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長編連載小説 Huggers(19)

小倉は、懐かしい人物と再会する。

小倉 3(つづき)

「うわっ、びっくりした。沖本さん!」
 小柄で痩せ型の中年男性を見て、小倉は声を上げる。
「大丈夫ですか? 小倉くんの姿が見えたから声かけようとしたら、青い顔してトイレに入っていくから」
沖本は笑う。
「すみません、情けないところお見せして」
 小倉は苦笑いをした。
「でもまたお会いできてうれしいです。きょうは東京から?」
「ええ、飛行機がちょっと遅れて、空港から直接来たんですが、なんとか第二部に間に合ったみたいでよかった」
 小倉はロビーの参加者受付に手持ち無沙汰そうにすわっていた女性スタッフに頼んで、ホールの中の仕事と交代してもらった。沖本は空いていたいすを引き寄せて小倉の隣にすわる。
「でも小倉くん、梅田まで来られるようになったんですね。確かお住まいは尼崎でしたよね」
「各駅停車で、しょっちゅう下りながらですけど。阪神電車は駅間、短いんで助かるんです」
 沖本光司は、小倉が初めて出会ったハガーであり、セッションをしてくれた人物でもある。
「プログラムに沖本さんのお名前があったんで、お会いできるのを楽しみにしてました。今日は講演ですか? ハガー代表?」
と聞くと、沖本は「まさか」と目をぐりぐりさせておどけてみせた。
「小倉くんも人が悪いですね。私が人前で話すの嫌いなこと、知っているくせに」
「じゃあ、何を?」
「ハグ・セッションの、デモンストレーションです」
「デモンストレーション?」
 小倉は声を上げた。
「じゃ、あれを公開で……大勢の見てる前でやるんですか?」
 沖本はうなずく。小倉は温和そのものの彼の内側には、途轍もない力が宿っているのを思い出した。
「永野さんはそんな話はしていませんでしたけど」
「極秘だったみたいですよ。僕も口止めされてましたから」
「スタッフにも秘密ですか」
「万全を期したかったんでしょうよ。事前に知られると、興味本位で申し込む人が増えるかも知れないですからね」
「でも、誰にセッションをするんです? まさかその場でボランティアを募るとか?」
「そのつもりですけど」
逆に驚いたように沖本はまばたきをした。
「永野さんはそれでいいと……まずいですかね?」
 小倉はうーんと唸った。
「セッションは非常に個人的な体験ですよね。基本的に一対一で隔離された空間で行うのもそのためでしょう。気軽に手を上げて、人前であのときみたいになったら、僕は嫌だなあ」
「もちろん、本格的にはやりません。ほんのさわりだけです。君のときみたいに、あまり激しい反応があると、見ている人だってびっくりしてしまうでしょうから」
「さわりだけなんて、そんな調節ができるんですか」
「たぶん。まだやってみたことはないですけど」
沖本は軽く肩をすくめた。
「まあハグの効果って意味ではあまり期待できないと思いますけど、セッションで実際何をするのかっていうところで不安に思う人は多いらしいんで、こんな感じってわかってもらえたらそれでいいと思ってます」
「なるほど」
確かに、ハグするだけで効果があるといわれてもにわかには信じがたい。実際にはそれ以上のことが行われるのではないかと思って尻込みする人は多いだろう。
「そういえば小倉くん、西野裕子さんの担当なんですって」
沖本が言って意味ありげに微笑んだので、小倉は驚いた。
「彼女を知ってるんですか?」
「いえ、直接には。でも、優秀なハガーだって評判ですよ」
「そうなんだ」
 なんとなく誇らしくなって小倉は言った。自分の子供をほめられると親はこんな気持ちになるのだろうか。
「それは小倉くんもホルダーとして優秀だってことです」
「ありがとうございます」
師匠にほめられた弟子のようにうれしく、「あの、ひさしぶりに共振してもらえますか?」
と言い、椅子のむきを変えて、沖本と向かい合うようにした。
「いいですよ」
 沖本も笑って椅子を動かす。

 男二人がじっと見つめ合っているというのは傍からみたらかなり異様な光景だろうと思うが、実際に起こっているのは物理的な現象だ。沖本の固有のエネルギーはゆるぎなくてかつ細やかだ。振動数が高い沖本のような人物と共振すると、低いほうの小倉が引っ張り上げられるような形になる。自分のエネルギーの粗雑さを改めて思い知らされる形になるが、それはそれで心地よい。
 だがしばらくすると小倉は異変に気づいた。
 沖本のエネルギーが微弱になっていく。低くなるのとは違う。むしろより高く微細で、どんどん透明度が増していく。なぜかたまらない気持ちになり、思わず共振を中断した。

「どこか悪いんですか」
考えるより先に口に出ていた。
「ハガーは引退しようと思っています」
 沖本は静かに言った。
「引退? どうしてですか?」
「消化器系に腫瘍が見つかりましてね。去年手術をしたんですが、再発です」
 システムに不具合が見つかったとでもいうような調子で沖本は言った。
 小倉は一瞬、言葉を失った。目の前のロビーの光景がかすんで見える。
「――再手術は?」
「もう手の施しようがないそうです。もって半年と言われました」
 透き通った表情で沖本は言い、「そんな顔をしないでください」と付け加えた。
「正直言って、ちょっとほっとしてるんです、自分では」
「ほっとしてる?」
「実は、待っててくれている女性がいて」
 沖本は照れたように、首の後ろに手を当てた。
「病気のことも、ハグのことも、何もかも承知の上で、一緒になりたいと言って待っていてくれてるんです。その人と、残りの時間を静かに過ごしたいと思ってます」
 小倉は何も言えず、ただうなずいた。
「さっきさわりだけなんて言いましたけど、そんな事情で私、体力的に、もう前のように本格的にはセッションできなくなっているんです。だから最後のお勤めで、デモンストレーションくらいやらせてもらおうかな、と」
 背後の扉が開き、参加者がロビーにぞろぞろと出てきた。永野が沖本の姿を認めてニコニコしながら走り寄ってくる。立ち上がって挨拶する沖本のにこやかな横顔を見ながら、小倉の脳裡に彼と初めて出会った日のことがよみがえる。(つづく)


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