山
このあいだ、人に誘われて山に登ってきた。渓流の岩に座ってカップラーメンを食べた。川の水を温泉と混ぜた天然の露天風呂に入ったりした。
めちゃ楽しかったし、すごく疲れたし、疲れたことで元気がでた。
元気を出すためには体を疲れさせるのがいいのかもしれない。
山道を歩いているときに思った。
山道の地面は傾斜があるし、石とか木のねっこで、でこぼこしている。足首はそれに対応するためにいろいろと角度を変える。膝は曲がったり伸びたりする。腕も前後左右にぶんぶん振られる。足の裏は危険を察知するのがうまい。この部位たちの働きで、僕の体は垂直に保たれている。
これを繰り返すことが、元気をくれる。平らな道とはぜんぜん違う。平らな道を歩いているときは、体はそんなに動かない。腕もふられないし、足の裏も特に何も察知しない。それはスムーズに歩くためにつくられたものだから。道路では、自分が歩いているということを忘れている。
でも山道は違う。歩いている!と毎秒思う。
自分は歩いている!
それがだんだん、生きている!になってくる。一歩ごとに、生きている!生きている!という感じだ。
僕は生きている!僕は、生きたいという意志をもっている!僕は命である!
そんな宣言を、一歩一歩している。これは、前向きにならざるをえないではないか。
それからもうひとつ「つまづき」について考えた。
歩いていて、二回くらい転びそうになった。木の根っことかにつまづいて。そのとき僕に何がおきているのか考えた。
それまでに見ていた景色とか、頭の中にある不安な気持ちとか、ざわざわした感触が、すべて瞬間で吹き飛ぶのだ。
つまづきそうになったそのとき、僕は自分が持てる全ての力を使って、体勢を立てなおそうとする。体は変なふうに曲がるし、変な声は出るし、かっこわるいけど、そんなことにはいっさい構っていられない。
僕の体のすべてが一瞬で本気を出すのである。心臓も、頭も、足首も、腕も、肺も。その集中力たるや。他人という存在はすっかり消えて、世界に自分だけになる。
そうしてつまづきから立ちなおったとき、まるで新しく生まれかわったような気持ちになる。つまづきはrebornなのである。
書いていたらまた山に登りたくなってきたぞ。
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