望もともなわず、裕子は淡々と事実を受け入れた。
それからまだたった3か月しかたっていないのに、裕子は自分にそんな力があったことなど、夢だったのではないかとさえ思うようになっていた。ハガー協会や、永野や小倉の存在すら、現実だったのかどうかいくぶん怪しく思えてくる。
「園田さん、いいお天気ですね。今日の気分はどうですか? こうすると気持ちいい?」
反応のない園田の顔を丁寧におしぼりでふきながら、裕子は話しかける。
ハグの能力は失われた。
それが小倉と一夜を共にしたせいなのか、沢渡を思い続けたせいなのか、それともその能力はしょせんは一時的なもので、やがては失われる運命にあったのか。
理由など、どうでもいい。
裕子は思った。
なにかの力があろうとなかろうと、私はいつも精いっぱい、自分にできることをやってきた。
そしてこれからもやっていく。
なぜなら、いつだって目の前にいる人が、私の世界のすべてだから。
(つづく)
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