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終章 109の鹿

63 砂嵐のなかに潜む影を見つけよ

王とロッキーにはとんでもない拷問が加えられた。彼らはかなり我慢していたが、人間の意思を飛び越える技が使われると、それは万里の長城を通り抜けて、4人組の元に渡されるのだ。

「おれたちは表層的なものなんだ。深層はもっと違うところに隠されている……。それは意外なところに隠されている。そうだ。ええ、そんなところかいな、というところだ。もちろん渋谷の中だ。これが限界だ。これ以上はいえないようなシステムがおれの中にほどこされているんだ。影絵芝居。おれたちは影絵だ。操り手のいる影なんだ。だれが操っているかって? それは言えないように仕込まれている。おれだって言いたい。この地獄から解放されたいよ。でも言えないようにおれは改造されているんだ」これが王の最期の言葉になった。彼の遺体は損傷がひどく、その場で井戸の下に落とされることになった。

老人たちは王座の間で、宴を始めた。解放された彼の妾どもと一緒にポルカを踊った。妾どもはどれもこれも成長していないガキの娘だった。制圧した城の頂点からながめる風景はとってもよかった。特にオオハラらにしたら格別だろう。いまいましき敵をぶったおしたからだ。もちろん彼らは鼻の先っぽを白くしながら朝まで「葉隠組、やってやるぞ」をうたった。彼らはもうかなり満足できた。

でも、 王国は問題なく機能している。その核心部分は「近くの意外なところ」に隠されている。4人組はまだ何も手にしていないのだ。

 

4人組がしたのは〈渋谷王国〉のサーバーの中身を再び洗い出すことだ。情報の9割がガラクタと言われる。それまではガラクタはゴミ箱に直行だった。そのぱんぱんになったゴミ箱をさらい直す作業だ。

やれどもやれども何にも見つからない。砂嵐の吹き荒れる砂漠に潜む影を探している。それがあるのかどうかもわからないのに。これにグループは4日かけた。ナボコフはずっと街の様子を探る役割を担った。その間、王国の手足はなにごともなく機能し続けている。何にも変化が起きていない。気持ちよく運動しせっせと汗をかいている。じゃあ渋谷城はなんだったのだろうか。ただの目くらましだったんじゃないか。そういう疑問を思い浮かべたくなる。人々の目を逸らすために造られたハリボテではないか。もっと大事な部分は別のところにある……。

この考えはすぐに共有された。残りの3人はそのデータの海のなかに潜り込んだ。その視界は悪く、相変わらずガラクタだらけだ。でも、素晴らしい部分がある。荘厳な静けさが満ちていることだ。世界とかなり激しく隔絶されている。潜る間、心は自分が行うことから離れ、一筋の光が指す暗い世界にいる。それはものすごい感覚だ。

やがて見えてきた。

砂嵐のなかに潜む影はどうやらある。ただ普通にやっても見えやしない。ずっと立ったまま、一点に目を凝らしたままにしていれば、それは十数パーセントの確率でうっすらと漂い始めるのだ。それは密やかに渋谷王国銀行とやりとりをやっている。誰の目も届かぬところを選んでいる。どんな角度から見てもやりとりの内実はきれいさっぱり隠されていた。そこまできれいに隠されれば疑りたくもなる。ゴミ山の中から一つの紙切れを探し当てるような努力で、彼らはついに行き当たった。

彼らの居場所についてこう言っている。

2―29―1 道玄坂 渋谷

64  雨が強く降りしきる

 

細長いポールが全面にたった未来的なデザインの銀色の建物。

カリスマ的な女性がカタカナのファッション語をわんわん叫んでいた。アメリカのポップミュージックががんがんかかっている。最新のファッションに身を包んだティーンエイジャーの女の子がじゃんじゃん回遊している。

まるで水族館のトンネル水槽にいるようだ。泳ぐのは可憐な少女たち。触ったら割れてしまいそうなデリケートな陶器のような。少女たちは一人一人服装がかなり違う。顔も違う。メイクも違う。髪型も違う。仕草も違う。そのすべてに手が入れられている。つくりこまれている。精巧なのもあるしおかしいのもある。自分が元あった姿をしている女の子なんていやしない。皆「何か」を演じている。演じる「何か」のイメージはある。常にあり、常に揺れている。イメージは洗練され強烈だ。でも彼女たちは絶対にその「何か」には辿り着けない運命にある。だって「何か」はイメージだから。虚構だから。うそだから。それはもともとありもしないものだからだ。

