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第3章 白いワンピースの女

16 ショベルカー式嘔吐

おえええええええ――

おえええ、おええええええ――

ハヤタはひとところの遠慮もなく徹底的に嘔吐した。体のバランスのすべてが狂った。計測器の針がぐるぐる回るのが目に浮かびそうだ。

“断末魔”が部屋に深く響き渡った。ぜひゅう、ぜひゅう、ぜひゅう。彼の息は数マイルを疾走した若馬のようだ。肺が重たい。胃にかぶさりそうなほどだ。彼は「嘔吐時の基本姿勢」と保健体育の教科書に載せられそうなほれぼれする体勢をとった。いわゆるひとつの“ショベルカー”だ。過ちを認めるかのようなしとやかさで崩された下半身がショベルカーのキャタピラ、操縦席部分に当たり、斜めに傾いた背骨と、垂れた頭がショベル部分に当たる。彼の情熱を受け止めるのは、芸術品のように白い陶器だった――デュパンは「泉」とこれを名づけた。

「American Standard」。この黒い刻印は、流される流水のせいでセピア色へと淡くなっている。

楕円形の真ん中は静謐で満たされていた。泉の表面は微細に揺れながら、彼の醜い顔を映し出している。彼の考えがまるでそこに投影されているかのような気になる。音も豊富だ。水道管のなかを水が走るすうう。それから便器の腹の中に水が蓄えられるじょぼぼぼ。汚物と水道管、胃液の混ざったいやなにおい。

彼の体の芯をTNT爆弾のような威力の吐き気がずっと貫いた。そいつはタフな借金取りのように執拗で執念深かった。そのスキルのおかげで、30分間に渡り、一度の息継ぎもしないという偉業を成し遂げた。食べ物たちだけではなく臓腑も器官も血も体液もすべて放出された。複雑な色合いを表示する堆く積もった山はどうしようもなくすっぱい匂いを放った。不思議なことにどう考えても彼の胃腸よりも大きかった。

――そうだ。あの子はいまどこでなにをしているんだろう。

猫が後ろでにゃあにゃあと鳴いた。その途端、嘔吐が止まり、そこで我に返った。猫は煙草の煙をくゆらせながらこう言った。

「たぶん、あなたは中目黒さんにまた会いたいんだね。だからそんなにはっきりと彼女のことを覚えているんだわ。未練ってやつだねえ」。若者を諭すことにこなれた歳増のホステスのようだ。彼は赤面した。だが、どうして猫が彼の精神に投影されたものごとを知ることができたのか。夢は猫たちの目論見のための“下準備”だったからだ。そんなことハヤタは知りもしない。

ビー、ビー、ビー、猫の首にかかっていた小さな球体が警告音を発した。

「さあわれわれはここから出なくてはいけないようね。急ぐわよ」

どたどた~ん。

窓が弾け飛んだ。そこには大きな矢が突き刺さっていた。

「愚かな奴らが来た」

17 ならず者の参入

クエストホテルの下の汚い路上は荒廃の限りを尽くしている。コカコーラの缶や黒いごみ袋、ぺしゃんこになったホンダなどなど無惨なものたちが転がっていた。そこに続々と若くてうるさいならず者たちが集まってくる。その数は瞬く間に数百人になる。カネで雇われた烏合の衆たちは路上で賭けバカラやさいころの丁半を始めた。そこいらへんを仕切っている地回りには話がついているらしく、蟻のように彼らがそこに群がるのをとがめるものはいなかった。

彼らの素性は日当300ドル程度で雇われたチンピラに毛が生えたようなものだった。各々の趣向がきらりと光る武器をみてみよう。ダイバーズナイフ、青龍刀、鎖鎌、木刀(日光東照宮と書かれている)、ゴルフクラブ、ボーガン、テニスラケット、水鉄砲とばかげたものばかり。現代的な武装には興味もなければ手に入れるカネも才覚もなかった。普段は宅配ピザを食いながらプレイステーションかエックスボックスに埋没している輩だったが、ちょっとした稼ぎがありそうなので、ジョイン。暴力への知識はあまりにも少なかった。

彼らは赤いTシャツの着用を義務づけられた。Tシャツはボブディランの顔がプリントされていた。それがグループにとって何を意味するのか、なんのことやらよくわからなかったが、とりあえずクールだとそのうちの何人かは思っていた。

彼らは〈赤シャツ〉と自称している。タイのタクシン派とは関係ない。まったくの偶然だ。

〈赤シャツ〉は決起集会に臨んだ。彼らのリーダーは甲冑姿のおっさんで、タカシムラ本部長という品のない名前を持っていた。運動不足で肥満気味の肉体は甲冑の重さに対して、かなり劣勢にたたされていた。土俵際と言ってもいい。一歩踏み出すごとに、「うぐう」としんどそうな声が漏れる。その様子は〈赤シャツ〉全体の士気を少しばかり削いでしまう。

でもタカシムラには熱いハートがあった。キュラウェア火山の火砕流のような破壊力を持っている。彼はうおおおおと大げさな声を出して日本刀を抜き、高く天にかざした。

「やってやるぞ、やってやるぞ、やってやるぞ!」

どっと一団が湧いた。子分の誰かが「地獄の黙示録」のカセットテープを再生した。がりがりとしたサウンドが彼らを駆り立てる。彼らの闘士は中国製の爆竹みたいな有様だ。とても単純な脳みそをしているのだ。ただ「やってやるぞ」というのが、何を成し遂げようとしているのかは、そこにいる誰にもよくわからなかった。

「ええっとですね。かくかくしかじかです」

側近の共産党テクノクラート的な銀髪の男がかなり丁寧な補足説明をする。それはシンプルだった。こういう趣旨である。

――ハヤタを捕まえろ。捕まえるのが困難な場合殺しても構わない。

にわか構成員はすぐさまこれを要約した。

——ハヤタをぶっ殺せ。

 

早速稚拙な作戦に取りかかる。

〈赤シャツ〉は一気呵成にホテルに突入した。興奮しきった悪党どもはまったく統制がとれていない。頭に血が上りすぎて目的のこともすぐに忘れた。なすがままである。彼らは結局こんなことをやった。置物の壷をぶっ壊し、テニスコートのネットを枝切り鋏で破いた。レストランのレジスターからカネを抜き取り、バッフェの飯をかっ込んだ。支配人に全裸でコヨーテダンスを踊らせ、37歳の掃除夫ゴンドリーを彼の後がまに据えるよう強要した。

