多和田さち子

朗読者。広島市在住。Reding Notte・Reding Giorno代表。 YouTube「普段着でごめんなさい。」、 stand.fm「ふだんぎ朗読」にて朗読配信中。

多和田さち子

朗読者。広島市在住。Reding Notte・Reding Giorno代表。 YouTube「普段着でごめんなさい。」、 stand.fm「ふだんぎ朗読」にて朗読配信中。

最近の記事

「本当のもの」

スタンドFMという音声配信アプリで朗読配信をしています。いい加減なものは配信したくないと思うと「数」は撃てないのですが、あきらめずに撃ち続けています。 短い時間で仕上げるなら「詩」かな…と、ときどき「ワンポエム」シリーズを配信します。 何回目かの登場ですが、ここしばらくは八木重吉。若くして亡くなった熱心なクリスチャン。 いつも神を思い、子どもを愛し、ときには自分の病気を憎み、ハッとするような短い詩をたくさん書いています。 友人からのリクエストもあって、重吉シリーズの最後に

    • 気になるひと

      スタエフという、YouTubeから見ればかなりマイナーな?アプリで朗読配信をしています。 フォローしたりされたりで、「友だち」も増えてきました。 でも、なかなか他所さまの放送や配信を聴く時間がない。余裕がないことが多いです。 いや本音を言えば、引き続き聴きたいという魅力のある放送が少ないということかな。 それは自分の配信についても言えることで、魅力があるように努力しなくては、とは思います。 ところが最近、楽しみな放送が1本できたのです。 朗読?音楽?パーソナリティのお喋り?

      • 「遠いは、近い」

        身近な芝居に「今、よくあること」を描いたものが続いた。出たものも、観たものも含めて。 「ふつうの、どこにでもある家庭、家族、人間関係」が豊富な材料を提供してくれる。 私自身の「今とこれから」に痛いほどリンクするものも多くて、ピンと来すぎたり、おかしかったり、身につまされたり。 描き方はもちろん一様ではなかった。奇妙なできごとや、あり得ない不思議、特殊な事情を背景とするものもあって、それぞれの視点は面白かった。 しかし日常を描きすぎていて、見終わったあとの思考が広がらないこ

        • 「存外、平凡な」

          芥川の「羅生門」は朗読団体Reading Notteの勉強会でも朗読講座でも、テキストとして扱って久しい。Notteでは高校生向けの『朗読シアター』で繰り返し上演した作品でもある。 慣れてしまって、ついそのまま通りすぎるのだが。 羅生門の上で死体から髪を抜く老婆に遭遇した下人は老婆を追いつめて、その行為について問いただす。(むしろ声を柔らげて尋ねる。) 「今時分、この門の上で、何をしていたのだか、それを己(おれ)に話しさえすればいいのだ。」 老婆は答える。 「この髪を抜いて

          久しぶりの配信

          スタンドエフエムというアプリで朗読の配信をしています。2021年5月から始めた「ふだんぎ朗読」。 YouTubeにも「普段着でごめんなさい。」という2020年からのチャンネルを持っています。 「ふだんぎ」「普段着」にこだわったのは、凝ったサイトにする余裕がなかったからでしょうか。 飾り気のないところ、朗読そのものを聴いてもらいたかったから、か?… 私にはスタエフの方が手軽だったので、いまはこちらが中心になっています。 スマホ1台、何か表紙(サムネイル)になるもの、詩に添える

          久しぶりの配信

          「好きにしなさい」

          シアターレトロマーケット『それだけでうれしい』無事に終了しました。ご来場くださった皆さま、応援してくださった皆さま、そして一緒に仲間に入れてくれた座組の皆さんとスタッフの皆さん、本当にありがとうございました。とても心強く支えてもらった公演でした。 しかし久々に演劇に取り組んだ私には、本番になってから(なぜ上手くいかないんだろう…)と1回ずつ悩んだ公演でもありました。客演させて頂いて雑務に追われることのない幸せな時間だったはずなのに、逆に気が紛れることなく、「自分のパート」に神

          「好きにしなさい」

          「ふつう」と「ふつうじゃない」のあいだ

          「ふつう」と「ふつうじゃない」のあいだで暮らす毎日。今週末、舞台の本番です。しかも朗読じゃない舞台。 昨日はFMちゅーピー「すまいるパフェ」におじゃまして、パーソナリティを含む4人の出演者で公演の話をしました。 若くて、もっともっとバリバリやりたい人たちに混じっていると、元気がもらえます。17人も出演者がいるのもすごいことだけど、みんな前向きで優しいのが、もっとスゴイこと! 昨日の夜、私たちのチーム(オムニバスで5チームある)は最終稽古を終えました。「あとは元気で本番を迎えて

          「ふつう」と「ふつうじゃない」のあいだ

          『それだけでうれしい』もうすぐ本番

          10日後に迫った演劇公演に俳優として参加しています。シアターレトロマーケットプロデュース、 プロジェクションマッピングとタッグを組んだオムニバス公演。 『こんにちは。シアターレトロマーケットです。 安佐南区で演劇をするグループです。vol.2』  《それだけでうれしい》 「ピッタリの役柄で」と楽しそうな劇団からお誘いいただいて、ふっとその気になりました。 朗読ではなくて、演劇の俳優として舞台に上がるのは10年ぶりです。 稽古に入ってみて、10年のあいだに「朗読者」になりき

          『それだけでうれしい』もうすぐ本番

          繋ぎとめるということ2

          コロナで活動できないあいだ、グループLINEでメンバーとのやり取り、稽古らしきもの、朗読へのアドバイスなどを続けた。いいこと、新しく生まれたこともあった。無駄だったとは思わない。しかし、なんのためのLINE活動だったのか。みんなを繋ぎとめるためのものだったのか。そもそも繋ぎとめる必要はあったのか。 いいことはたくさんあったが、大変なこともあった。動画や録音で上げてくれる朗読に文字で、文章で意見を言うのはなかなか難しかった。しかし、ふだんの勉強会でも「言葉で説明する」ことを中

          繋ぎとめるということ2

          繋ぎとめるということ1

          朗読者として活動している。仕事だと思っている。文学作品が中心、舞台に立つことが多い。一般向けの朗読講座が1つ、指導・構成・演出・出演を伴う自団体が2つ。その他、もろもろ。 コロナの影響ですべてが止まってしまった。自団体のうちの1つはこの6月、2年に1度の本公演をすることになっていて、台本もキャスト・スタッフの体制もできあがったところだった。4つのグループに分けて本読み稽古を始め、「自粛要請」の出ている公民館を使いながらギリギリ4月11日まで活動を続けて、ストップになった。市

          繋ぎとめるということ1