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3章 大学生

「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい」夏目漱石『草枕』

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ごめん、ものすごく出たがりだと思わるし、実際のところ、そうなんだけど、ちょっとそういう必要があるから、でてきちゃったこの小説の筆者、吉田拓史です。

ぼくが小説を書くのはこれが最初じゃない。変わり者過ぎて、周りに馴染んでいるふうに装うけど、変な感じで浮いている気がしていた高校三年生のときから、書いてきた。最初に書いた作品は、もう手元に残っていない。今考えると、どうにもこうにもひどかった。それからも、ナイーブな表現主義的な、あるいは実存主義的な作品をいくつか書いて、すぐさま行き詰まった。自分の中が空っぽだって気づいてしまった。

少しの間、沈んでいたが、結局のところ、若者のエネルギーはとどまる所を知らない。古今東西の名作を読んでみるなかで、ぼくはマジックリアリズムと呼ばれる手法に傾倒することになった。

ガルシア・マルケスの『百年の孤独』は最高の傑作だと思った。幻想の大家ボルヘスも大好きだった。そして、建築家の伯父さんから薦められたスティーブ・エリクソンはぼくの人生を変えたと言っても過言ではなかった。スティーブ・エリクソンに関しては、アメリカ・ロサンゼルスに渡って教えを乞おうか自問した。彼は日本の雑誌によるインタビューで、夏目漱石の『こころ』をフェイバリットに上げていた。ぼくも『こころ』を呼んで、涙腺がくすぐられるタイプの人間だ。エリクソンは日本の作家にも多大な影響を与えているけど、最も影響を与えたのは間違いなく、ぼくだ。

で、話はちょっと変わるけど、ぼくはなぜか、将棋の天才、羽生善治の言葉を手がかりにこの小説を書き始めたのだ。将棋と聞いてムズカしそうだなって考えないでほしい。ところてんを食べる前のように肩の力をぬいてほしい。

「現代は、知識・情報・データが山のように存在している。それらのうちどれを選択して、どう活かすかという以前に、”取捨”すること自体が大変な作業になっている。しかし、それは決断に不可欠な要素である」(『大局観』第一章大局観)
「プロ棋士であれば、三十分とか一時間とか、ある程度の時間を費やすことで、一〇〇手でも一〇〇〇手でも『よく考える』ということだけであれば、できるようになる」(『直感力』第一章直感は、磨くことができる)
「体力や手を読む力は、年齢が若い棋士の方が上だが、「大局観」を使うと「いかに読まないか」の心境になる。 将棋ではこの「大局観」が年齢を重ねるごとに強くなり進歩する。(中略)判断するための材料がたくさんあるとそれだけ迷いやおソロの生じる可能性が高くなるからだ」(『大局観』第一章大局観)

ぼくは情報を集めて分析するという仕事を続けてきた(小説家になるために回り道をしたんだ。急がば回れっていうだろ)。そしてこの羽生さんの言うことにはいちいち、背筋を伸ばしてうなずかざるを得ないのだ。何かが起こったとき、要因を探ると、そこには無数の不確実な要素があったことがわかる。

もしこれから何が起きるか探るならば、それぞれに相関する無数の要素を相手に悩まないといけない。そいつらがどう、この結果に関与したのか……。

正直、大学入学試験のような答えなんて出てこないんだ(そんな勘違いを抱えたまま大人になっている人がたくさんいる。特に霞が関や伝統的な大企業らへんで顕著な傾向が見受けられる。彼らが成功しているのは、不確実性への対処能力ではなく、既得権益を牛耳っていることに由来している。それは賢くて静かな人たちにとって当たり前のことだ)。

モノゴトをわかりやすい物語に変換すると、いろんなところで良い仕事をしたってほめられる。プレゼンでものごとをわかりやすいロジックに当てはめて語った、「グッジョブ」。報告書もテンプレートに従った読みやすい形式にまとめた、「グッドジョブ」。大統領選挙である候補が勝利した背景を、戦略や人々の意見の動きに見いだして語った、「グッジョブ」。

でも、本当かな。

うそなんだよな。

その物語は現実とはまったく別物っていってもいい。現実はえらく複雑でとらえどころがなく、いろんな角度から見ると毎回違って見えるんだ。物語みたいに単純じゃあないんだ。われわれは何も知らない。これから何が起こるかもわからない。現実の巨大さのまえでは、われわれは小さな、小さな存在だ。ぼくはこう思っている。