唯一の戦果は彼らのメイン武器である弩だ。それは10人掛かりではなたれ、空気を切り裂き、ハヤタがいるとみられる703号室に命中した。

赤シャツ〉がやっとのことで彼らが703号室にたどり着いたのは、突入から1時間32分後のことだった。もちろんそこにハヤタの姿を認めることができなかった。天井のあるカ所に人が通った形跡が見えた。そこから逃げたのだろう。

タカシムラ本部長は吐しゃ物でいっぱいになった便器を眺め、それをテキの挑発と受け取った 。彼は苦々しくこういうのだ。

「敵もさるものだ。恐るべし……」

18 深い森の中、逃避行とレクチャー

ホテルクエストのある街はデトロイトかヨハネスブルグ並の荒廃で知られた。行政は既に破綻。あらゆる生命のしるしが街から戦略的退却を遂げた。世界のほかの人々は、その街の名前のことなんか、すでに忘れ去っていた。

隠惨で不幸な街の地理は、しばしば大きなドーナツに例えられる。ドーナツの真ん中の空洞は企業の高層ビルが立ち並び、瀟洒な高層アパートだった建物がその周りを埋めていたが、そのすべては悪化する治安のせいでもぬけの殻になっている。空っ風がふくとたくさんのごみとほこりが舞い上がった。その区域にすむ人の誰もが、顔のどこかに“悲しみ”を染み付かせていた。道路は長い間舗装されていないせいで穴ぼこだらけだ。ホテルクエストはその一角に、いじめられっ子のようにひっそりと身を寄せて息を潜めていた。

夜になれば街頭からは“普通の人”は誰もいなくなった。代わりに廃品回収者から日の出の勢いでのし上がったストリートギャングがそこを支配するようになる。王者とその取り巻きと幼い売春婦が乗る、車輪から車体が異様に浮いたアクロバティックな4WD車が肩で風を切って走り回り、意地悪そうな顔をした年増の売春婦たちとファーを着たいかにもワルそうなぽん引きが、寒さに身をこごえさせながら等間隔で道に立っていた。

道のど真ん中で大っぴらに白い粉、乾いた草の入ったパケット袋、妙な色をしたアンプルの売り買いが盛んにやられる。まるで鍋や食器を貸し借りするのりである。彼らには良心なんてものを持てる余裕はなく、それらはすべて自らの生存をかけた行為だった。ライオンがシマウマを襲うように、熊が冬眠するように、レオナルド・メッシがゴールを積み上げていくように、彼らはクラックをやり取りした。ときに真っ黒な街のどこかから、雷鳴のごとき物騒な銃声が響くことがある。その音を警察のパトカーのサイレンが追いかけることもある。男たちの荒々しい声や、悲鳴、嗚咽、あるいはさらなる銃声がついてくることもある。命が失われてしまうことだってもちろんある。そこでは愛なんてものはきりきり舞いをする以外ないのだ。

銃声の後、路上は人っ子一人いなくなりしばし黙り込むことになる。でも、そんなに長い間続かない。そこいらにひと段落付いたムードがふわっと漂い始める否や人々はまた路上のルーティンに戻る。銃声が起こしたできごとへの関心なんて、とうに失っている。その街の夜というのは、あまりにも普通じゃないことになれすぎている。人々はその街のモードにとても従順なだけだ。

その生き物のような街の夜にはさまざまな顔がありここでは紹介しきれないくらいだ。不可解な一面ももちろんある。これはかなり意外なファクターだ。

〈忍者〉——。

〈忍者〉……?

そう、あの忍者だ。

その集団は忍者さながらの黒ずくめの格好をしている。彼らは無駄にマッチョを追い求めるのをよしとしない。細くて忍耐強く俊敏性に優れていることに重きを置いているといわれる。その姿を目撃した者は数多くいるが、彼らがいったい何者で、何を目的とし、何を好むのかを知る者はいなかった。彼らをめぐるすべてのことが謎のベールに包まれていた。わかるのは、彼らが強靭な肉体を持ち、建物の屋上と屋上を縄で結び合わせて飛び移ったり、ギャングの巣への突然の強襲をかけたりしていることなのだ。

一説には〈忍者〉は音楽を創作しているといううわさだった。音楽たちはアンダーグラウンドなところで出所がわからないような工夫の元、グローバル化に八つ裂きの刑をかけられた都市の悲哀を歌っていた。彼らは必ずボーカルにコンピュータボイスをかけてその匿名性を最大化することに力を注いだ。

特に名曲「忘れられた都市の地下から湧き出た密やかな欲望〜匿名的ぼくらがやがて名前のある誰かになるとき〜」の歌詞は示唆に富んでいる。

 新しいことをやってみろ。

 なんでもかんでもやってみろ。

  

 失敗して何が悪いのか。  

 この街をこんな目に合わせた奴らを見つめよう。

  

 奴らは何をもたらし、何を奪ったのか。

  耳をそばだて、目を凝らすんだ。

  

  その強欲な奴らを儲けさせるシステム

  破綻させる必要があるんじゃないのか

 

 とにかく話は街の地理的条件に戻る。

お次はこの危なくも不思議な中心部を囲むドーナツの肉厚の部分である。そこはため息がでそうなほど膨大なものたちが混ざり合うスラムの森である。中心部のビルからのその森を眺めると、とても興味深いことがわかる。

平らなバラック建てには近代的なグリッド線などどこにも認められない。何もかもがどこまでもごちゃごちゃに組み合わさり、対称性や統一的な構造なんてものはまったく認められない。この森をつらぬくものは一つしかない。カオスである。それは良いカオスの面を含んでいる。その得体の知れぬどろどろから、巨大な創造性が生まれそうな予感がある。それは絶えず形を変える、生き物のようだった。

