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2章 謎の女が行方くらまし

6 耕作機の村

その数日後―。

彼は彼女の故郷を訪れた。奇妙な事実にぶつかった。

そこは山に囲まれた小さな盆地にある集落だった。彼はある情報を介して、彼女に〈記憶〉を渡した耕作機を探した。彼が採ったやり方は、昆虫学者のふりをして村の民宿に長逗留することだ。嘘八百、ああ言えばこう言う、口先三寸などとの異名をとるモロボシにとって、朴訥な農民たちの目を欺くことなど、赤子の手をひねるようなものだった。

彼は村人から学者先生と慕われ、家々で菓子や果物や野菜をご馳走になった。虫かごと虫網を持って颯爽と草原と森を散策し、ついに麦畑の中にぽっかりと開いた空間へと辿り着いた。その機械は空間の真ん中に鎮座していた。

耕作機は軽自動車ほどの大きさだ。塗料はほとんどはげていて、じんましんのように全身に錆がつき、冷蔵庫に入れ忘れたショートケーキのごとく崩れ落ちていた。それは南方の島の浜辺に置き忘れられた戦闘機を想起させた。彼は機械の状態をつぶさに観察し推測した。耕作機が「死骸」だと分かるのに時間はかからなかった。

「これは捨て置かれてから数十年の時を経ているとみられる。〈記憶〉が抜き取られたのも、もう10年、20年は昔のことだろう」。

モロボシは村人たちにそれとなく耕作機について尋ねた。しかし、驚くべきことに村人はその耕作機のことを知らなかった。その耕作機があった麦畑のぽっかりと開いた空間のことも知らなかった。

モロボシは翌日再び耕作機の場所を目指したが、どうやっても辿り着かなかった。

彼はとてもおかしいと思った。ポイントを突いた考察だった。

7 ソウという女について知っていること

モロボシは次に〈記憶〉を帯びるソウについて調べることにした。すると、彼女がミステリアスな霧に包まれた人物であることが露になってきた。

ソウはほかの村人と距離を置いて暮らしていた偏屈な猟師の一人娘だった。彼女はほかの子どもたちとまったく群れなかった。彼女が好んだのは、一人きりで山々を覆う森に入っていくことだ。

森の中には常に深い霧に覆われる場所があった。そこに入って帰ってこなくなった人が相次いだから、村は村人に立ち入りを堅く禁じていた。だが、彼女がその場所に入っていたのは誰もが知るところだった。彼女は言葉数が少なく、いつも氷の表情を浮かべ、神秘的な雰囲気を身にまとっていた。

村人たちはうわさした。彼女には物の怪や霊と通じ合える力が宿っている、森の深くで人間ではないなにか恐ろしい姿に変身しているのではないか、と。

このうわさにはもうひとつ重要な根拠があった。それは彼女が生まれたとき、一度「持ってかれた」ことである。ソウの産婆をしたという老婆がいる。ヤヨイは齢80だが元気そのもの。日がなお茶を飲んでは老婆どうしおしゃべりをしていた。

彼女はソウの誕生日をたった今起こったことのようにしゃべるのだった。「ソウちゃんが生まれた日はとんでもない大嵐だった。横殴りの風が山の斜面を下って村に吹きつけていたわ。猟師の家の戸はがたがた、がたがたと体を震わせ、柱もぎいぎいときしんでいた。家自体が揺れていたかもしれない。そのうち天井が落ちてきて、みんなつぶれちゃうんじゃないかと思ったわ。

長い間ソウちゃんは出てこなかった。お母ちゃんはまあまあつらそうだった。それでもやっと世界を知った赤ん坊を見ると、彼女はうれしくてうれしくてたまらなさそうだった。彼女は横になりながら赤ん坊を抱きしめた。

しかし、突然巨大な雷が家の庭に落ちた。家を包んだ白い光が去ったとき、ソウちゃんの姿は忽然と消えていたの。お母ちゃんはこんなことを言うのよ。『誰かが持っていった。とてつもなく強い力で引っ張っていった』。そして彼女は悪霊に憑かれたようにむせび泣き、頭をたたみの上にたたきつけ始めた。彼女は叫んだ。『どうして、どうして』。それは目も当てられない残酷な風景だったわ」