なんで、ぼくは、将棋の表現を借りれば「読みを切る」ことにした。もう、すべてを知ろうとしてデータを溜め込んで分析していっても、キリがないぜ。

だから、この小説では「ぼく」という一人称から語ることにする。この巨大な宇宙の中で、素粒子のように小さいぼくからだけ見える景色を話すのだ。ぼくだけの本当に狭い視野なので(というか、人間はそれ以外をもっていない)、わかりやすく語ることができるだろう。それからぼくと彼が重なり合っていることにも触れておく。その解釈はもちろんあなた方におまかせする。

そのぶん、この話はフワフワとしたものになることは避けられないかもしれない。それは秋の日の風に舞うスーパーマーケットのマークが印字されたくしゃくしゃのビニール袋のようなものだ。ただよい、行き場を失い、最後には忘れられるだろう。

ぼくはそれで構わないと考えている。

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ぼくはいまこの小説を香港のぼろい旅店で書いている。この「ぼく」は30歳じゃない。もっと年をとっておっさんになった「ぼく」である。でも、心身ともに健康そのもので、まだまだ情熱は燃え滾っている。ぼくはまだ自分に満足できないでいて、新しい目的に向かって全力で走っている。おそらく死ぬまでそうやって生きていく。そうじゃないと退屈してしまう、そういう性分なのだ。

旅店は繁華街のビルの4階の2室をくりぬいてつくってある。部屋は四畳ほどの広さしかない。地価の高騰を考えるとかなり安い値段で頑張っているようだった。

その部屋は追憶に余りにも適しているということだ。窓の外には香港のどうしようもない喧噪が飛び交っている。だけど、建物自体にはひっそりとした静寂が棲みついている。老朽化したパイプを下る汚水がたてる音が聞こえる。それからバンドがリハーサルをやっている音も聞こえる。だけど、それらは砂漠のサボテンのようなものだ。他に音はないのだ。まるで香港からちぎりとられたみたいな静けさだ。 

マンションにはいろんなものが入っている。

まさかのメイド喫茶だ。ピンク色のハートのマークの看板に「MUA」って書かれている。ピンクと白でできた服を来ている彼女たちの集合写真が飾ってある。みなこの世のものとは思えない表情をし、プラスティックでできた村上隆の人形のような顔つきをしている。歳はまだ十代の半ばだろう。ぼくは歳を重ねてロリコンの傾向が出てきている。多くの友人もそれは認める所だ。

ぼくは勇気を振り絞っていってみた。香港人のメイドは、メイド喫茶発祥の地、日本からきたぼくにとって、余りにも異国情緒あふれていて、正直大好きだった。ぼくは彼女たちのボーイフレンドになる夢をつかの間見たけれど、彼女たちが暮らしている世界は、どうやらぼくのいる世界とは、テレポーテーションが必要なくらい、はなれているところだった。

再び追憶に戻ろう。いまではぼくは多くを知っている。ぼくの奇想天外な人生において、あのころは本当に素晴らしい時期だった。大学時代の話である。

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くらーいくらーい、悲しみと屈辱にまみれた浪人生活が終わろうとしていた。あの時代は吐き気がするくらい嫌なことがたくさんあった。多くの偉人たちが、挫折の大切さを説くけど、周囲の人間が挫折もせずに、高速道路を進んでいくの見ている中で、深い森を貫く、蛇行する道路を行くのは、最悪だ。ぼくは完全なまでにひねくれ、女の子にはふられまくるし、バイト先では、役立たずの烙印を押され、東京の予備校では、埼玉県から通っていることを絶えず馬鹿にされるのだ(江戸時代かよ、まったく)。人生の中でも最悪な時期のような気すらする。

それでも、ぼくは走り続けた。その結果、夏の淡い予感がぶっ壊れ、秋がシリアスさを連れて来て、ものすごく長く感じられる冬が終わろうとしているころには、アマゾン大学(ハイテク企業じゃないよ)の9つの学部を立て続けに受験して、8つの学部から合格証書をゲットした。そのうちのいくつかには、奨学生待遇もあった。徒労と思える受験勉強に資源を投入したかいは少しはあったのだ(これらの知識は後に全く使わなくなったけどね)。

でも、悲しいことに、ぼくが行きたかったのは、唯一受からなかった一つの学部なのだった。それは文学部で、ぼくはそこの映像学科に所属し、ミュージシャン→映画監督→小説家、という道を歩んでいくことを夢見ていた(かなり本気だった)。

だけど、それもかなわぬ夢となった。だけど、季節は春が近づき、初期のレディオヘッドにみられるような内省的な気分がほぐれていくに従い、ぼくは現実を受け止めることができた(レディオヘッドの『キッドA』をよく聴いていた)。