スラムの森には便宜上地区が割り振られていた。そうしないことには、あらゆるものを区別することができないためだ。そのブロックAからブロックMまで13地区には国家もなく政府もなく国民もいなかった。ガバナンスらしきものは存在した。そこにはかなり古くて新しい方法が取り入れられていた。ブロックごとにコミュニティが存在し集団的意思というものが必要なときにだけ取り繕われた。ただコミュニティとコミュニティの間は熱せられたフライパンの上で溶け合うソースのようである。とても流動的なのだ。

ブロックごと考えをすり合わせ集約する場が必要になった。いつのころからか13地区の代表者からなる合議制の話し合いが月に一度もたれた。そういうときに作られた合意がしばしば起きる小競り合いを、大きな戦争に発展させないような作用を後ですることになる。

このブロックたちに、ドーナツの中心を牛耳るストリートギャングは手を出せなかった。ブロックはそれぞれ強力な“自警団”を持っていて、ギャングの侵入を許さなかった。そこでは“自警団”がスラムの森をめぐりめぐる暴力のすべてを支配した。彼らはたまに暴力を制御できないこともあるが、それはごくたまたまのこと。たいていの「暴力の適切な使われ方」に通暁している安全運転の名手だった。

ブロックたちは一つのコンセンサスを素早く作ることも得意だ。ただ内部には独特の自浄作用と暴力の運用があり、権力が行う抑圧はスリムだった。そこには支配の構造が希薄なのだ。

ブロックはその気になればギャングの存在を脅かすこともできそうだった。が、まるでそこに結界が張られているかのように、彼らは中心部には足を踏み入れなかった。むしろ、生まれたばかりの幼児のようにドーナツの外側へとじわじわその体躯を伸ばしていくのだ。

19 「攻めよ」作戦本部はそう命令した

ホテルクエストの703号室はにわかに〈赤シャツ〉の作戦本部と化した。タカシムラ本部長がソファでふんぞり返り、銀髪、ニッカボッカを履いたロンという英国人が同じソファで言葉通り両脇を固めた。側近2人は彼らが率いる郎党のクオリティの低さにがっかりしていると告げた。でも彼らに選択の余地なんてないのだ。早くハヤタなる男を捕まえなくてはいけない。そういう手はずでものごとを進めてきた。

「おれらが割り込んだことを知ったら、あいつら何をやるかな?」と本部長は聞いた。

ロンの鼻につく高い声が聞こえた。ノーザンの訛りを塗ったくった英語だ。「アレクサンダー大王のようなことをやるだろう。チンギス・ハーンのようなことをするのにも何の呵責も感じないだろう」

でもまだ望みが途絶えたわけじゃない。タカシムラ本部長には奥の手がある。〈タカシムラ機関〉諜報部隊のことだ。彼らが逐一、本部長のアイフォンにフラッシュニュースを上げてくる。

そのニュースをなめしていくと、ハヤタとみられるやせぎすの30男は、ホテルを何らかの方法で脱出し、“猫とともに”スラムの森のなかに入ったようだった。スラムの森をめぐる情報は錯綜しているが、どうやらハヤタは〈ブロックA〉に潜伏したことが濃厚になってきた。ブロックAは1キロ平方メートルに11万5千人が住む超過密地帯。自警団とやくざの中間のような奴らが治安を維持している“無政府状態”が続いている。ハヤタはどうやらその無政府主義者どもと恋人の間柄になっている模様で、〈ブロックA〉は積極的に彼が安全でいられるようにしてやる考えだ。

ここでロンはとてもシンプルな策を提案した。

「そこの自警団を脅かしてハヤタを差し出させよう」。

「いいんちゃうの、いいんちゃうの」

ちょうどアイフォンでドミノピザを頼んでいた本部長は、軽いのりで乗り気になった。テレビ業界で出世して成功すれば自分の手柄、失敗すれば部下の暴走ということですべてを乗り切ってしまう馬鹿野郎プロヂューサーのモードに入ったのだ。彼はしばしばそうなるときがある。それは彼が意識的にせよ無意識にせよ、“無限の無責任”を希求したことを意味するこれを希求する人間は世界にあまりにも多い。人間の愚かしさの大きな原因だろう。

「いっちゃおう、いっちゃおう。それでいっちゃおう」

彼の勝手に動いているふうな舌以外の部分、彼の体や心がその台詞を言っているようにはどうにも見えなかった。

 側近は一抹ならぬ、体の水分が全部、中国の汚染地下水に入れ替えられたような不安に駆られたが、それでも忠義心だか変化を嫌う性格だかが強く作用して、そのメンタリティをおくびにも出さなかった。

 〈赤シャツ〉の子分どもは〈ブロックA〉を区切る壁の前まで押し寄せた。〈ブロックA〉と中心街の境界線は、ガザ自治区とイスラエルのそれのような有様になっていた。壁は高くタフでトマホークミサイルを跳ね返す強度があるとうたわれた。そこには入り口なんてものはなく、合金と鉄条網がむっつり顔で黙り込んでいた。

 子分ども数百人は拡声器を使って威圧に出た。ロンはその大軍のアジテイト演説までやり戦意を著しく紅葉させた。「おい、てめえら、ハヤタを渡せ、この野郎。言うこと聞かねえと奈落の底に突き落としちゃうぞ。このやろう。おい、このやろう」

 だが、〈ブロックA〉の人々は貧しくも根性があった。彼らは悪党どもの思惑をはねのけた。これで両者は一触即発の状態を迎えるのだ。

ここにはバックグラウンドがある。この状況は昔から予期されていた、ということだ。数週間前のことである。どこからともなく現れたイタリア製スーツを着た怪しい一団が、ブロックAを訪れた。彼らは揃いも揃って東部のアメリカ人然としていて、その教育水準の高さを惜しげもなく見せつける言語をばんばん使った。

彼らが成し遂げたことは、機関銃、手榴弾、カラシニコフ、スカッドミサイル、ロケットランチャー、ヘリコプターなどの兵器を与えることだった。その一団には軍服を着た、40代の精悍な面構えの中南米人がいて、自警団を一丁前の民兵にする訓練を1週間に渡り施した。自警団の長に対しては「孫子」の戦略論が授けられた。そして彼らは自警団に対して、さりげなく本部長との対決を打診した。それは開いた口が塞がらないレベルの資金援助がセットにされていた。実のところ、自警団はかなり猜疑心をくすぐられたが、その金額のでかさに加え、その一団が最終的に自分らの狙いとことの背景を、むき出しのままがっつり伝えたため、納得した。彼らはかなり同じ方向を見つめていたのだ。

