長編連載小説 Huggers(47)
小倉は永野につっかかる。
小倉 7
食卓でスマートフォンとパソコンのメールをもう一度確認し、小倉はため息をついた。キンモクセイにも、裕子から連絡があったらすぐに教えてほしいと言ってある。彼女なら何かあればすぐにも連絡をくれるはずだった。
裕子から沢渡への告白について相談を受けてからもう一週間以上たっている。告白はしないと言っていたが、それにしても一言ぐらい報告があってしかるべきではないだろうか。
小倉は自分が苛立っているのに気が付き恥じた。ホルダーはある意味、待つのも仕事だ。あくまで黒子、ハガーが必要としているときだけ、求められたサポートをするのが役目ではないか。自分は最近少しおかしい。頭を冷やしたほうがよさそうだ。
台所でコーヒーを入れて戻ってくるとスマートフォンが鳴った。
あわてて相手を確かめると、それは裕子からと同じくらい、小倉が電話を待っていた相手だった。
「もしもし」永野はのんびりと言った。
「永野さん。一週間もどこにいたんですか? 外国にでも行ってたんですか」思わず詰問調になる。
「そうなんです。すみません、ちょっといろいろアクシデントが立て続けに起こりまして」
「困ります、すぐ連絡がつくようにしておいていただかないと」
「ほんとに申し訳ありません。西野さんのことですよね、メールをいただいていた」
「はい。いったいどうなってるんですか」
「でも、その問題はもう解決済みじゃないでしょうか」永野は不思議そうに言った。
「解決済み?」
「西野さんからはまだ連絡がないんですか?」
「いえ」小倉は言葉につまる。
「そうですか。沖本さんから、報告書が上がってますよ。無事に伝授が終わったそうです」
「そう……ですか。じゃあ、あの沢渡さんという人の話は」
「報告書にはひと言も書いてありません。伝授に支障はなかったということでしょう。それが何か問題ですか」
「それは……」
「沖本さんの提案には確かに行き過ぎの点があったかもしれません。でも彼はアウェイクンドです。アウェイクンドの判断することは、私たちのあずかり知らない領域なんです。それに、西野さんもこれから渡米して代表のハグを受ければもうアウェイクンドという段階まできていらっしゃいますから、軽はずみなことはなさらないと思いますよ」
「いや、そういうことじゃなくて……」
ボタンが決定的に掛け違っているのを感じた。何だろう、永野と話すときにいつも感じる、この徒労感は。
「実は私のほうも、大事な相談があるんです」
「なんでしょう」頭のなかではまだ沖本の提案の件を引きずりながら、小倉は言った。
「実はこの一週間ほどで、セッションの申し込みが立て続けにきているんです。今までの三倍ほどの割合で。今のスタッフの数ではとてもさばききれないほどのペースです」
「そうなんですか。何か理由があるんでしょうか」
今までにも一時的に申込みが増えたことはあったが、いつも続かなかった。
「きっかけはSNSなんですよ」
「SNS?」
「小倉さんはミアをご存じですか?」
「ミア? なんですかそれ。名前ですか」
「歌手ですよ。歌手のミア。アルファベットでエムアイエーと書きます」
「すみません、僕、芸能人とかくわしくなくて。テレビとかあまり見ないんで」
「テレビには出ないんであまり顔は知られていないんですが、コアなファンが多くて、ライブやコンサートのチケットは発売数分で売り切れるそうです」
「へえ。その歌手がどうかしたんですか?」
「ええ、実は夏に西野さんのハグを受けていたらしいんです」
「えっ、そうなんですか」
「宮本セイラという本名でセッションを申し込んでいたので、私達もわからなかったんです。西野さんもどこかで見たことはあるなと思ったそうなんですが」
裕子からその話は聞いていない。キンモクセイも知らないのだろう。有名人が裕子のハグを受けたと聞いたら、ミーハーなキンモクセイならすぐ知らせてくるはずだ。
「あとでミアの動画をメールで送りますので、ぜひ見てみてください。彼女はもともとスピリチュアルな人でね。ハワイ出身で、レイキヒーラーでもあるそうなんです。彼女の書く歌や曲はヒーリング効果も高いようですよ」
「そんな人がどこでセッションのことを知られたんでしょうか」
「口コミです。ミアのスタイリストが最初に受講して、ミアに勧めたということです。受講者には、けっこうアーティストが多いんですよ」
永野はそこで一呼吸おいた。
「実はですね。調べましたら、彼女ずっと、うちとは関係なく、コミュニケーションとしてのハグをもっと広めようというハグ普及運動をしてきたらしいんですよ。イベントで、ファンを一人ひとりハグしたり、コンサートで観客同志をハグさせたり、ハグやスキンシップで親子や夫婦の絆を深めようというイベントを企画したりしてたんだそうです。それでね」
電話でなくzoomや対面で話していたら、ここでぐっと身を乗り出してくるんだろうな、と小倉は思った。
「実は彼女、来月からスタートするハガー養成講座の選考も通りました」
「それって、西野さんが初めて講師をやる、例の講座ですか?」
「そうです。さっきアメリカの代表から、メールが来ました。通ったのは二人だけなんですけど、その一人に入りました」
「えっ、素質があるってことですか?」
「驚きでしょう? もしミアが順調にハガーになったら、ハグセッションをもっと多くの人に知ってもらうチャンスですよ。西野さんにももっと、表に立ってもらわないとなりません」
「西野さんは気が進まないんじゃないでしょうか。目立つことは嫌いだっていつも言ってますけど」
「だからこそです。西野さんもそうですけどハガーはおとなしくて引っ込み思案な人が多いですから。でもこれからは、みんなのお手本になってもらわないと。アメリカでは、歌手や俳優、モデルやスポーツ選手にも受講者が多いです。ホルダーになっている人もいますよ。小倉さんは最近の、日本の若いアーティストの曲聞いたことあります?」
「いえ、よく知りません」
「ユーチューブかなんかで聞いてみてください。情報収集も大事ですよ。すーごくナイーブです。メロディやリズムでカムフラージュされてますが、歌詞に含まれるメッセージは恥ずかしくなるくらい優しくてまっすぐで、ピュアなんです。アニメやゲームとかもそうですけどね。愛とか、平和とか、この世界を守るとか。そういう若い世代に、僕はすごい可能性を感じるんですよ。彼らの優しい心、柔らかで繊細な感性、資質こそ、これからの時代を変えていく鍵になる。だからミアのような人や作品を通じて彼らにアピールすることが、すごく大事だと思うんです」
こんなに熱い男だっただろうか。小倉は電話の向こうで熱弁をふるう永野に戸惑う。最初に会った頃の彼は熱さのなかにも冷静さ、抑制を感じさせた。いつのまに彼のベクトルはこんなに外に向かい始めたのだろう。
(つづく)