【俵万智の一首一会 14】戻れない時間を生きる
われというひっくり返せぬ砂時計きょうはピンクのセーターを着る 清水あかね
清水あかねさんとの出会いは、三十数年前。お茶の水女子大学の教授が、学生たちに短歌の話をしてほしいと声をかけてくれた。『サラダ記念日』を出版する前のことで、妹のような女子学生たちに語りかけ、興味があるなら一緒に勉強しましょうと誘った。そうして、二人の学生が、私の所属する「心の花」に入会して作歌を続けることになった。一人は安藤美保さん、もう一人が清水あかねさんである。
やわらかきポプラの葉かげに再会し女友達という汚名着る
「女子大生」と紹介されてむきだしの大根のごとき恥ずかしさにおり
一首目は、元カレとの場面だろうか。優しい木漏れ日に包まれた甘い再会劇かと思いきや、「汚名」という言葉が強い印象を残す。女には分類されるが異性としては見ていない。その残酷な宣言が「女友達」である。
二首目、当時は女子大生ブームとも言われ、存在自体がチヤホヤされた。が、そのチヤホヤの正体は、性的な商品として彼女たちを見る目である。値踏みされるような居心地の悪さを、日常的な比喩で表現した下の句が秀逸だ。
その後あかねさんは国語の教師となったが、次第に短歌から遠ざかり、十年以上のブランクを経て、また「心の花」に戻った。その間、彼女の中でどんな心の動きがあったのかは、わからない。けれど再開してからは、かつて以上に熱心に取り組み、昨年第一歌集『白線のカモメ』(ながらみ書房)を出版した。
教師としての日常や恋愛、旅行の歌に混ざって、歌集の後半を伏流水のように流れるのは、若くして逝った弟への思いだ。
ホスピスに転院する朝 弟は新しき腕時計欲しがる
ひまわりの黄色のなかの隠れんぼ わたしにひとり弟がいた
撮った父は知らずに逝った たんぽぽのような笑顔の息子(こ)の夭折を
黄(きい)の花庭に咲きそめ集いたり大人になった君の友だち
ホスピスでの時間を、彼はどのように刻もうとしたのだろうか。隠れんぼをしていた弟は、まだどこかに隠れているだけではないのだろうか。写真に写る弟。それを撮った父は、息子が夭折するという未来を知らずに逝った。三首目の切なさは、まことに複雑な余韻を残す。そして成長した友人たちは、弟の「あったかもしれない人生」を思わせるのだった。
歌にすることで向き合える死があるし、いっぽうで歌にはできない死もあるだろう。歌集の中に、一首だけ置かれた挽歌に、私は立ち止まった。
緑濃き真夏の比叡にさらわれた友は今でも二十四歳
大学院生の時のゼミ旅行で、事故で亡くなった友人がいた。一緒に「心の花」で勉強していた安藤美保さんである。彼女の遺歌集『水の粒子』は大きな話題となったので、名前を知る読者も多いだろう。自分が三十代、四十代となっても、彼女は二十四歳のまま。「さらわれた」という動詞が、唐突すぎる別れを、肌感覚で伝えてくれる。
歌集のラスト近くで、自らを砂時計になぞらえた掲出の一首に会い、私はなんだかほっとした。亡き人を心に抱きつつ、戻れない時間を生きていることへの肯定感。柔らかく自分を慈しむ気持ちが、下の句には溢れている。
(西日本新聞2021年8月12日掲載/題字デザイン・挿画=北村直登)