 

一方、荒くれ者はかなりうかつだった。〈ブロックA〉の戦力を甘く見ていた。「襲い掛かっておどかせば、おとなしくなるだろうよ」という楽勝ムードは、いざ戦闘が始まると(悪党は戦闘すら想定していなかった)、渓谷の朝もやのようにいつのまにか霧散した。

自警団はソマリアの海賊のごとくほれぼれする動きをした。数分間の戦闘の後、悪党どもに死者が29人出た。自警団にはかすり傷もなかった。悪党どもはこれでロシアの奥深くに入ったナポレオン軍のように怖気づいた。ほうほうのていの敗走が始まった。ウサイン・ボルトの速度で走ることができる人間がそのスラムシティーに一挙に現れた。彼らはホテルクエストの前まで引き返し、殿軍もなんとか追っついてきた。ロンは兵隊どもの人数を数えて肝を冷やした。兵隊の数は当初の数百人からがなんともはや11人に減っていた。まだぎりぎりサッカーチーム作れそうな数ではあるが、間違いなく種目はサッカーではなかった。仮にスポーツだとしてもラグビーだったら参加すらできない。もちろん、戦いは忌憚のない暴力の競争であり、武装した相手を屈服させ、その上でハヤタという男の誘拐工作をやるには、11人は余りにも心もとない。ほかの臨時兵隊どもは暖かい家に帰って、温かいココアでも飲んで、フェイスブックに今日起きたことを記して「いいね!」の獲得に走ったことを、ロンのサムスン・ギャラクシーはすぐさま察知した。さっきからしきりにぶるぶる震えているのである。

ロンはその豊かでつるつるとしたスクリーンを眺め、やがて電話をかけた。タカシムラ本部長はパイナップルとサラミをまぶしたピザを食い終わったばかりである。飼い葉を食らうサラブレッドのように、口をねちゃねちゃさせながら無惨なる敗走の事実をアイフォンごしに受け取った。

「なんてこった」その兜をかぶった頭を抱えた。「これは完璧なる敗北である。〈ブロックA〉恐るべし」

 それで本部長は日本刀を床に転がして甲冑も脱いで、ギャップのカーディガン、チノパンツのファッションに着替えた。彼はやがて最近買ったばかりのマックブックプロを開き「シムシティ」をやり始めた。彼のつくる仮想の街は、スラムの森とは比較にならないくらい先進国的で物質主義的だった。彼はしばらくの間、そうやって無力感に打ちひしがれていた。

20 しけたバー 

〈タカシムラ機関〉の分析は的を射ていた。猫とハヤタはもっか〈ブロックA〉に入っていた。快楽主義と現実主義のカオティックな混ざり合いを体現した、タンクトップ姿でカラシニコフを肩に下げる自警団構成員8人がエスコートした。8人は同じゴミ山の地区で生まれた。住民のほとんどが何らかの肉体の不調を訴えていた。彼らの両親も悪病にかかりあっという間に死んでいった。彼らはそこから幼いときに売りに出され、スラムの森のなかを転々とした後、〈ブロックA〉の自警団に職を得た。彼らは一秒たりとも冗談を言わずにはいられない性質であり、猫とハヤタの目の前を、セックスか金か酒をめぐる世界一下品な冗談が飛び交った。

赤土むき出しで凸凹の道路は、両側にあるテクニカルノックアウト寸前のボクサーに似たあばら屋に圧迫され、蛇のようにうねり細かった。小高い丘からは森の俯瞰図が見えた。森はどこまでもどこまでも、世界の果てまでも続いているようだった。白いアスベスト入りのトタン屋根、モルタル、むき出しの角材、ビニールシート、バラックなどの貧弱な建材が確認できる。パラボラアンテナ、ヘリコプターの羽、モスクの塔、境界の塔、鳥居、仏像、火をたたえる杯、サトウの象さん、ゴジラ、プラペラ機、1000トン級のコンテナ船がなぜか森の中にからだを埋めていた。家々の境界線は分かちがたく、籠の上に盛られたじゃがいもたちのような粗雑な感じで、その家々は密集していた。空っ風には目をつむりたくなるほどの芳醇な不純物が含まれていた。

その森の中にはエアーズロック的な壮大な構造物がある。構造物の外壁には中国語で「娯楽商業」と表示するネオンがかかる。それ以外にも無数の看板が並び多言語の嵐にまみれていた。それからおびただしい量の安物電球による安い光の洪水もあり、カジノにありそうなぐるぐる回転するライトが光の交点をつくりだす。せわしないデジタル的な複製反復に基づく消費活動を旺盛にする音楽たちが同時多発的に、子どものおもちゃ箱のごとき音場を生み出していた。それは見る者に体内に核融合する機関を内蔵した怪獣の赤ん坊を想起させた。完全に制御不能になりうるエネルギーが秘められ、それがすでに外部にありありと見えている状況だ。

そこはマーケットと呼ばれていた。商業のすべてがそこに集まる雑多な建材の融合では、どんなマニアックで周縁的なものも手に入れられる。すべてが何らかのインフォーマルなチャンネルをかまされ、中古品、盗難品、放出品、流出品、改造品、偽物の属性の一つかそれ以上を満たしている。まるでそういう“条件付け”がされているみたいに。

一方で、いろんなものを見つけるのに困難を要する場所でもある。キャビアだとか“本物のバーキン”だとかジョン・ケイジの4分33秒の楽譜だとかロールスロイスだとか米上院議会の有力議員のパーティ券だとか、そういうファンシーで特権階級的なスタッフは手に入らない。ワープレコードのCDとか、ヴィクトリアズシークレットの下着、レクサスのセダン、ノースフェイスのダウンジャケットとかも新品は手に入らない。これらの偽物や部品の一部、あるいはオーソリティを攻撃するような改造品、二次創作品などは手に入る。それらはある領域においては本物を簡単に凌駕する。またある領域ではこてんぱんにボロ負けする。

