長編連載小説 Huggers(48)
小倉は不信感を抱く。
小倉 7(つづく)
「ハグという行為自体、日本人にはなじまないっていう人もいますけど、だからこそ未知の可能性を秘めているんじゃないかって、僕は思うんですよ」
「永野さん、あなたの考え方には一理あると思います」
小倉は言った。
「これからの可能性については僕もおおいに共感します。人を助けたいと思いながら、様々な事情で外に出られない人たちにも、ホルダーとして世界に貢献する道もあるんだよって、僕も言いたいです。でも……急がないでほしいんです。性急すぎるという気がするんです。――そういう大々的なキャンペーンみたいなものは、このセッションの性質になじまないんじゃないでしょうか。ハグは、もっとデリケートに、細心の注意を払って守るべきものでは? ハガーもそうですけど、ホルダーたちもみなとても繊細で、エネルギー的にも優しく細やかな人たちです。世間の荒波にさらすのはもっと慎重にやっていったほうが、最初からマスメディアを利用するのはちょっと……」
永野はじっと沈黙していた。
「宣伝して広めれば、必ず反動が来ますよ。バッシングとか」
「小倉さん、アウェイクンドみたいなこと、言いますね」
その口調には、永野にしては珍しい苦々しさがあった。
「そのことについて、デレクは何と言ってるんです?」小倉は踏み込んだ。
少し間があった。
「――デレクはいま、アメリカに帰っています」
「デレクと何かあったんですか?」
答えはない。
「最近、永野さん変わりましたよね。何があったんですか」
「あなたには関係のないことです」
「関係ありますよ。僕はホルダーとして西野さんを守りたいんです。今までひっそりと、宣伝もせず口コミだけでやってきたのには、それなりの理由があるはずです。それを急に広告だの芸能人だのって」
「もうそういう時代じゃないんです」
「え?」
「今までは仕方ありませんでした。真実を受け取れる人が少数でしたから。でもこ10年ほどで人々の意識が変わり、受け取れる人が爆発的に増えています。一部の神秘主義者が真実をひとりじめにしてきた時代は終わったんです」
「ひとりじめって、そんなつもりは」
「つもりはなくとも、結果的にそうなっている。ねえ、小倉さん。人間ってそんなものなんですよ。平和や愛や悟りですら、自分だけの所有物にしたい」
「永野さん……僕、あなたのことがよくわからなくなりました」
「私は変わりませんよ、ずっと。シンプルです。ハグを広めたい、幸せを広めたい。それだけです。手段については、あなたと意見を異にするかもしれませんがね」
永野は知っているのだろうか。
メールに添付されてきたミアの公式サイトのURLをクリックしながら、小倉は思った。
自分の裕子に対する思いを。
テレビにはあまり出ないというミアはホームページの表紙にも、少し斜めをむいて空を見上げるソフトフォーカスの写真を使っていて、顔立ちは判然としない。生年月日は明記されていないがおそらく二十代後半から三十代前半。母は日本人だがハワイで生まれ育ち、アメリカの大学を出てからインド、ヨーロッパを旅し、現在は日本在住と書いてある。
アルバムも10枚近く出しており、ライブを中心に日本、ハワイ、米国で活動しているようだ。
オフィシャルブログ、と書かれた欄にカーソルを合わせ、ミアのブログにとぶ。教えられた日付をクリックすると「ハグセッション受けてきました~」というタイトルの記事が呼び出された。
「私もいろいろなヒーリング、カウンセリング、ワークショップにセミナーと渡り歩いてきましたが、今日でその旅も終わりです。
最初にスタイリストのえみちゃんから話を聞いたときは『ハグで幸せになる? それって私達がずっとやってきたことじゃない! 何をいまさら』って思った。
でもね、すごいよ、ハグの底力、再認識。
セッションをしてくれたハガーのNさんは、見た目はほんとにふつうの地味~な女の人なんだけど、中身はほんとにすごい人。
ハガーって何? ハグセッションって? と思われた方。待っててね。
これからおいおい、書いていきます。お楽しみに~」
その記事は「ハグ・セッション」というカテゴリーの最初の記事になっていた。
コメント欄の数字を見て驚いた。(381)とある。永野によると彼女のYouTubeには数万人の登録者がいるという。
おそらく本人は返信はおろか、コメントに目を通すひまもないだろうに、それでもまるで親友に対するようにミアちゃーん、という呼びかけで書き込みをしてくるファンの、彼女に対する親しみ、愛が伝わってきた。たぶん自分と同じくらいの年なのに、なんだろう、この包容力。才能あふれるアーティストとしての自信なのか。それだけではない、生まれつき人を引き付ける何かを持っているのだという気がした。
そんな女性にハガーの素質があれば、確かに永野の言うとおりハグセッションが脚光を浴びる日がくるのかもしれない。でも、それでいいのだろうか。脚光を浴びる、という言葉はハグに何かひどくそぐわない気がした。
疑問を振り払うように、自分のブログを開く。
小倉はブログで日記のほかに、シリーズでパニック障害を発症してからの自分史を綴ってきたが、一か月ほど前から、自分の子どもの頃のことを書き始めた。全体にオープンにする記事ではなく、昔からコメントで交流のある、20人ほどの一部の承認メンバーだけを対象にした記事だ。
なぜそんなことをするのか自分でもわからない。ものごころついてから小学生くらいまでの記憶は、できれば自分のなかから抹消してしまいたいはずだった。けれど、なぜかブログの仲間にだけはそれを聞いてもらいたいと思った。一度も会ったことのない、でも誰よりも安心できる仲間だった。
きのうの分にコメントが入っている。
「平太さん、そんなにつらいことがあったんだね~。読んでて泣いちゃった。書いてくれてありがとね。ふぁーふぁ」「平ちゃん、いっぱい大変な思いしてきたんだね。少しずつでいいから、続きを書いてね。ミオ」「ねむ猫さん、僕も養父に虐待されてました。共感します。続きを待っています。笑い犬」
「ふぁーふぁさん、僕のために泣いてくれたんですか~。感激です、ありがとう。少しずつ書いていきますね。平太」ひとつひとつにコメントの返信をつけ、それから今日の分を書き始める。自分の体調が悪かったりメンタルに落ち込んでいるときには書けないこともある。何日も間が空くこともまれではない。
「きのうの続き。当時、三つ違いのM(妹)は四歳で、今考えても可愛げのない子供だった。俺はMを憎んでいた。なぜならMは泣かなかったからだ。あの悪魔(養父)は夕方俺たちの母親が仕事に出かけると、ビールを飲んで俺たちをせっかんした。俺は泣いたが、Mは泣かなかった。ぶたれても蹴られても、ぎゃー、と声を出すことはあっても、泣かなかった。白目をむいて、養父をにらんだ。泣けばいいのに、と俺は思った。養父は泣けば満足するのにMが泣かないせいで、いつまでもせっかんが続いた。
俺はMが憎かった。妹を守るなどという考えはこれっぽっちも浮かばなかった。自分を守るだけでせいいっぱいだった。俺はいっそMが」
そこまで書いて、小倉の手が止まった。何の前触れもなく、何かがのどにこみあげてくるのを感じた。小倉はあわててキーボードを机の奥におしやり、顔をそむけ、コーヒー色の液体を床に吐いた。(つづく)
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