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【俵万智の一首一会 15】軽やかに詠む老いの歌

「生きてゐてくれるだけで」と子らは言へどその生きてゐるだけがたいへん 林みよ治

 平成二十九年に百一歳で亡くなった林みよ治さんの歌集『詠みしわが歌』は、まことに滋味あふれる一冊だ。遺族による私家版ゆえ入手が難しいので、できる限り作品を引いて紹介したい。

ひとたびは防空壕に埋めたる九谷の皿に夏めぐりきぬ

 作歌を始めたばかりの六十代の作。深く複雑な時間の流れが、大事にされた一枚の皿を通して伝わってくる。人事と自然の対比は珍しくないが、そこに九谷焼の皿という中間のような存在を置くことで、陰翳が増した。

国技館の観衆の服色濃しと思へるけふの富士の初雪 

日に幾度差す目薬の昨日よりけふは冷たく秋深むらし 

 日常のささやかな変化から、季節の推移をキャッチする二首。夏の盛りは白っぽい服の人が多いが、肌寒くなると濃い色の服になる。個々では感じにくいが「観衆」という塊になることで、変化が目に見えるのである。雪の白とのコントラストも鮮やかだ。二首目は、目薬がヒヤッとしたところに秋の訪れを感じている。古来和歌の得意とする細やかさを心得つつ、現代の事物で表現するところが巧みだ。寺山修司や河野裕子を踏まえていたり、中には次のような一首もあったりして「きゃっ」と声が出てしまった。

五七五こねくりまはすわが歌をサラリと笑ふサラダ記念日

 昭和六十二年の作。出版して早々に読んでいただいたようで、嬉しい。影響という点では、晩年の斎藤史を彷彿とさせる老いの歌が多くあり、魅力を放っている。重くなりがちなテーマを、むしろ軽やかに詠むことで考えさせてくれる作品たち。人生百年時代を体現した作者だからこその境地とも言えるだろう。

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「生きてゐてくれるだけで」と子らは言へどその生きてゐるだけがたいへん

他人事と遠く聞きゐし救急車ピーポーピーポーわれが乗るとは

食べてすぐ寝ると牛になるといふ寝ながら食べるわれは何になるらむ

 すべて九十代の作。私自身も母に「生きていてくれれば充分」と言ったことがある。しかし、みよ治さんは「それが大変なのよ!」と切り返す。二首目は、ピーポーピーポーの位置が絶妙だ。かつて聞いていたピーポーが、今車内で聞くピーポーへ……上の句と結句を接着しながら両方へ掛かっている。三首目は「食べてすぐ寝るな」という戒めに対し、自虐とまではいかないが、ユーモアたっぷりに問い返している。

平成の毒婦と姓名二字違ひ「林真」と見れば条件反射

 和歌山のカレー事件で「林真須美」という名前が連日マスコミを賑わせた。作者の娘は林真理子さんで、この二字に何度もドキッとしたのだろう。謎解きの趣もある一首だ。

 生前は、人に贈っても迷惑がかかるだけと、頑なに歌集出版を肯わなかったというみよ治さん。子供時代には「赤い鳥」に文章が掲載され、第二の樋口一葉とまで言われた文才が、短歌作品からも充分に窺われる。作家の二世は、親の名前が重荷となることもあるが、その逆パターンで「林真理子の母であれば下手なものは出せない」というお気持ちがあったのかもしれない。それは全くの杞憂ですよと、伝える術がないのが残念だ。

(西日本新聞2021年12月14日掲載/題字デザイン・挿画=北村直登)


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