その構造は近代が規定したがる枠の外に出ている。だが、そこになんらかの可能性を見いだす輩がいることからも明らかなように何らかの潜在性を秘めてもいた。そう、マーケットは体育館の大きさの無数の細かい箱を積み上げ、どうも噛み合わせが悪い部分は押し付けて“お見合い結婚”させた構造なのである。それらは図に起こして見ると間違いなく直線的ではなく、曲線的である。

箱の中には無数の怪しい物品を扱う商店がそろっている。守銭奴おばさんの無意味な叫び声が響き渡り、その場でさばかれるにわとりの間抜けな断末魔も聞こえ、ほふられる前の山羊がかなりだるいムードで寝転がり、天井からぶら下がる首つり死体のような裸電球にはぶんぶんはえがいちゃもんをつけている。申し訳程度に渡された小道は物売り、荷役、チンピラ、ガキ、客などなどの雑多な人間であふれかえっている。

そこはまさしく箱の王国、箱の迷路、箱の愛情というべきものなのである。どう進んでいっても、箱を出ればまた箱があり、そのまた隣にも箱があり、はしごや急ごしらえの階段で上にも箱がつながっている。上下左右、四方八方どの方向に対しても、いかなるときも箱があなたを迎え、見送ってくれる。ベテランでなければその箱の無限から抜け出すことはできない。

箱は多元主義者という違う顔も持つ。無駄の極地とも言うべきゴルフ場を牧場か畑に変えるための実験をするエッジの聞いた箱、エドワードスノーデンと英紙ガーディアンの活動を助ける極めて政治的目的に裏打ちされた箱、中国の独裁体制を建設的に考え直す人間を保護する、使命感に駆られた箱がある。多元は変な箱も許容する。箱内の会話をすべて嘘に限定する箱、一人称を「私」ではなく自分のファーストネームで呼ぶ(あなたが坂本だったら、「俺腹減った」ではなく「坂本は腹が減った」)ことにより自分自身のブランディングを義務づける箱、他人との協力することを認めず、足を引っぱり偽情報をばらまき、後ろから頭をひっぱたくことが命じられる「不信の箱」などだ。

ハヤタたちは落とし穴をしつらえた箱に連れて行かれた。そのゴルフ場のグリーンサイズのいまいましい穴は “ブラックホール”と呼ばれ、一度落ちたら最後、5千メートル下の地底人の一派にとらえられ、こねてこねてうどんにされ、太陽光に恵まれぬ彼らの滋養強壮に寄与するはめになるとまことしやかにささやかれた。

その穴の周りは最高のゲンが悪いということで、どんな商店も立っていないのだが、むしろその穴が発する不吉さを力の根源にする建物があった。

「無限会社ベオウルフ」

その自社ビルである。バラックとモルタルとビニールシートとドラム缶の一部、廃自動車の鋼板などの複雑で完璧なコンビネーションでできた建物は、ドラキュラの城と見違えるようなどす黒い色彩に覆われていた。窓はすべてボーリングの玉のような円形でスモークがかかっていた。谷あり山ありの外壁に取り付けられた100個以上の換気扇が、たちの悪い生き物のようにぐるぐる回転している。無数のパラボラアンテナと太陽光発電機もまたその直方体と円錐とじゃがいもとキャベツの仲立ちをしたがごとき形体の外側を覆っているのだ。

そこでエスコートのリーダー格の男前、ヒカルゲンジくんが、魔法でも見せつけようとするモテる男の雰囲気で話し始めた。こういう手合いはいつも何かしらの問題を抱えているので、適当にいなすのが良いが、そうとは行かない事情がある。猫たちはいまヒカルゲンジ君たちのポケットの中にいるのだ。ヒカルゲンジくんのさじ加減でいろんな所が変わってくる。

「さあ、ついたね諸君。楽しい楽しいお時間のお始まりだね。いまやっと何かが始まろうとしているんだ。大丈夫、邪魔は許さない。ぼくは邪魔をする人間が許せないんだ。何をしようとしても邪魔をする人間がいる。人が不幸になったり、つらくなったりするのが、おいしくておいしくてたまらない人間が、この世にはごまんといる。気をつけなくちゃいけないよ。そういうやつが上の方にのさばっているのがこの世界だ。つぶし合いに次ぐつぶし合いに次ぐつぶし合い。でも大丈夫。そういう馬鹿どもはおれたちが防ぐんだ。君たちはたぶん船をこぐんだろう。その船が新しい大陸を見つけるまでね」

「そうですかい、そうですかい」と猫は軽く返事をした。

ハヤタの耳にはきいいんというかなり高い音が聞こえた。それ以外に聞こえる範囲を超えた超高音と、それから地面を這い彼の存在の基盤を圧迫する超低温が、彼のキャベツ的な複雑性を体現する聴覚機関に降り注いでいた。それらは秘匿されたやれたやり方で届けられていた。彼は後々知ることになる。そのベオウルフビルというものはマーケットを少しでも知っている人ならば、寄り付きもしない「最悪のなかの最悪」だということを。

21 ベオウルフビルの混沌

「兄貴連れてきやしたぜ。猫ちゃんとださいおっさんのコンビ。見るも無惨な“3日ちゃぶ台の上に置きっぱなしにされた羊羹”のごとき悲しみのコンビだな。これは」。入り口の大げさなドアを開けたヒカルゲンジが舞台俳優的な大声を上げた。でもそんな声がかき消されるほどの巨大な喧噪が、そのベオウルフビルの一階を支配していた。IFの奥に古ぼけたリングがさも当たり前の様子で置いてあり、昭和的なアナログビジョン的なライトがもわっとたかれていた。

その上で裸の少し腹の出た男2人が盛んに殴り合うのである。リングの周りを角砂糖に集まる蟻のように客が囲み、まんじりともせずびりびりとした視線を送る。奥の壁に付いた電光掲示板には試合を細分化することによって成立したオッズが表示されている。もちろん皆が皆2人の熱いファイトに金を投じ、よりいい金額で回収することに想像をたくましくしているわけで、それにまつわる細やかな差異を投影した多種多様な感情を熱源とした歓声とヤジの洪水は、これでもかとリングの上に浴びせられた。

ハヤタは持ち前の数学的センスと根拠なき勘でそのオッズがかなりインチキだと見抜いた。それはどの状況でどっちが勝とうともほとんど胴元が30パーセント持っていくようにできている。少し突出した部分があって、そこでは胴元が損をする。でもトータルで見ればこれはあまりにもやくざなオッズである。なのに人々は熱狂のプールに首まで使っていた。これはどういうことだろうか?