そういう虚構と戯れている彼女たちは、自分と外界の間に何か固いプラスティックのごときものを挟み込んでいる。それが彼女たちの傷つきやすい心を守っている。いつもさびしい。何かが足らない。相手が見えない。自分すら見えない。欲望に名前をつけられない。コップ一杯の消費を飲み込んだ後味。妙な苦みが残っている。恐ろしいまでの表層だけをかすめとるだけの感覚が体中を浸している。つらい。まいっている。もう何もかもをやめたい。でも、その抜け道を見つけられない。それは密やかに大嵐を待っている。すべてをぶちこわしてくれる何かを探している。

こぎれいだけどちょっと雑然としたフロア。人々の消費の熱気を逃がす排気口が意図的に取り去られているんじゃないだろうか。むんむんとして息苦しい。人は少しだけ躁状態になっている。そこでは古いポップソングがかかっていた。パフュームというガールユニットの「セラミックガール」というヒップな曲だ。それはこう歌っている。

  素敵な服を着て買い物に出掛けて

  あたりまえのように刺激的で

  だれかが思いついた人工の夢いっぱい

  なにか違和感に気が付いた

  柔らかできれいなスタイルでキラキラ

  あの子みたいにかわいくなれたら

  新しい世界で毎日夢いっぱい

  たぶん でもね 私は

  セラミックガール

そこはティーンエイジャーの女の子のショッピングスポット「109」だ。あの住所はここを差していた。それ以外に手がかりはない。テキはどこにいる。この無数のこじゃれた店のどれかなのか。だが、ここはジャングルみたいで何が何だか判然がつかないじゃあないか。ちょっといるだけでめまいがする。「ぼくは、いったい、誰だ?」。そんな感じだ。「おまえは、いったい、どこから、来た?」そうだ。自分が誰だかわからなくなるんだ。「わかる感じ」が喪失する。モードにうまくなじめない。そう、白いダブルスーツを着たVは完全に浮いていた。おじさんは戸惑いながらも「すっげえところだな、おい。いまどきのガキはこんな服を着やがるのが、すげえなおい」と野太い声を出した。飛んだり跳ねたりしてその異空間を楽しんでいる。ディズニーランドに来たガキみたいだ。ディズニーランド。あそこあそこでとんでもない世界だ。宇宙人が地球を侵略したら、あそこの敷地まるごと標本にして飾るだろう。「人類はこういうのをつくるのが好きだった」とかぬかすんだ。

少女たちは間もなくそのおやじを見つめ始める。まるで韓流アイドルがいるみたいだ。ただ視線は完全にネガティブだ。通り過ぎる表情、表情、表情、どれも曇っている。「なあにあのおやじ〜まじいけ好かない〜」。そこは誰かのお父さんが入ってくる場所じゃあない。どんな中年の入場もお断りだ。ティーンエイジャーの聖域なのだ。「ドント・トラスト・オーヴァー・トゥウェンティ」の世界だ。彼は聖域を置かしている悪霊だ。殺されてもしょうがない。

4人組のメンタリティはジャングルに迷い込んだ探検隊のようだ。遠巻きに見つめる少女たちは森の生き物たち。探検隊と生き物たちは言語が違う。通じ合わない。探検隊は生き物たちのことがよくわからない。ジャングルの構造だって謎に包まれている。自分が進んでいる方向が確かかわからない。彼らは何を探して良いかさえわからない。

現代の都会的事象だがジャングルにはやはり無数の監視カメラがある。カメラのレンズの表面は沈黙して何も語らない。カメラの映像はビルのなかのいくつかの装置で統合されている。映像は閉鎖的なネットワークを介してそこにいなくとも、彼らを眺めることを可能にできるのだ。カメラも人目につくものと環境の中にカモフラージュしているものがある。

それをつかって眺めているのは誰だろうか?

