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はい、縫製室です/「お直し」職人になったらば

 ひとえに技術的な仕事への誇り、お客様の期待に応えようとする気持ちと技術的な高みを目指したい志から。
 周りの熟練先輩方々のお話をうかがうと、仕事の姿勢はそのように感じます。

 私はというと、職人の技術をあわよくば手にして自分や家族の服作りに役立てたいという動機からこの職に応募した身です。それは「できるだけ長く働きたい」意思からでもありました。興味が無ければ長続きしないと思ったんです。とは言っても、どんな仕事でも「興味関心を持つ」ことは得意なので、あまり仕事の幅を狭める理由は持たないのではありますが、「長く」となるとやはり「興味関心が長く続きそうな」という条件は欲しかったんですよね。それが「服を縫うお仕事」でした。

 それにしても「お直し」のお仕事は、ちょっとリサーチしてみましたが全国どこでも最低賃金かそれにきわめて近い給与体系です。そして働いている年齢も高い。求人広告にみられる文句はどこでも「趣味を役立てられる」や「初心者でも大丈夫。丁寧におしえます。」というものが非常に多かったです。

 戦後の話では、ミシンを1台持てば「服を直す」仕事ができて収入を得ることができる。母子家庭を支える収入に主な仕事だったようです。
 ここ沖縄では、本土の洋服の型(パターン)では体が小さめな沖縄の人の体型に合わないことから「お直し」の依頼が非常に多かったそうで、日常的に必須なお仕事だったんですね。
 そんな時代を知っている人たちが、そろそろ現場からいなくなろうとしているのが今です。

「お直し」ってそんなに不人気なのですか?

 何度か、訊ねたことがあります。なかなか募集に反応が無いようなので。
 「(本社から)専門学校に求人したりはしないのですか?」
 「洋裁の専門学校からどんなところに就職する人が多いのですか?」

 「やっぱりみんな自分のデザインに服を作りたい!って気持ちが強いからねぇ。お直しは、最初から服を作るのとは全然違うから、専門学校から来ても「自分のやりたいことではない」といって辞める人も多かったよ(50代後半談)」とのことでした。
 へぇ。そうなんだ!

 ミシンを持っていて「お直し」ができれば即収入になって生活を支えることができる時代と違って、今は「デザイン性」といった創造性のある仕事の側面が前面に出ていることも、「お直し」業にがあまりモテない要因なのかもしれませんね。ある意味、豊かな時代になったということなのかな?

自分で直せる

 「お直し」に少なからずかかわるようになって、少なからずコツやちょっとした技術を知るようになって、ほくほくすること。
 それは。

 便利。それに尽きますね。

  • ゴムを交換する(長さを調整する)

  • すそ丈の調整をする

  • ほつれ直し

  • ホックやボタンなどのつけ直し

  • デザインを変更する(ダーツを入れたり、長袖から半袖にしたり、長ズボンから半ズボンにしたり。)

  既製品を直すことは、まだまだなかなか難しいなと感じています。特に「位置を決める」のが難しいです。
「ダーツやタックといわれても、どこにどこからどこまでいれるのが正解ですか!?」とか。そのあたりは服を作るようになってから徐々に理解できるようになるかなぁと思っています。

 それより自分で作った服を「調整する」ことができるようになりました。本の通りに作ってみたものの、自分の体型に合わないというときです。

  • マチをいれて幅を出す

  • 丈を自分好みの長さに直す

  • デザインを変更する(組み合わせを変えるなど)

 自分でせずに店に依頼することで仕事が生まれているわけなのですけれど、それはそれとして私自身は「自分でやる」自分が好きだなぁとすごく感じるわけなのです。
 自分でできたぁ!が、好きなのかな?そうかもしれません。
 なんだかとても楽しくなるのです。

自分で作る服を自分で着る

 「基本的に売っているものは個人でも作れるものだからね?」というのが私の信条です。なんでもまず「これ、家で作れるのでは?できるのでは?」と考えることから。
 食品も、調味料も、化粧品も、医療品も。衣料品も。
 (とりあえずこれまでの人生でいろいろやってみた結果、農作物や植物を育てることなどは自分には無理だと悟っている次第です。うん。)

