#タクシードライバーは見た「言葉と概念」

タクシー運転手は言葉と概念に振り回される。
この仕事を始めて間もない頃、まさにそれを感じたことがあった。
タクシーでは目的地のためにお客様が言葉を使って伝えてくる。
その言葉をこちらが聞いて、場所を認識するわけだが、その認識が違ってしまうことがある。
極端なことをいうと、お客様が「六本木ヒルズ」と言っているのに、運転手が「六本木ヒルズ」とは違う場所を思い浮かべるということ。
そんなことは流石にないが、お客様の伝え方によって運転手の認識は幾らでも変わってしまう。

都内のある場所でお乗せした男女二人組、男性は50代後半、女性は20代後半といったところ。
銀座にお店を出す云々の話をしていたことから、夜のお店界隈の人間だろう。
男性は乗ってくると「愛宕グリーンヒルズ行って」と仰った。
「はい、かしこまりました」そう返し、ものの5分と掛からない場所までお送りしようとすると、すかさず男性が
「愛宕グリーンヒルズの場所わかる？二つビルあるけど」

実際に港区愛宕にある愛宕グリーンヒルズは
フォレストタワー(住宅棟)とMORIタワー(レストラン、ショップも併設のオフィス棟)の二つが存在している。
この仕事を始めて間もないとはいえ、既に何度かお送りしたことがあり知っていた私は
「はい、大丈夫です。どちらに向かいますか？」と答えた。
「いろんな施設がある方」
この時点で雑な伝え方ではあるが住宅棟ではないことは認識できる。
「かしこまりました。住居が入っていない方で宜しいですか？」
「そう、あれがある方、えっと～成城石井のある方ね」
「かしこまりました」

何となく伝え方が雑なことが気がかりではあったが、
お互いに愛宕グリーンヒルズのオフィス棟に向かうことを認識したうえで目的地へ向かう、成城石井はオフィス棟の一階に置かれている。
思いのほか早く到着し、オフィス棟付近で「車寄せへ入ってよろしいですか？」と聞くと。
「は？ここじゃないんだけど」
「え？愛宕グリーンヒルズでは」
「だから、成城石井がある方だって」
「(ここ成城石井あるんだけど . . . . )」

男性の目的地は愛宕グリーンヒルズ、オフィス棟。
私とお客様の頭の中の認識も、
「施設がある方」と「住居がある方」で分けて認識し
施設がある方となった。
さらに成城石井がある方という念を押した伝え方で確実に一致した。
しかし「ここじゃない」。

思わず「はあ？」と言ってしまいそうだったが、この男性が言っていたのは愛宕グリーンヒルズのオフィス棟の一階にある成城石井の“前”で降りたいということだった。
男性の目的地を言葉にすると「成城石井があるオフィス棟の成城石井のそば(前)で降りたい」。

目的地は同じところで認識していたが、降りる場所の認識が一致できていなかった。
というかそもそも「成城石井のある方」という言葉でお客様は降りたい場所のことを伝えていたらしい。
その言葉に私は、降りたい場所ではなく二つある方で間違いたくないから念をおして「成城石井のある方」つまり「オフィス棟」と伝えてきたと思っていた。

言葉と概念の違いであり、言葉が足りないとも言うだろうか。
こんなことが何度かあり、お客様が100人いれば100通りの伝え方があることを後々認識し、今は「成城石井のある方」と言われれば「降りる所ですか？」と聞く。
少し皮肉った言い方をすると、伝え方が下手な人の場合はこちらから拾いに行っている。
とは言うが「成城石井のある方」とお客様が仰ったからといってそこで降りたい訳ではなく、オフィス棟を意味している場合もある。

「伝える」ことと「伝わる」ことって全く違う。
この仕事をしていると何度もそう思う。

オマケ

今回の間違いの際、男性は皮肉を言うように女性と話していた。
運転手の名前ボードを見て
「あれ、運転手さん沖縄の人？」
「そうです」
「あーそうなんだね、沖縄から来た人ならしょうがない」
「えー優しいー」
女性が合いの手を入れるように反応する。
「田舎の人にとっては道難しいから、俺はずっと東京いるから難しいの知ってるし」
「え、でも私ムリかも」

この後も少しその流れが続いた。
しかも、なぜか「道を間違えた田舎出身のバカな運転手を許した優しい男」みたいな雰囲気になっている。
それに対し、私は
「は？ちょっと待て、そもそもこの問題は道を知っている知っていないではなくて、降りる場所の認識が違ったことだろ。
道も二つ並んだビルのことも知ってるし、あえて言うとお前が“降りる場所は成城石井の前”という“オリルバショ”という5文字を付けることができればこうはならなかったし、
そのことを理解せずに、自分の伝え方が下手なことも棚に上げて何の基準か知らんけど田舎から来たイコール道は難しい、東京にいるイコール道が分かるというその馬鹿げた構図を思いつくことの方がもっと頭の悪いバカな考えだと思うけど
って言ったらキレるだろうな～」
というのが頭の中にあった。