突然それは起きた。白に近い金髪の少女。ビビッドな装いだ。ピンク色のすごい短いスカート。無数のどくろをあしらった白黒のタイトなヨットパーカー。アイラインをめっちゃ引きまくった、鋭い目もと。青いカラーコンタクトをつけた瞳。ぴんとたった睫毛。「わたし、あなたたちのこと知っています」。彼女は「こっちにきて」と彼らを連れて行く。6F。背の高いまるで角材でできたような細い女がいる。 ジャクリーン・ケネディのようなゴージャスな髪型にヒョウ柄のジャケット、胸元がずばっと開いたカットソー、巻きタオルのような短いスカートという着こなし。胸に「みゆ」とひらがなで書かれている。店員のようだ。どこかの国の国防長官のようにものすごい険しい顔をしている。

彼女はVの耳元にこうささやいた。機能的な声だ。

「あなたたちはつけられている。遠くから見ているやつらもいる。それはとても危険な状態だ」

「まじかよ、全然気づかなかったぜ!」白いダブルスーツがそういった。「彼なりの冗談なんだ」

スーちゃんが付け加えた。

「こっちに来なさい」

彼女は4人組を彼女が働く店の奥に引きずり込む。レジに入るギャルと目を合わせる。ギャルは要塞を守る陸軍兵士のように周りに警戒の目を走らせた。奥まったところにある試着室へと連れて行く。外からは見ることはできない。3つあるうちの1番奥の試着室。そこに4人を押し込んだ。小さなマシンを彼女はもっている。それは電動リール(電動で釣り糸を巻き取ることができる機械)を4倍ほど、かぼちゃの大きさまでにしたものだ。

「それはなんだね?」Vがきいた。

「秘密よ」

女の口はものすごく固かった。神社にある獅子の表情をして、追加の質問の余地を与えなかった。職人的な寡黙さをまとう。取っ手を右手がしかとつかんだ。緩慢にまわし始め、速度をゆっくりと上げていく。蒸気機関車が出発進行する時の車輪の動きのようだ。彼女の右手の回転がかなりの速度に達すると「ピピピピピ、ピピピピピ」と電子音を鳴らした。ぶるぶるとバイブレーションが作動し、いくつかのパネルの光が点滅している。「サーベイランスロンダリングを終了致します」と全自動雀卓的な声を出すのだった。

「これであなたたちの受けていた『監視』のリンクは一度ほどかれたわ。でもあれはハイエナのような鼻を持っている。すぐにあなたたちを見つけてしまうでしょう。だから急ぎましょう」

彼女は全身鏡の下の部分を押す。すると60センチ四方の正方形が、猫の通り道のように開いた。

バックヤードに出た。「外」がうそのように殺風景なコンクリむき出しの廊下が浮かぶ。いろんな設備、備品が少しばかりくたびれている。段ボールがいっぱい積み重なり疲れた顔をした店員がかつかつと歩いている。

その背の高い女は言う。「これであなたたちは少し時間を稼ぐことができた。でもすぐに奴らは嗅ぎつける。やつらは泡を食っているところだ。でも、すぐに立て直してくる。あとはキミが導くんだよ」妖精のような小さな女の子を指差した。可憐な少女は操り人形のようにこくりとうなづく。

「ねえ、あなた方、何者?」スーちゃんがきいた?

女は完全に無視する。完全さの手本のようだ。台詞をはいた。「わたしはここでもう少しだけ時間を稼ぐ。少しでも可能性を上げなくてはいけない」彼女はそういうとまた職人的な寡黙さを漂わせて猫の通り道を引き返した。びしっとした神経質そうな背中が見えた。

「こっちよ」

可憐な少女は声を上げる。階段で地下二階まで降りる。4人の足音が天然のミニマルミュージックをつくり上げる。まるでゲリラを撃退するためにしつらえたジグザグの廊下を20メートル進んでいく。従業員用の狭い女子トイレがある。無理な消臭剤がにおい、タイルの間の溝がかなり汚れている。その一番奥の個室に5人が入り込んだ。ものすごい狭い便器を据えた壁がぐるっと回転した。

 

 …………。

 ………、…………。

 暗い場所。

 そう暗い場所がある。そこは完全な真っ暗だ。

 光の量は0。

 それから静寂―。

 それだけしかない。

65 邂逅

その暗闇の中のなかに、ぼこっと浮き出た空間がある。木造の納屋だ。奥行きとか立体性とかがまるでかけている。真っ黒の方眼紙の上に納屋の写真を張ったみたいだ。よくみるとそれは歪んですらいる。しかも微妙に揺らいでもいる。なにもかもがリアルじゃない。そう、なにもかもがりあるじゃない。