 「服を作る」もそのひとつです。
 なにせ化繊アレルギーがあるものですから、綿100%の衣服探しはもちろんでしたが、それに加え、加齢による体型の変化とか、家族においては【どうしても既製品のサイズが合わない】課題があるわけで。

 日常的な必需品を「自分で」「作ってみた」「使えるものができた」のプロセスは、私は非常に好きなようです。とても楽しいんですね。

 「買えるものなら…」は、まぁ本心ではありますが。
 難しい…ので…お財布的に。満足できる条件に適ったモノは確かに存在しますが。お財布的に…(;^_^A。

工業製品の機械技術ってとんでもなくすごいもの

 時々、動画などで流れてきます。
 
 「えぇ!?そんなことまで全部、機械でできるの!?」と驚きの連続です。驚愕するばかりです。

 自分で縫って作っていると、その手間暇がすごいので、服が安く手に入ることがまずとても信じられなくなります。安い理由ってなんだろう?って「どんなからくりがあるのか!?」と疑念が膨らんでしまいます。果たしてその企業努力は正しい方向なのか、それを応援しても大丈夫なものなのか、と。仕事をしている人が幸せになるところを選びたいなって思います。

 ”人件費の安さ”が理由であるならば躊躇します。
 それでよいのかな?いつかその国が、自分たちの国より豊かになった日には、さらにまた「安い国」を探すのかな。それは市民が求めていることなのかな?本当に?
 そんなことを考えてしまいます。
 その「安い国」が自分の国であったら?

 

市民のよりよい暮らしかたを支える

 そんな視線で、そんな観点で、政治経済を考えたのなら。
 道はまた違っているのではないかな、と。ぼんやりとそう思うのでした。

 機械技術で大量に生産している服に、「着る人のことを思っていない」なんてことはないと思っています。そこで働く人々は、作った服が多くの人の喜びになっていることを知っているでしょう。服は機能性やデザイン性がよく考えつくされています。科学技術もふんだんに活用されていて、「服」の概念がひっくり返りそうなくらいです。
 でも一方で、「見合わない現状」もあるのだろうとも想像したりするのです。

 作る側も、作ってもらう側も、共におなじだけの幸福が行き来することがあたりまえだと考えることができる市民生活が第一になればいいのだろうな。

楽しい日本

 2025年1月24日。
 石破総理は衆参両院の本会議で施政方針演説に臨み、「国づくりの基本軸」を述べました。

「かつて国家が主導した『強い日本』、
企業が主導した『豊かな日本』、
加えてこれからは

一人一人が主導する『楽しい日本』を目指していきたい」と述べた。

「楽しい日本」とは

「すべての人が安心と安全を感じ、
 自分の夢に挑戦し、
 『今日より明日はよくなる』と実感できる。

 多様な価値観を持つ一人一人が、互いに尊重し合い、
 自己実現を図っていける。そうした活力ある国家」

24日、石破総理 施政方針演説 

 世論ではなんとなく不評なようですか?
 まぁ、確かに私も最初にその一文を目にしたときは「?」と感じましたが、成長発展のその先の社会実現の段階に至っては、当然の時代の登場のような気がします。

 それは例えば、全員が経済的な豊かさ=収入があるという社会とは言えないでしょう。そういったどうしても不公平がなくならないなかで、ひとりひとりが感じる、多種多様な生き方、暮らし方、そのなかで得る豊かさ。それこそこれまでの成功のレールはいっさい参考にならないような多様性があっても大丈夫と思える社会。オルタナティブな社会。
 そんなイメージが伝わります。

 言い方は適切ではないかもしれませんが、

 それぞれが
 それなりに
 しあわせを感じている毎日があること

 これまでのような「成功実現」に追い込まれることから脱却するのですね。
 自分の時間やあり方を手にすることができる、そんな毎日を送る人が増えたらいいな。

 楽しくあることに罪悪感を持たないでいいんだよ。

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多和 洋美 | kokage
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