このオッズの仕組みを考案した男が、そのリングの前のおんぼろバーのカウチでふんぞり返っている、ズコックと呼ばれるでぶだった。ズコックはこの自警団の主でもあり、猫とハヤタをここに誘ったのも彼だ。

ヒカルゲンジが再び、新入りの海兵のような大声を出した。「兄貴、連れてきやした。猫とハヤタですぜ」。

ズコックは返事をせずにまず、ゆっくり猫とハヤタを眺めた。そのときの目は硬直の極みであり、彼は鉄の小皿からライムを三切れ取り、ひと雫たりとも瓶の外に逃がさない慎重さでそれをコロナビールのびんに入れた。びんをまるで雌牛から搾乳するようないやらしい手つきで動かし、液体がひとつになるのを見極めると、それをぐびっとやった。大ぶりのびんから半分の液体が失われた。

「なるほど」

続きがあると思われたが、ズコックの台詞はそこで断崖に達した。彼は古いびんをやっつけて新しいびんに取りかかった。ライムもまた三切れそれに投じられた。彼はあごが重くて重くて仕方ないというしゃべり方をした。

「おいハヤタ。おめえがホテルに隠れている間、守ってきたのは俺だからな。おれは一年間力の限りを振り絞っておまえを守ったんだ。それがおれの仕事だったからな」

そのとき奥のリングから巨大な歓声が上がった。一人のボクサーが蟹のように泡を吹いてぶっ倒れていた。もう一人が胸の前で十時を切っていた。

「おめえにはわかるめえな。あの試合は八百長だ。世の中にはいつも表層と深層がある。深層は限られた人間にしか開示されないんだ」

22 毒ガス室に住む美女

ズコックがしたのは、ハヤタに娼婦をあてがうことだった。そのベオウルフビルの2階は売春宿になっていた。娼婦は最初から決められており、中華系の年増だが不死鳥的な美しさをたたえる女だった。ハヤタは長い抑留生活を思い出し、その間、そういう機会に恵まれなかったことを考える。長い時間だった。それから一度、あのエスコートの女に「脱獄」させてもらったが、再びあの狭いホテルの部屋に釘付けにされていたのだ。彼は日本ダービーを前にした競走馬のようにはやる気持ちを押さえようとしたが、それは体の毛穴から外部に散布され、年増に簡単に察知された。

ハヤタは壁の薄いみすぼらしい部屋のなかにあるベッドで放心した。両隣の薄い壁から、男女が交わるときのあられもない音楽が奏でられている。それは彼の精神にも影響を与えるわけで、彼は自分にやってきた幸福感を何度も何度もその心の湖のなかで反芻した。それは父に連れられて初めて映画館に行ったときのように素晴らしいことに思えた。それくらいの若々しい衝撃が走り、その残余が未だに彼の中にあるのだ。年増は何をすることもなく彼の隣で寝転がりながら静かに天井を眺めながら微笑んでいた。彼女の青磁器的な白い肌がくすんだ色のシーツ上で画期的な光を宿し、その胸の隆起はたれ下がりと張りの絶妙なバランスにつらぬかれ、その中心部の控えめな斑点を宿している。こと、情事に関しては、彼女は将来に起こることのすべてを察知できるのだ。なんとなくハヤタの性欲が再びぶり返すのを拒まず待っているというふうである。天井では植民地スタイルのセーリングファンが、その軸ごとぐらぐらになりながら回転していた。ハヤタはしばらくそれを見ていた。

それからハヤタは性交後に男性に訪れる尿意を催した。トイレは部屋についていなかった——異様に安っぽいガラス張りのシャワールームだけがある。彼はへにょへにょの部屋付きのバスローブを着て部屋を出た。両脇に等間隔にドアが並ぶ廊下を歩き、奥にある「毒ガス室」と呼ばれるトイレに向かった。

タイル張りのそこはひんやりとした空気、殺風景さに加え、人知を超えた圧倒的な異臭が立ちこめていた。突然後頭部をエピフォンのエレキギターでぶったたかれた衝撃に駆られたハヤタは、ウグゥ、いやになっちゃうぜ、と驚きをあらわにした。

彼は抜き足差し足で小用便器にたどり着き、すませた。彼が向かい合うタイル壁にはある象徴的なものが刻み込まれていた。

それは写真だ。誰かが忘れていた写真だ。金髪の白人女が一糸まとわぬ姿でプールサイドに、猫的な姿勢で寝転がっている写真だ。それが2×2メートルほどの大きさで印刷されている。写真はその毒ガス室を通り過ぎたたくさんの月日により、悲しいほどに色あせていた。ビキニ環礁での核実験に由来する水着の赤さも薄まり、背後のマイアミ的なプールの風景に至っては判然不能な領域まで色が失われている。写真はまるで、机の引き出しを整理したときに出てくる若き日々の写真のようだ。それは時間がその瞬間からいままで死に絶えてきたことを証明し、見る者にある種のまぶしさと恥ずかしさとどうしても狭められない距離感を抱かせる。

彼女は笑っている。一度笑えば表情を変えることはできない性質なのだ。もしかしたら、彼女は壁に閉じ込められた自分の境遇を嗤っているのかもしれない。あるいは「お願いここから出して。どこか違うところに行きたいの。こんな世界の果てみたいな、死が支配する臭いところではなくて、もっと豊かで繁栄した場所で本当の人生を歩みたいの!」と要求しているのかもしれない。

この「にこり」とした笑顔が空虚かそうでないかをめぐって議論がわき起こっている。「空虚」とする説が最も有力だ。ある自暴自棄な自称文明評論家カッツはこの写真を俎上に上げた人物だが、彼は最初から最後まで最もとんがった理論を提唱しているのだ。

