不安の種をどうする?
”不安”を、ね。
見ないフリをしたまま、安心材料で固めても、それってつまり。
不安の種を土に埋めて、肥料を与えてたりしてない?
そんな風に育ってしまった木がたくさんあつまった森があちこちでできているのね。
そしたら、森に迷い込んでしまう人はもっとそこに誘い込まれてしまうのね。
そんな森をつくる手伝いをするようにはならないでいたいね。
”不安”な気持ちを、放ったらかしにして、その周りを”安心材料”で塗り固めてみても、「これで安心!」とはならないの。
なぜって、”不安”の正体をあなたは知らないままなんだもの。
その”不安”は、本当にあなたのもの?
”不安”なくすためにできること・それは、その”不安”と向き合うことなんだよね。
その正体をみやぶろうよ。じっくり見据えて、逃しはしない。
そしたら、気づくのよ。
正体を知らないから、目を覆って見ないようにするから、見えない不安は勝手に膨らんでいくのね。想像だけでね。でも本当は、そんなもの無かった…って気づくのよ。そんなに大きくてどうにもならないものでもなかったって分かるのよ。
だから、ちゃんと見て。
ちゃんと聴いて。
”不安”は、あなたのもの。あなたがそだてているもの。
お願い。見えないフリをしないで。隠さないで。放っておかないで。
あなたの一部、なんだもの。だけど。
”不安”な気持ちを否定しないで
『”不安”を消す』ということは、”不安”を否定することではないの。
”不安な気持ち”も、大切なあなたの一部なんだもの。
否定しないで。
(今、わたし、不安なんだわ)って抱きしめていればいいの。
不安な気持ちを持っている自分を、ぎゅって抱きしめてあげればいいの。
だって、そうしてほしいのだもの。
”不安”でいっぱいなときにしてほしいこと。してもらいたいの。
それでいいの。
そう、想えるように。
安心材料の使いかた
さっきも書いたんだけどね。
”不安”を覆い隠すために、たくさんの安心材料で覆って、塗り固めてみても、不安はその中心にそのまま放っておかれているの。厚い壁の奥にだいじにだいじに守り固められて、誰にも見つけてもらえないまま、ずっとそこに置かれたままになってしまう。
不安はいつまでも、そこにあるということなのね。
”不安”の正体を知れば、いいんだったね。
不安だから、不安を消さなきゃって思わなくてもいいんだったね。
不安を無くすために、安心材料を見つけようとしないでね。
それは間違った探し方よ。
不安をちゃんと見つめて、それが「不安に思わなくてもいいことだった」と気づくと、そこにあるのは、《課題》なのね。
足りないものはなに?
必要なものはなに?
代わるものはなに?
変えればよいことはどれ?
そんなひとつひとつの『問い』が浮かんでくるでしょう?
それは不安を覆い隠すためではなく、不安ではないと知ったあとに分かる適切な『問い』なのだということ。それがとても大切なのね。前提が違えば問い立てもまるで違ってしまうからね。不安を不安と思ったままの前提と、不安を不安ではないと分かった前提ではまるで違うってことだよね。
その問いの『答え』はあなたが知っている。全部ね。
あとは、その『答え』に必要な情報を探しにいくの。
どんな情報が必要なのかが、もうわかっているでしょう?
それを”見つける”だけなのよ。
必要なものがそこにあることに気づくのよ。目に入るの。だって必要なものが何かを知っているから。
必要なものが向こうからやってくるの。さっと手を伸ばして受け止めることができるのよ。だってそれが必要だと分かるから。
要るもの、要らないものの見分けも、もうついているでしょう?
ほら。もう、大丈夫。
”不安”は、あなたの味方になる。
あなたの強みになる。
あなたの大切な道しるべになる。
だって、全部、あなたのものだから。
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