太陽と月のカップル「愛の不時着」ノート ①
写真は「愛の不時着」のサントラ盤のジャケットだ。そもそもは、左の二人、ソ・ダンとリ・ジョンヒョクが婚約していて、右の二人、ユン・セリとク・スンジュンも婚約寸前だった。それが物語の過程で、真ん中の二人と左右の二人が、それぞれ愛し合うようになる。つまり、二組のカップルが、たすき掛けに相手をチェンジする。
主役の二人が惹かれあうのは当然の流れとして、それぞれの元カレと元カノがカップルになるというのは、ちょっとどうよ……とまったく感じさせないところが、素晴らしい。余り物がついでにくっついたわけではなく、この二人にも、主役に負けないほどの偶然と必然と情熱と運命がある。チャラい詐欺師だったクが、ダンと出会うことで、彼女にふさわしい男になりたいと願うようになる、その変化は胸アツだ。呼応するように、プライドの高いダン(まあこの美貌と家柄でプライド低くなりようがないでしょうが)も、彼との時間の中で変化してゆく。こういう化学反応こそが恋愛の醍醐味だろう。
ダンは意地を張りつつ、むしろ自分に紳士的すぎるクを、もどかしくさえ感じている。クは、何回も彼女をものにするチャンスがあったのに(ダンちゃんは、そうなってもいいと思っていたはず)、逆に無防備な彼女を心配したりする。「君にしか、そんな隙は見せないよ!」「なぜここで一歩引く!」と、心の中でけしかけつつ、普段のチャラさとのギャップにグっときてしまう。ダンに対してだけは、きちんとした手続きを踏まねばと頑なに思っているク・スンジュン。彼女に指輪を贈る場面で「一度はユン・セリに贈ったものだ」とまで正直に言ってしまうク・スンジュン。嘘を商売にしてきた男が、「言わないことさえ嘘」とでもいうように。そういえば「君にだけは嘘をつかないことにした」というセリフもあったっけ。詐欺師に嘘を封印させてしまうもの、それが恋なのだ。
この二人の顛末は、メインのリ・ジョンヨクとユン・セリのストーリーに挿入される形で展開する。それがちっとも断片的に感じられないのも、脚本の妙味だ。一つには、リ・ジョンヒョクとダン、ユン・セリとクの関係が、それぞれ物語の推進力になり、絶妙に絡まっているからだろう。
たとえば、ユン・セリを守るため銃で撃たれたリ・ジョンヒョクを、ダンが見舞うシーン。ジョンヒョクは婚約者である彼女に、結婚できないと謝る。その理由は「好きじゃなくても結婚できるが、他の人が好きなままでは結婚できない」というもの。ある意味、人生の真実を言い当てた深い言葉だ。「そうか! あのとき私が結婚しなかったのは、そういう訳だったのか……」と一瞬ドラマから離れて、遠い目になってしまった。
「不器用に俺は生きるよ」またこんな男を好きになってしまえり
鳴き交わす鶴のつがいや結婚をかくも迷える我らの世代
今ごろリ・ジョンヒョクしに教えられるとはなあ。よいドラマというのは、不意打ちで自分の人生のあれこれを、思い出させてくれる。頼みもしないのに。
ところで、彼がこの言葉を言っている相手は、好きな人ではなく結婚できないほうの人である。いやそれ、まだユン・セリにもちゃんと言ってないんちゃう!? 先にダンに言う? いやその前に「好きじゃなくても結婚できる」って、なんやねん! それがこれまでの二人の関係だったと暗に言っているわけで、二重三重になかなかの言葉である。
何かのインタビューで、リ・ジョンヒョクを演じたヒョンビンが「この役柄ほど自分は原理主義者ではない」と答えていたが、こういうところなんだろうなと思う。融通がきかないにもほどがある。傷つけないための嘘さえつけないのだ。それにしても「好きじゃなくても結婚できる」は本音すぎて悲しい。私がダンだったら、「他に好きな人がいる」という告白よりも、こちらに傷つくなあとしみじみ思った。
しかし、「他の人が好きなままでは結婚できない」という箴言のようなこの言葉が、最終話で効いてくるところが、まことに心憎い。ソ・ダンの母親が、リ家を訪れて破談を申し出るシーンである。あれほど縁談を進めたがっていた母親が、つきものが落ちたように頭を下げる。娘ファーストで生きてきた彼女のこの変化は、娘の意志を汲み取ってのことだろう。つまりダン自身が、リ・ジョンヒョクとの結婚を望まなくなったのだ。それは、なぜか? 「他の人が好きなままでは結婚できない」からである。実は、すでにク・スンジュンはこの世にはいない。けれど彼女の心の中にはいるのだ。時を経て、はからずもジョンヒョクとダンは、同じ境地にたどりつく。
物語の中で、ジョンヒョクとセリが太陽のカップルなら、クとダンは月のカップルだ。ハッピーエンドとバッドエンドという対照的な結末を迎える二組。けれど、決して真逆ではなく、むしろ「紙一重」であることが、非常に大事なポイントだと思われる。そのことが最も端的に表われるのが、第15話のユン・セリが危篤になる場面だ。
銃の傷が癒えないままリ・ジョンヒョクと無理な面会をし、敗血症を起こしたユン・セリ。それと同時進行するのが、ソ・ダンを助けるために銃で撃たれたク・スンジュンが病院へ運ばれるシーンである。ユン・セリ、ク・スンジュン、両者とも銃で撃たれて、死と隣り合わせの状態が続く。その様子を交互に見せられて私たちは、どちらがどちらに転んでもおかしくないと感じる。
やがてユン・セリの枕元のモニターがピーと鳴って、波型が直線に……。(ネットフリックスの配信で見ていた人は、この状態でまる一日、最終話を待っていたのか! 生きた心地がしなかっただろう。)
結局、ユン・セリは蘇生し、ク・スンジュンは亡くなった。でも可能性としては、その逆だってあり得たのだ。ユン・セリが助からない世界もあるということが、実感を持ってしっかり胸に刻まれる。リ・ジョンヒョクとユン・セリが、いかに奇蹟的な二人なのかということを、奇蹟の起こらなかったク・スンジュンとソ・ダンが身をもって教えてくれるのである。月のような二人の悲劇に裏打ちされて、太陽の二人の輝きは、いっそう確かなものとなる。
いのちとは心が感じるものだからいつでも会えるあなたに会える
ダンには、この短歌を捧げたい。
【附記】二組のカップルがたすき掛けに相手をチェンジするという現象は、ドラマ「アイルランド」でも起こる。韓国では、よくある設定なのだろうか。私がこれまで見た韓国ドラマはたった三作品。残る「私の名前はキム・サンスン」も、厳密なたすき掛けではないものの、変形たすき掛けくらいには分類できそうだ。
【文中写真1枚目】「愛の不時着」エピソード7よりhttps://www.netflix.com/title/81159258?