見出し画像

#4 「ここにいるよ」をつなげたかった

『ホームスクールをあたりまえに生きてる』エッセイ 第4弾です。
「ここにいるよ」を つなげたかった


 我が家のホームスクールは、

家で過ごす方法もあるんじゃない?


から始まりました。

 ホームスクールという言葉も知りませんでした。
 ただ、こどもが家で過ごす、家で育つという環境を親が作ってもいいんじゃない?そんな素朴なヒラメキが、おもいのほか肚におさまってしまったんです。
 きっかけは、ものすごく短くまとめると、我が子たちが学校という環境では、どうも違うんだということが、つくづく分かったからと言えるでしょうか。
 学校に行けない気持ちはそれはとても大切なので、「家にいる」のがまず最初。それはそれとして、親としては、じゃあ、どうする?ですよね。
 確かめました。

 学校で”なにか”あって、それが”解消する”類であれば、それにむけてアクションを起こせばいい。その事実を確認するだけ、です。

 で。我が家の場合。
 
 どうも、そうじゃない。

 学校がキライなわけじゃない。ともだちと遊ぶのだってだいすきだし、近所の子たちはいつも我が家に大集合して毎日、盛大に遊んでいるくらいでしたから。
 なんだか、なにか明確な原因があって、ということとは違っていたんですね。

 今、言えることは。

 そこでは 自分らしく 生きることができない

 うまく息が吸えない感じ。呼吸ができない感じ。もやもやと胸にひっかかるなにかを無視しないといけないのに、それを無視しているとどんどん、どんどん自分が自分でなくなっていく感じ。


 こどもたちが、家で過ごすことに、なんら問題はありませんでした。法律的にも(ここだいじ)もちろんのことは確認したうえでした(2008年当時)。

 ”環境に恵まれたいた”と言えるのは、ある意味、結果論です。
 わたしたちは、当時の環境を充分に活用することができました。充分に毎日を豊かに過ごすことができました。わたしたちにとって、その環境は最善でした。

 そうと決めれば、必要なものはやってくる…と確信するほどに、不安を覚えることなく、ありがたく、その時間と空間の恩恵を受けていたのでした。


 似た感性をもった家族が、やはりどこかに居ました。直接のやりとりをしたわけではないけれど、ブログなどの発信から共感することが多いのですよね。

 そこに 居る
 わたしたちは ここに居る

 ただ、それだけで安心を覚えました。きっと同じことを想い、同じ気持ちを抱いている、と分かるなにかを持っている。そんな人たちが、確かにそこに居ると思えるだけで、なにか、わたしたちも、それでいい、これでいい、と思えたのでした。

 そうして、わたしは。
 今も、こうやって書いている次第です。

 ここに 居るよ
 顔も名前を知らないけれど

 きっとたぶん
 あなたと 同じことを 思ったことがある
 感じたことがある
 
 同じ愛しさを こどもたちの姿に感じているよね
 きっとたぶん そう
 

ここから先は

0字

「ホームスクールをあたりまえに生きてる」シリーズを集めたマガジン 2022年5月スタート。 更新中。基本的に全文公開としています。 気に入…

期間限定!Amazon Payで支払うと抽選で
Amazonギフトカード5,000円分が当たる

ここまでお読みくださりありがとうございます! 心に響くなにかをお伝えできていたら、うれしいです。 フォロー&サポートも是非。お待ちしています。