「彼女の笑顔が持つ空虚さはブラックホールのど真ん中と匹敵しそうだ。あらゆるものを吸い込み、違う次元に追い移行させるのだ。彼女は極めて商業主義的で、極めて人間の欲望に忠実な形で、この写真の登場人物になりおおせたのにもかかわらず、彼女は世界をぶっ壊す側に加担しているんだ。ここが画期的だ。ブーメランが弧を描いて放った者自身を襲うようである。

それから目を凝らしてほしい。この微笑み自体がそもそも表層的種類のものである。ここには何一つ真剣なものがこもっていない。仕事だから、そうするよう要求されているから微笑んでいる。彼女の心と笑顔の間にかなりの距離を感じる。これは彼女だけに特別なことではなく、現代の人間にも言えることだと主張したい。この自分が表現することと気持ちが離れている状況に、私は懐疑的である。なぜなら、そうするとアイデンティティががたがたと崩れ始めるからだ。自分が自分らしくなるから。自分がいくつかに分かれてしまうからだ。

そうじゃないだろうかね。ちがわないだろう」

カッツは講釈を終えるとにんまり笑った。確かにそれは心のそこから強い意志により笑っているふうだった。彼はその後、壁を撮った154枚の写真をスペースに同時に展示する現代美術作品をつくり、大ヒット。そのなんとなく意味有りげなことを言っているふしのある口調と、異様に鼻が肥大化したユーモラスな顔つきで人気は衰えず、華麗なる転身を遂げることになるのだ。

そしてハヤタはその最初の対面で「空虚説」の熱心な支持者になった。懇切丁寧にハヤタはカッツの理論を支持するものを付け加えもした。彼はその間抜けな顔に似合わず、身の回りのものごとに洞察を加えるのが大好きだった。そう、こんな感じだ。

この写真はたぶんどこかのマイアミ的なラグジュアリーなプールサイドで撮られ、まあまあ売れてる雑誌に載ったのが原点だろう。創意工夫に溢れた人物がそれに興味を示し、すぐさまコピーし、トイレのタイルに再現した。この過程に面白みがある。①撮影(現実のコピーをつくる)、②雑誌に載せる(コピーを大量複製して分配する)、③その雑誌から剽窃する(コピーをコピーする)、④毒ガス室に再現する(コピーのコピーを貼付ける)——この複製の連続、複製の重複により「もとあった場所から大分遠くまで来ている」のがこの写真なのである。そうポイントは複製に次ぐ複製である。そのいも焼酎に水を加えていくのにどことなく似たプロセスを経ることにより、事象はそれが最初の段階で帯びていた意味とか文脈とか周辺的環境から次第に切り離されていく。その反復を強めていくならば、その複製物はあたかも投棄されて地球から離れていく人工衛星のようになる。最初にいた大地から離れ、取り返しの付かない距離をはじき出す。最終的にそれがたどり着くのは忘れ去られてしまうことだ。

ハヤタは深遠なふうにも見える結論を導きだす。

これが私たちの文明のある一つの到達点だろう。あまりにも思慮に欠けた方法――コピー、貼り付け――はいくらでも繰り返される。その反復が不可逆点を超えたのが今の時代であり、最初の文脈というものは冥王星から見た地球ほど離れたている。その一方で着目すべきは、そういった使い込まれたシャツがなぜか懐かしさを喚起すること、つまり、根拠なきリマインダーの部分だ。その綺麗な女のロングヘアがくるくるしているところや、化粧の仕方―その写真はたぶん70年代に撮られたものだと推し量られた―を見ていると、それは音声が失われ、色彩が失われ、純粋かした映像的記憶のようだった。たとえそれを見るのが初めてだとしても、不思議と昔見たような気がしてしまう作用を含んでいる。これはおそらく記憶が強化されるシステムが覚え、忘れ、思い出すことの反復によるのと、写真が幾度とない複製の反復を経ていることと関係するんじゃないか。こじつけじみているが、少なくとも記憶の構造との関係性は明白だと思われる。

そこで、すとっと、猫が毒ガス室の天井の板を一つ外して姿を現した(天井を外すのが好きなのだ)。猫はやくざのとっつぁんみたいな顔のしかめ方をして「キミの考え方にはあきれるよ。わたしはねえ、キミとは別意見だよ。どうしてそんな下らんことを考えられるのか」と論争の構えをした。

これで猫がハヤタの脳みその中をのぞき見ることができることが明らかになった。でも、ハヤタはそれには気づかなかった。それがどれだけ重要な事実かはあとちょっとで明らかになる。

猫はついに彼の意見を開陳した。「言わせてもらっていいかな。青二才のハヤタ君。あの写真はねえ、そんなもんじゃないんだ。彼女の『にこり』はねえ、『未来と幸福の追求』の写し鏡なんだよ」それはかなり新しい意見か、かなり古い意見のどちらかに聞こえた。猫は汚れきった床のタイルに絶望を示し、ありとあらゆるものが壮絶なまでに汚いなかで、比較的きれいな洗面器のタブを体の置き場に選んだ。その手首を丸めた足をがんがん叩き付けた。

「彼女はその裸を見せることで多くの寂しい男を癒しているんでしょう。やむにやまれぬ理由で、いくばくかのカネでその裸をさらし、それは世界中に流通してしまった(その結果、この場末のトイレのペンキにまで描かれた)。彼女はもしかしたら、両親から売られたのかもしれないし、たちの悪い男にだまされたのかもしれない。妙な借金の始末をつけないといけなくなったのかもしれない。とにかく、ちょっとした誤りから、プールサイドで、カメラの前でその大きな乳房やら、太ももやらをさらすはめになったんでしょう。違うかな?」

「違わないよ」

そうだろう、と猫は口端の片方を持ち上げた。「われわれが着目すべきは、彼女が厳しい状況を抱えているにもかかわらず、プロフェッショナルの『にこり』を編み出したことだ。ハヤタ君みたいにこの笑顔を空虚だという無粋な輩もいるようだが、それは絶対に違うんだ。これはどんな過酷な状況にあろうとも、真っ裸でカメラに収められようとも、そのすべてを肯定して、『私は自分に授けられる未来を信じ、あくまで幸福を追求していくつもりですのよ』と宣言してるのよ。あの『にこり』は、見ている人間を全員バカにしているかのような、ものすごい高級な表現なのよ、分かった?」