ぼくは政治経済学部というまったく、ミュージシャン・映画監督・小説家のトリプル志望者とは相容れない学部に入った。その学部は「日本一楽勝に卒業できる」と噂されていたことと、後々何かやるときにまあ、そこを卒業するのも役に立つだろうという打算に基づくものだ。

ぼくは結局、早々と幽霊学生になった。学生をそうさせないためのあらゆるセーフティネットがあるはずだけれど、そのすべての網を突き破ったのだ。バイトとバンドに打ち込む日々は、4人めのドラマーが命からがら脱退を遂げることで、ぶっ壊れ、ぼくは行先を失っていた。

それは夏で、ぼくは3年生だったが、わかりやすいエリートになりたい学生が好む、インターンなんか、歯牙にもかけないし、就職活動みたいなことはマジでやりたくなかった。ぼくはオンボロアパートの天井を眺めながら、宇宙と自分の関係について、深く考え込んでいた。


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ぼくには親友がいた。それはもちろんバンドのメンバーなんかじゃない。バンドの奴らとは「音楽性の違い」を理由にどろどろの関係に陥っていた。音楽という人間の好悪がむき出しになるもので、良好な関係を築ける相手は限られており、われわれは互いにミスマッチなまま、デスロード突き進んでいたのだ。

で、親友というのはアサクラだ。アサクラは戦前は陸軍学校だった、むさくてまあまあ自由な男子高のクラスメートだったヤツで、ぼくと同じように浪人し、リスクヘッジという名のもとに、片っ端からシッチャカメッチャカに受験した結果、全然ガラにあわないミッション系大学にかよっていた。彼はタバコも吸わないし、酒だって1杯飲めばクルクルしてくる。そんな彼が、クレイジーな友達たちに囲まれていたぼくにとって、素晴らしい相手だったことは言うまでもない。

われわれは名画座に行って、2本立ての両方を観た後、カフェでカフェインの力を借りて、つばをわんわん飛ばして、3時間くらい激論を戦わせていた。周りの人達はぼくらのことを気が狂ったやつだと確信していただろう。

ぼくとアサクラは、大学にごまんといる俗物どもを本当に嫌っていた。ふたりともどうしようもなくひねくれ、全然モテないし、おそらく素晴らしい就職先にもありつけられないことを知っていた。

なにしろ、完全にメインストリームから外れていたからだ。

江戸時代から何も変わっていないその国は、メインストリームにいる奴がそのまま既得権益の上に寝っ転がれるように、静かにできているのだ。ぼくとアサクラもうまくやれば、その上に寝っ転がれたけど、大事なものを捨てて、馬鹿みたいなマイホームパパになり、郊外のマンションのローンを30年かけて払いたくもないし、週末は車で家族揃ってショッピングモールなんかに行ったら、レディオヘッドの DVD作品「あなたは市場のターゲットだ(You are a target market)」により脳みそがハックされ、その結果、前衛的なインダストリアルバンドSPKのグレーム・レヴェルに憑依されて、「トワイライト・オブ・ジ・アイドル」による、ショッピングモール客の集団脳みそハックを画策するはめになるのは、説明の必要がないんじゃん。

そんなアサクラだったが、ある日、大きなバックパックを持ってぼくのアパートを訪れた。ぼくは当時、牛込柳町のボロアパートに住んでいた。その周辺はどうやらいらいらするマンシャン開発の網からこもれ落ちた一角で、周辺の少しお高いムードから自由で、むしろ、東京大空襲で燃えなかった地域の古めかしさを、いい感じに残していた。

しかも、そのときは、アクティブ系の彼女との2カ月間に及ぶ、短期決戦型の同棲が、ぼくの奔放でリスクテイキングな暮らしぶりに関する彼女の不寛容により、崩壊したばかりだった。

ぼくは中学生くらいの頃から、多くの人びとが信じる社会的通念を、科学的視点で眺めることに通暁しており、「空気」などという日本社会独特の文化に関しては、その空気の存在を証明されないかぎりは認めないという立場を貫いていた。ここが両者の対立の大きな争点になったが、なにせ、ぼくは若すぎた。彼女が出す要望のすべてを突っぱねて、自分のあり方を変えなかったのだ。

それはともかく、そのボロアパートに残されて、ぼくはちょっとしたファイナンシャル・クライシスを経験していた。来月の家賃を払うめどが立たないのだ。なのに、アルバイトをする気もわかないのだ。このままでは、住処を失うことになるという危機にぶつかったのだ。