Vはその引き戸を引くことに成功した。4人は納屋の中に入った。中もやっぱり奥行きのない平面的な様子だ。暖炉の中の火なんて幼稚園児がクレヨンで書いた絵みたいだ。煙突なんて天井に煙突の絵を書いたようだ。

でも、そのなかでとても立体感のあるものがいた。それは鹿のビジュアルである。

「やっとこさ辿り着いてくれたな。君たちのことを待っていたんだ」

〈渋谷鹿〉は言った。彼は何の変哲も無い鹿だった。首に鉄の輪がはめられ、鎖で「10トン」と殴り書きされたスイカ大の鉄球にくくりつけられていた。その「10トン」のニュアンスの愚かしさと言ったら目を覆いたくなるほどだ。

鹿には白い毛がたくさん生えている。しわのたまった目尻も崖崩れ寸前だ。老いているんだろう。表情は「もうどうにでもしてくれよ」というふうにうんざりしている。鹿は緩慢に立ち上がった。異様な落ち着きぶり、あるいは何かしらの達観に達している。ただその足は生まれたての子鹿のようにがたがたと震えた。長い間立ち上がる機会がなかったのだ。

彼は深い絶望にとらわれきた。やっといま一筋の光が指したばかりなのだ。状況の変化に自分が追いついてこれていない。「ぼくはかなりの時間をここで浪費してしまった。これは大きな間違いだ。間違いをもたらしたのは奴らだ。彼らが見えない手を使ってぼくの時間をこんな墓場のような場所で浪費させたのだ」

鹿はどっぷりと深いため息をついた。「だがそれももう終わったんだ。なあ、そこの斧を取ってくれたまえ」彼はアゴで壁に据えられた斧を指した。斧は歯が赤く塗られ、ずんぐりと重そうだ。「それでぼくをこの鉄球から自由にしてくれないか」。

Vは斧を取り外して鹿の前に立った。「そうか、そうか。あんたの言いたいことはわかったよ。あんたの言ったことをやることにするよ。つまり『生きて虜囚の辱めを受けず』ってやつだな」

「『生きて虜囚の辱めを受けず』?」

「そうだ、それに決まっている」Vは斧を振り上げて鹿の体に強く降りおろさんとする。その肉を今にもひきちぎりそうだ。ばっ、ばか! やめろ! 鹿が絶叫した。周りも止めに入ろうとする。斧はスローモーションでどんどん近づいた。あいにく斧は鹿の体の数センチ手前でぴたっと止まった。止まった。

「なんちゃってな」

Vがにんまり笑う。「お約束だろう、こういうの?」

全員が瞬間冷凍されたマグロのようになる。鹿が首をぶるぶる振った。「ふう、まったく面白くないな。まったく面白くないよ。こういうの!」鹿はまた首をふりまたため息をついた。うんざりとした顔をする。「こういうシリアスなときにそういうのは良くないよ、あんた! 時と場合をわきまえてくれよ」

「わかったよ、馬鹿野郎!」

斧は振り下ろされ鎖をぶっちぎる。弾みで首の輪っかも外れた。

〈渋谷鹿〉は生まれたままの姿に戻った。彼は納屋の中をじっとりと歩き回り、自分が解放されたという事実を、ゆっくりと自分の中の事実にも染み込ませていった。それが一段落すると立ったり座ったりもしてみた。自分の体のすべてを一つ一つ丹念に眺めていった。彼は自由という事実にかなりたじろいでいるのがわかった。しかし、そのたじろぎは強い意志によりベルリンの壁のようにとりさられる。

「ぼくは自分の境遇を悲しんでいるよ。『役割』が与えられなければこんなふうにはなってはいまい」鹿は言った。「でも、悲しがってばかりいるのはばからしい。さあ、これまでのいきさつを教えてもらおうか。ぼくが導くのはだれかな?」

「この女だよ、鹿じいちゃん」Vは青のことを指した。女は例によって氷のように動じなかった。

「そうね、わたしらしいわ。どうやら」 

(完)

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