最高裁令和4年4月19日判決―通達評価額を否認した課税処分の適否が争われた事案―
文責 @Taxlaw_study
令和4年8月31日脱稿
〔※本稿は、東京地方税理士会の会報誌「東京地方税理士界」774号(2022年10月1日発行)に掲載させていただいた論稿を転載したものである。〕
はじめに
借入をして購入したマンション2棟につき、財産評価基本通達(以下「評価通達」という。)による評価額(以下「通達評価額」という。)に基づいて相続税の申告をしたところ、課税庁が通達評価額を上回る鑑定評価額に基づいて更正処分をしたため、その課税処分の適否を争った事案(以下「本件」という。)について、本年4月に最高裁(最三判令和4年4月19日[1](金法2192号68頁、以下「本件判決」という。))が判断を示した。本件判決をいかに理解するかは、今後の財産評価の実務において不可欠と考えられることから、本稿では本件判決の判断に焦点をあて、課税処分が租税法律主義違反となるかを説示した部分(1)、課税処分が平等原則違反となるかを説示した部分(2)、及び、あてはめの部分(3)とに分けて確認しながら若干の考察を行う。なお、本件は実務界で注目を集めた事案であり、また、紙幅に制約があることから本件の事案の概要は割愛させていただく。
[1] 第1審は、東京地判令和元年8月27日(金融・商事判例1583号40頁)、原審は、東京高判令和2年6月24日(金融・商事判例1600号36頁)。評釈として、木山泰嗣「判批」税理65巻7号120頁(2022)、長島弘「判批」税務事例54巻6号36頁(2022)、谷口智紀「判批」税理65巻7号144頁(2022)、品川芳宣「判批」T&Amaster936号14頁(2022)、伊川正樹「判批」新・判例解説Watch租税法170号1頁(2022)などがある。
1 租税法律主義
本件判決で最高裁はまず、一方で相続税法22条《評価の原則》にいう「時価」を「客観的な交換価値」とし、他方で「評価通達」は行政内部の上意下達の命令で「国民に対し直接の法的効力を有するというべき根拠は見当たらない」として、鑑定評価額が「客観的な交換価値としての時価」ならば、これが「通達評価額を上回る」としても相続税法22条に違反しないとする。
この判断は、通達は法令ではなく行政命令にすぎず国民や裁判所を拘束しないとのいわゆるタキゲン事件(最三判令和2年3月24日(民集74巻3号292頁))での宇賀克也裁判官の補足意見[2]とも整合し、租税法律主義[3]の観点から相続税法22条による時価のみが法的効力を有することを最高裁として明らかにした点で意義がある[4]。
なお、最高裁は鑑定評価額につき時価であると「認められるから」とせず「認められるというのであるから〔傍点:筆者〕」と説示することから、鑑定評価額の時価該当性の適否の判断はしていないと解される。つまり、時価該当性の適否の判断は原審の事実認定を基礎としている。これは、最高裁が事実審でなく法律審である[5]ため当然のこととも言えよう。
[2] 宇賀克也裁判官は「通達は,法規命令ではなく,講学上の行政規則であり,下級行政庁は原則としてこれに拘束されるものの,国民を拘束するものでも裁判所を拘束するものでもない。」とする。
[3] 金子宏『租税法〔第24版〕』77頁(弘文堂2022)、酒井克彦『アクセス税務通達の読み方』3、56頁(第一法規2016)参照。
[4] 通達の法的性質に基づき通達評価額と時価との関係を明らかにした点に本件判決の意義が認められるとした論稿として、伊川・前掲注1、2頁。
[5] 課税価額を決する方法の問題という観点から時価の認定は単なる事実認定ではないとの疑義を指摘する論稿として長島・前掲注1、41頁参照。
2 平等原則
次に、最高裁は「租税上の一般原則」としての「平等原則」は「同様の状況にあるものは同様に取り扱われることを要求するもの」とする。平等原則は、行政執行上の平等[6]を捉えたものと考えられる。さらに、最高裁は「評価通達」を「相続財産の価額の評価の一般的な方法を定めたもの」として「課税庁がこれに従って画一的に評価」することを「公知の事実」とする。
評価通達に従った課税庁の画一的な評価を「公知の事実」と最高裁が捉えた点は、意義深い。なぜなら、このことが通達評価額を上回る評価額で課税庁が課税処分を行うことを原則として認めないとの最高裁の判断の布石となっているからである。すなわち、最高裁は「課税庁が、特定の者の相続財産の価額についてのみ評価通達の…価額を上回る価額によるものとすることは、たとえ当該価額が客観的な交換価値としての時価を上回らないとしても、合理的な理由がない限り、上記の平等原則に違反するものとして違法というべき」とするのである。これは租税法律主義と法執行における租税平等原則がトレードオフ関係に立った場合において最高裁が後者を優先することを明らかにしたものと捉えることができる[7]。
ただし、最高裁はこの原則に対して例外があることにも言及する。すなわち、もし「評価通達…による画一的な評価を行うことが実質的な租税負担の公平に反するというべき事情がある場合〔傍点:筆者〕」は、「合理的な理由のある」例外と捉え、通達評価額を上回る財産の価額による課税処分も「平等原則に違反するものではない」とする[8]。つまり、最高裁は、原則は、通達評価を上回る価額による課税処分は「平等原則」に違反するとしながら、一定の「事情」がある例外の場合のその課税処分は「平等原則」に反しないとするのである。この場合は租税法律主義と租税平等主義とが相互に矛盾しないという点は興味深いので指摘しておく。