8 ソウ・2

「赤ん坊は消えちゃったのよ。村人は赤ん坊が人身御供になったと信じた。赤ん坊は神様が連れて行った。そしてたぶん神様になった、そう信じていた。そういうことは昔からたまに起きたわ。村は神様の土地を切り開いて生活の糧を得ている。だから神様はたまに代償を求める。それがたまたま猟師の家の赤ちゃんだったんだってね。だから神様の気まぐれだったのよ。でも、両親がそれで納得できるはずがないでしょう。両親は狂ったように彼女を探した。みんな猟師に同情していた。やっと生まれた赤ん坊が『持ってかれた』なんてひどすぎるじゃないの。

でもね。変なことになったの。これをどう説明すればいいのか、私にはよくわかんないわ」

彼女は深いため息をつき、首をかしげた。

「赤ん坊は2ヵ月後川のほとりにある木陰でじゃれあっていた若い男女が見つけた。その若い男女はこうみんなに話したの。『あの赤ん坊は上流の方から蓮の葉の上に乗って下ってきた。赤ん坊は裸のままぐっすり眠っていた。蓮の葉が流れで揺れているのを気にする様子なんてなかった』ってね。男は赤ん坊を拾い上げて、川原の草むらに横たわらせた。赤ん坊はやっと目を覚ました。そして『泣きもせず、笑いもせず、ただただ冷たい表情で空気を眺めていた』らしいの」

それ以降、彼女をめぐる話は途絶えてしまう。彼女は山を下りて街の高校に通い、やがて東京の短大に行った、というのが風のうわさ。でも本当にそうしたか、知っている人は誰もいなかった。

「ううむ。どうも、ヒモと縁切りして転職もしてすっきりしようっていう女とかさならないなあ」とクボタは言った。ミステリアスなソウ、平凡な現代女性のソウ、この二つは大きく「断絶」している。

そこで二人はこんな素朴な疑問にぶつかった。幼いソウと大人のソウははたして同一人物だろうか―。

9 ソウの行方

「この謎を明らかにするには相棒が必要だ」。モロボシは喉の渇きを感じ、酸っぱいコーヒーを飲んで顔をしかめた。「もちろんその相棒というのは、おまえだクボタ」

クボタはぎょっとした。「おいおい。待ちねい。おれはビデオ屋だぜ。しかも、アダルトビデオがもうけの半分を占める格好の悪いビデオ屋だぜ。真夜中になると、不健康な男たちがこそっとやって来て、こそっと借りにくるような店なんだよ。それが〈記憶〉を持つ女を追う? なんの話しだい? まったく違うじゃんか。ジャンルが。SFとコメディくらいの大間違いだよ。水と油ってやつだ、モロボシさんよう」

クボタは「レンタルビデオのクボタ」とゴシック調のプリントが入った、黒い前掛けを引っ張って見せつけた。それは洗濯し過ぎたせいで、引き出しのなかから見つけた昔のフィルム写真のように色あせ、くたびれていた。「おれはついさっき心機一転を誓ったばかりだ。妙な副業に手を出す気はないんだ。来週はロボコップフェアをやるんだ。その次はブレードランナーフェアをやるんだ」

だが、モロボシは人差し指を突きつけてこう断定した。「そんなことはないぞ、クボタ! SFとコメディの組み合わせ、結構じゃないか。やろうよ。おれと大河SFコメディ」。すると、彼の人差し指の先の空気が真夏の陽炎のようにもやもやとよじれた。クボタは何度も目をこすったが、その奇妙な現象は起こり続けている。モロボシは次第にその指をトンボを惑わすふうにぐるぐる回し始めた。

「いやあおれは知っているなあ。お前はレンタルビデオ屋としての未来に絶望している。自分がするべきことはほかにあると思っている。ビデオのなかには夢の世界が広がっているのに、それを貸し出している張本人の人生には夢なんか全然ないんだからね。ああレ・ミセラブル!」

すると、モロボシの頭蓋骨をレンタルビデオ稼業のネガティブな側面が貫いた。10数本まとめて借りてすぐさま遠くに引っ越す会社員、ビデオがつまらなかったと小一時間文句を垂れる主婦、13歳の会員証でアダルトビデオを借りようとする中学生、こっそり商品のビデオを持って帰るアルバイト。うんざりだ。喜び組アイドルの無個性で有害な歌声を日に12回くらい聞かせてくる有線放送、1月に1度ほどある駐車場での衝突事故、利益を削りあうような競合店との100円レンタル合戦。やっぱりうんざりだ。

モロボシは持ちうる話術を総動すると、門がこじ開けられ、櫓が焼かれ、本丸に兵がなだれ込んだ。クボタという城は陥落した。クボタはモロボシのマインドコントロール術にはまったとは全然思わなかった。

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