哲学のテツガク
個人的史観
なんとなくイメージで昔は「まず宗教から哲学が生まれ、次にその哲学から科学が生まれた」と思っていた。哲学は宗教批判であり、科学は哲学批判である、という感じ。
だけどいつの頃からか、そうじゃないんじゃないかと思い始めた。
古代ギリシア哲学と近代哲学の発生順を追うと、宗教からまず「プレ科学的思考」が生まれてるように見えたから。
ギリシアなら所謂「ソクラテス前の哲学者たち」。タレスとかピタゴラスとか。近代ならガリレオとかケプラーとか。
なので「宗教」ではなくこの「プレ科学」に対する批判が「哲学」のような気がした。順番的にその方が合う。ギリシアならソクラテス、プラトン。近代ならデカルト。
プレ科学
妄想だけどタレスもガリレオも「神」は素朴に信じてたんではなかろうか。
「アナタハ、カミヲ、シンジマスカ?」
二人とも「え?ああ、はいはい、信じますよ」程度には。
ただ「興味はあんまり無い」。
彼らの思想がプレ科学的なのは、「宗教を批判」したからではなく「数字を駆使」したからだと思う。思想を数字で表現したのではなく、逆、「数字で表現」することが思想を決めた。
なぜ彼らが数字を駆使したかはまさに歴史で、自分には語れるだけの知識がない。ただ、①共同体と通貨、②船と星、が背景にあるとは思う。
哲学
世界を数字で表現する「プレ科学」への反発として「哲学」は誕生した。
「言葉によるセカイ系」を「守ろう」「維持しよう」としたわけだ。
つまり哲学の出自はもともと科学批判。宗教批判はおまけ。
今はそんな風に捉えている。
なので自分には、プラトンはデカルトにダブって見える。
自分のセカイ系
勿論、世界を語るのに言葉は必要。科学だって言葉を使う。
この記事自体も「言葉によるセカイ系」。
ただ自分が興味があるのはどっちか言うと「哲学」ではなく「科学」。2つを一緒くたにすると興味の無い方向にいってしまう。例えば「科学もまた物語である」論とか。
人の本や記事ならそれはそれで面白いんだけど、自分の思索したい方向じゃない。
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