なお、最高裁は平等原則違反の事情につき、「実質的な租税負担の公平に反するというべき事情」としか言及しておらず、この例外として「事情」の存否の判断基準を規範として提示したとは言い難い。本件では、次のあてはめでこの「事情」の存否が判断されている。
[6] 金子・前掲注3、96頁。
[7] この点、両者の優劣が争点となったいわゆるスコッチライト事件(大坂高判昭和44年9月30日(高民集22巻5号682頁))も後者を優先している。さらに、本件判決の裁判官である宇賀克也名誉教授が同事件の判例評釈(同「不公平な課税処分と処分の適否―スコッチライト事件」別冊ジュリスト228号21頁)で「租税法律主義と租税平等原則が拮抗関係に立った場合、後者が優先されるケースが皆無とまでは考えない。しかし、それはきわめて例外的場合に限られるべき」とされている点は興味深い。
[8] 第1審、原審や過去の下級審裁判例が「特別の事情」としていたところを単に「事情」とした本件判決の射程は広いと示唆する論稿として木山・前掲注1、121頁を参照。本件判決により、時価が通達評価額よりも低いとの納税者側の主張が肯定される得るとする論稿として、長島・前掲注1、40頁参照。
3 あてはめ
最高裁は、あてはめにおいて、まず「通達評価額と…各鑑定評価額との間には大きなかい離があるということができるものの、このことをもって上記事情があるということはできない」とする。この判断も意義があるといえよう。つまり、通達評価額と客観的交換価値と認定された鑑定評価額との間に大きなかい離[9]があることのみを根拠としては、上記の例外としての「事情」には該当しない点を最高裁が明らかにしているからである。すなわち、通達評価額と客観的交換価値とがかい離することは一定の事情には該当せず、そのかい離のみを根拠する課税処分は違法と解される。
むしろ、最高裁は評価額のかい離よりは、本件では、①一定の「行為」の存在が租税負担を著しく軽減している事実、及び②被相続人及び相続人の租税負担の軽減を意図した行為の実行という2点に着目している。
まず、最高裁は「本件購入・借入れが行われなければ…課税価格の合計額は6億円を超える…にもかかわらず、これが行われたことにより、…相続税の総額が0円になるというのであるから、…相続税の負担は著しく軽減されることになるというべき」と、一定の「行為」の存在が税負担の軽減をもたらす事実を例外としての「事情」の存否の根拠の1つ目と捉えている。
そして、最高裁は、「被相続人及び上告人らは」とその主体に言及した上で、「本件購入・借入れ」が「近い将来発生することが予想される…相続」で「相続税の負担を減じ又は免れさせる…ことを知り」かつ「これを期待し…あえて…企画して実行した」として、被相続人及び相続人の「租税負担の軽減をも意図」した行為の実行を例外としての「事情」の根拠の2つ目と捉えている。
つまり、最高裁は、①一定の行為が租税負担を著しく軽減した事実、並びに、②被相続人及び相続人が租税負担の軽減をも意図した行為の実行との2つを例外としての「事情」がある場合の根拠としている。
以上の2点を根拠として最高裁は本件の不動産につき評価通達による「画一的な評価」をすることは、「購入・借入れのような行為をせず」又はその行為を「できない他の納税者」との間に「看過し難い不均衡を生じ」、これが「実質的な租税負担の公平に反するというべき」として[10]、例外としての「事情」があり、したがって、本件の不動産を評価通達による価額を上回る価額で課税処分したことが「平等原則」に違反しないとした[11]。
[9] かい離の原因が土地だけでなくむしろ建物の通達評価額と時価のかい離にあることの指摘につき、品川・前掲注1、19頁を参照。
[10] 「できない他の納税者」との不均衡を平等原則と捉えることへの批判として、長島・前掲注1、41頁、谷口・前掲注1、150頁を参照。
[11] 本件判決につき、平等原則違反の有無を判断するための事実関係を審議させるために原審に差し戻すべきとする論稿として、谷口・前掲注1、151頁を参照。
結びに代えて
以上のとおり、最高裁は本件判決の前段で租税法律主義の観点、後段で租税平等原則の観点に言及して、課税庁が特定の者の相続財産についてのみ通達評価額を上回る価額による処分をすることは合理的な理由がない限り「平等原則」に違反して違法との原則論を明らかにした。すなわち、これは租税法律主義と租税平等原則がトレードオフ関係となっている場合に後者を優先したものと評価できる。
他方、最高裁は「画一的な評価を行うことが実質的な租税負担の公平に反するというべき事情」がある場合は、原則論を取らない例外として「平等原則」に違反しないとする。すなわち、この場合は租税法律主義と租税平等主義とが相互に矛盾しない。ただ、最高裁は本件判決で、この例外としての一定の「事情」の存否の判断基準を規範として提示したとは言い難い。それゆえ、今後の財産評価の実務において通達評価額と時価とに差異があると認められるケースでいずれの価額を採用すべきかとの判断には困難が伴うといえよう。
とはいえ、最高裁があてはめで、評価額のかい離があるだけでは例外的な一定の「事情」には該当しないとした点は今後の実務上の判断の手掛かりとなろう。また、最高裁が、①一定の「行為」が租税負担を著しく軽減する事実と、②被相続人及び相続人が租税負担の軽減を意図した行為の実行との2点を例外としての一定の「事情」の存在の根拠とした点も参考となろう。
これら最高裁が示した諸点は、今後の類似事案にも及び得るかという射程の問題として重要であるが、その解釈にはより慎重な検討が求められよう。今後発表されるであろう調査官解説、各学説の見解並びに類似の裁判例なども注視しながら、この点を別の機会に取り上げたい。