自由とは「2+2=4である」と言えること
こんにちわこんばんわ。
全ての増税に反対し、全ての減税に賛成する自由人、七篠ひとり(@w4rZ1NTzltBKRwQ)です。
自由とは「2+2=4である」と言えること。
これはここ減税新聞でも何度かご紹介した、独裁者に支配された全体主義社会を描いたディストピア小説であるジョージ・オーウェルの「1984」に登場する言葉です。
「1984」についての詳細はこちらの記事を見ていただくとして
「2+2=4」は作中においても重要なフレーズのひとつです。
一見何を言っているのかよくわからない言葉のように感じますが、この言葉にはとても重要な意味があります。
なぜなら「2+2=4」であることは誰もが知る常識であり、その答えは決して「3」や「5」ではありませんが、「1984」のような自由の消えた「一党独裁の全体主義社会」では
2+2の答えは国家権力が決めるもの
になるからです。
つまり「2+2=4と言える自由が無い世界」では、政府が「答えは3だ」と言えばそうなるし「5が正解」となればそのようになるのです。
実際に「1984」の作中においても、反党行為がバレたことで党から拷問を受ける主人公にはこのような質問が向けられます。
最終的に彼が4本の指を何本と答えるようになるかは小説なり映画なりを見て頂ければと思いますが、
「正しいものは正しいし、間違っているものは間違っていると言える自由」
は当たり前すぎて気付きにくいだけに、大切に守る必要があることは説明するまでもないでしょう。
また、4本の指を出しながら「これは5本だ」と自分に言い聞かせることも止めるべきです。
政府が言ったから正しい、●●さんが言ってるから間違いないという妄信や、矛盾を承知しながら意見は変えないという自己欺瞞は「2+2=4である」という自由を捨てる道でしかありません。
「内容」ではなく「誰がそれを言ったか」で答えが変わるような考えは、非常に危険なことであると理解すべきでしょう。
そしてそういったことを平気で公言し、また「2+2の答えは権力者が決めるもの」として全く自分の意見を持たない国会議員がこの国には存在することにも危機感を持つべきだと私は思います。
言った相手が誰であろうが「2+2」の答えは「4」であり、「3」でも「5」でもありません。
同様に「2+2=4」と言ったのが最も軽蔑する人間だったとしても、それは「正しい答え」です。
そして「2+2=5」と言っている人には「いや、答えは4だよ」と指摘できる社会が普通の姿です。
逆にその間違いに気付きながら「誰が言ったか」によってその指摘もせず、また黙認という形で「2+2=5」を許すことは「自由の放棄」でしかありません。
自由とは「2+2=4である」と言えること。
誰かが「この指は5本だ」と言い出したら、「違うよ。それは4本だよ」と言ってあげられる関係性こそが「信頼」だと私は思います。
「2+2=5」という政治家を黙認する信者になってはいけません。
「2+2=4と言える自由」を守るためにも槍衾(やりぶすま)を持って政治家を応援しましょう。
ということで、今日はここまで。
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