高齢者夫婦とラーメン屋の話

 あれは一人で乗務するようになって1週間くらいの出来事。結論からいえばお客様に見送られたのだ。後にも先にもこんなことはない
  
 空車で高田馬場を走行中、駅にほど近い早稲田通りで手が上がった。

 
 「下落合の浄水場まで!」

 
 きわめて簡単な指示だ。西向きでご乗車して頂いたこともあり、小滝橋通りを右折。そこからまた一回だけ右折すればいい。2ヶ月ほど経った今でこそ、なんてことはない指示だが、当時はサッパリ分からなかった。まずはご乗車頂いたことに感謝を述べつつ、

 「お客様申し訳ございません、私新人でございます。よろしければ道の案内をお願い頂けますか?」

 「新人?そんな人にめぐり逢ったのは初めてだよ!」
 
 
 そこからはもうひたすら質問攻めだった。
 何故タクシー運転手になったのか、実際に儲かるのか、道はどれだけ覚えたのか、土地勘のない何故ここを走っているのか、結婚しているのか、子どもはいるのか、持ち家なのか、賃貸なのか、休日は何をしているのか等々。

 主に奥様の口数が多かったが、旦那様も無口というわけではなく、互いに興味のあることをぶつけてくる。道案内を挟みながら、ひとしきり答えていたらあっという間に目的地に辿り着いた。

 「ありがとう」

 
 この頂いた言葉で、私は研修所での教官の話を思い出した。

 「君たちは、ラーメンをつくれないラーメン屋なんだよ!お客様が『ラーメンください』と店にくる。しかし、君たちはつくれない。それどころか『すみません、つくりかたが分からないので教えてください』と頭を下げなきゃいけないわけだ。ところが、タクシーってのは割とお客様が教えてくれることが多い。要はお客様がラーメンをつくってくれるわけだ。にも関わらず、御礼の言葉を頂くこともあるし、中にはチップまでくれる方もいる。」

 まさに今、これが目の前で繰り広げられた。メーターは900円だったが、1000円頂きお釣りは要らない、と言われたのだ。
 お客様が降車後、頂いたお金をしまい、自動出力される不要なレシートを処理し、知ってる道までのルートをナビで調べるなど、路上でハザードを付けて色々とやっていたところ不意に感じる視線。視線の先にはお客様である、先程の高齢者夫婦が笑顔で立ち尽くしていた。助手席の窓を開け、お声掛けしたところ

 「見送ろうかと思って」

 
 出発する準備が整ったので、頭を下げ出発すると、高齢者夫婦は2人揃って手を振り始めた。100m程度はあっただろうか。相互に見えなくなるカーブまでその行為が終わることはなかった。
 私はお客様の孫になった気分だった。同時に、タクシー運転手という仕事の面白さに目覚めたのだった。


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