それで、そのアパートの設備はほめられたものじゃなかった。壁が薄かった。隣のバングラデシュ人がかけている陽気で、神秘的な音楽がよく聞こえた。もう片隣には性的に奔放な女性が住んでいて入れ替わり立ち代わりいろんな男がやって来ていた。

ある男とは酒に酔いながらどうしようもない会話を延々と続けていたし、他のヤツとはカネをめぐって口論していた。女は長い髪で顔を隠していて、1年半済んだにもかかわらず、彼女の顔をはっきりみたことは見たことはなかった。ただエアアジアの客室乗務員が着ているような、真っ赤な服を好んでいることだけは知っていた。

アパートのドアが叩かれた。夕方で、遠くでカラスが悲しそうに鳴いている。空は真っ赤に染まり、夏の夜の到来を告げている。多くの家が夕飯の用意をするのが、聞こえるようだし、風呂の湯を沸かすガス機器のボオっという音もやはり聞こえてくる。

薄い木製のドアはかなりシリアスな状況だった。それはマイク・タイソンが噛ませ犬の相手をボコボコにしているときのムードを完璧に再現していた。夕方なのに二日酔いでどろどろの状態のぼくの頭もまた、悲鳴を上げる有様だ。布団から重たい体を叩き起こし、ムチを打ってドアを開けた。そこにはバックパックを背負ったアサクラのくったくのない笑顔があった。真っ黄色のハーフパンツ、洗いざらしの水色のTシャツ、髪の毛はメデューサみたいな荒れようだ。彼の鼻はロシア人のように高く、目は細かった。

部屋の中に招き入れると、彼はこういった。

「とりあえず、おれ、旅に出ることにしたわ」

彼は落ち着いた様子だったが、表情にはロシアに攻め込もうとしているナポレオンのムードが透けて見えた。狂気の沙汰である。

「どこにいくんだよ」

「どこでもいいじゃないか、どこでもないどこかにいくんだよ」

ものすごく文学的な表現だった。大学生の時はそんな言葉を吐いてみたくなるのかもしれない。「とにかく、おれはいろんなことに幻滅したんだ。こんなおっさんたちが国家予算のたくさんを自分の仲間に振り向けるようなクニにはいたくないし、こんな『空気を読む』とかいって周りの顔色をうかがい合っているヤツらとは一緒にいたくないのさ」

「それは胸に突き刺さるほどわかるよ」

「ぼくは自分の大切なものを見つけたい。そしてそれを突き詰めていくんだ」

「それで、旅、というわけだ」

「そういうことだ」

「いつ帰ってくるんだ」

「そんなことわかるもんか」

ぼくはアサクラの旅立ちを祝おうと思った。おれが思っていることを旅と言う形で実現しようという勇者が現れたから、それを称賛しない手はない。引っ越し屋のバイトで、客からもらった「サントリー角」を2人で小一時間あまりのうちに空っぽにした。ぼくの部屋には冷蔵庫はなく氷もミネラルウォーターもなかった。グラスもなかった。ちなみに扇風機もカーテンもなかった。ハンガーも、椅子もなかった。だからぼくらは傭兵たちが戦地でやるように、キャップ酒で交互にきのまま飲み込んだ。

この酒が思春期のパンダのように獰猛だった。ぼくは二日酔いのところにハードリカーがかぶさってノックダウンした。共同の和式トイレにかけ込むと、ドーハでワールドカップ出場権を失ったサッカー選手のようにひざまずき、黄金色の液体を吐いた。

バングラデシュ人のタスマがインド製の安価なジェネリック胃薬をくれた。それはとても効いた。なんとか部屋に戻るとアサクラはおれの部屋に胃の中身をぶちまけていた。特に布団がひどかった。これはぼくの大学生時代の16度目のファイナンシャルクライシスをさらに深刻化させることになる。ぼくの経済状況はいつだってバルナブル(脆弱)で、ファンダメンタル(経済の基礎的条件)は穴だらけで、バランスシート(貸借対照表)は歪んでいて、早急な赤字の削減が求められていた。

とにかく飲んで飲まれてわっしょい。ぼくは翌夕まで昏倒していた。周囲の緑豊かな家々に集う鳥たちの鳴き声が、ぼくの二日酔いたちに突き刺さった。ボルトがうめ込まれたような頭を引っ叩いて起きると、アサクラは姿をくらましていた。

壁にはある絵が書かれていた。

それはあの犬が蓄音機を覗き込む絵だった。



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