ハヤタはまったく納得しなかった。「そうは思わないな。あんたはセンチメンタリズムについて語っているだけだよ。余りにも面白くないよ」 

23 青い傘の女

その後不思議なことが起きるのだ。

猫はハヤタの答えに満足できず「なんだと、キミ?」と毛を逆立たせた。そこからきやつのからだがアドバルーン的にどんどんふくらんだ。すごい速度だ。時を同じくして天井の穴からたくさんの猫がこぼれ落ちてきた。ジャックポット。猫はすぐに床をいっぱいにした。膨らむ猫はやがてジュースの4トントラックほどの大きさに達した。弾け飛んだ。青白い煙がまき散らされた。それを合図にしたかのように猫の群れが、ハヤタに向かって突進し彼の体の周りを這いずり回ったのだ。彼は頭が狂いそうなほどの違和感を感じ、体の力が少しずつ体の外にもれ出て行くのもわかった。彼は煙に包まれ、体は汚いタイルの上に転がった。タイルが発する異臭が彼の混沌とした脳みそに若干の見晴らしを与え、残りのエネルギーすべてをトイレからの脱出にかけた。猫に包まれた彼の移動は、猫が彼を導いているようにすら見えた。

なんとか脱出した廊下もまた青白い光と猫の群れで満たされていた。猫が帯びる奇妙な白い光は、煙に当たり幻惑的な光になり多方向へと拡散された。それは神聖な雰囲気をかもちだした。廊下にはやはり等間隔でドアが無数に並んでいるが、もといた場所のことは思い出せそうにもなかった。ハヤタは匍匐前進しながら、ドアを認め一度は入ろうと試みるが不吉さを感じてやめる、ということを繰り返した。そうするうちにも彼のエネルギーを猫たちが奪っていくのだ。時間は本当に限られている、それくらいはわかる。急げ!

そのとき天啓のようなものが現れ、一つのドアが異様な確信を帯びた存在へと早変わりするのだ。その「予期」のごとき事態に抗おうとはしなかった。彼は大河に落ちた一枚の葉っぱだ。そのまま流されていくだけなのだ。 

部屋には白いワンピースのすらっとした女が立っていた。女は青い傘を差していた。その部屋には確かに雨が落ちていた。ハヤタは猫が去ったことがわかった。彼が相対するべきは猫ではなく、その女だった。女は蝋人形のように固まりながら、その切れ長の目に浮かんだ黒い球体で彼にまなざしを送っている。まなざしには鋭さはなく、彼を柔らかく押しているふうだった。

女は完成し過ぎた美しさの持ち主だった。人間を通り越してセルロイド人形か何かに似ているほどだ。顔立ちは幾通りもの黄金比が互いが反発し合わない形で掛け合わされていることが伺えた。世紀の大発見である。彼女は世界の美しさの表象になっている。それはデザインという概念が突き進めるところのすべてを達成したかのようだった。そうそれはもはや人の顔立ちではなく、洗練されすぎた様式美である。

その鼻筋はすっと通りるのにもかかわらず、鼻自体はコンパクトさを併存させていた。

狐のように切れ長の目は異様にセクシー。唇はほんのりとナチュラルな桃色に染まっていた。からだの線は細いが、胸元には十分に豊かなふくらみを認められ、尻は小さいが数学者が惚れ惚れするような滑らかな曲線を描いていた。それらをぴったりとした白い簡素なワンピースが包んでいた。それ自体で素晴らしいものには装飾が必要がないことを彼女は立派に証明していたのだ

この観察の過程でハヤタの脳みその無意識をつかさどる部分が激しくまどろみだした。それは集中豪雨のごとき有様で、そこから無数の夢へとつながる回廊が開かれようとしていた。猫がホテルクエストであらかじめ仕込んだものが駆動し始めた、ということである。彼はそのまどろみの激震にまったく気づかないままなんとか状況を自分の懐にたぐり寄せようと思案をめぐらした。

雨足はどんどん高められ、やがてアマゾンの熱帯雨林に降る驟雨のごとき様相を呈してきた。ハヤタの背後の壁に穴が空き、追いかけるように残り3方の壁にも大小の穴が開いた。その穴から濁った水が力強く注ぎ込まれた。さらに雷鳴が追いかけてきた。それはさも目の前に落ちたかと勘違いしてしまいそうな耳をつんざくうるささだった。それから部屋は縦に横に、それから斜めに揺れた。

そのとき、彼女の後ろにあるガラス張りのシャワー室から誰かが出てきた。宇宙服姿の何者かだ。そいつはハイテクなムードを漂わすラフレシアの形状をした真っ白のへんてこな物体を持っていた。それは呪術と科学が無理矢理な婚姻をしたものの、結局は譲り合える部分がないことに気づいた、と思わせるふしがあった。

彼はひざまずきそれを水がたまり始めた床に置いた。するとそのラフレシアよりも繊細で細かく分けられた花びらが、それぞれに空気をなでるような運動を始める。彼はそこにキッコーマンの醤油のペットボトルに詰めた粘着質の液体をどろりと垂らすと、ラフレシアの動きはアドレナリン注射でもしたかのように活発になっていく。彼はコンローラ的なものをぴこぴこいじり、ラフレシアの様子を伺い、やがて満足したようにコントローラを放り投げた。

女はこれらの作業を静観するだけ。ハヤタは事態の変化についていけず、立ち尽くすのみだった。そんな彼に宇宙飛行士は鉄槌を食らわす。シャワー室から今度は火炎放射器ふうの装置を持ってきて、その管をハヤタに向けた。管から泡が噴射されるやいなや、ハヤタは最終回のウルトラマンのようにぶっ倒れ、鼻提灯をつけて眠りこけた。

「これはたぶん歴史への挑戦になるのよ、ハヤタさん」

女はその彼の頭に手を当て、呪術じみた言葉たちを矢継ぎ早に放った。すると頭とラフレシアが相互に影響し合い、やがて超自然的なゆらゆらとした輪が現れた。

彼女は傘をさしたままそのなかに体を滑り込ませた。

さあ愉快な物語の始まりだ。

  


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