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【俵万智の一首一会⑩】届けこの歌

屋上でパピコを食べた思い出よまた会う時の目印となれ 笹本碧(ささもとみどり)

 パピコはチューブ型の容器に入ったアイス。二本が繋がってセットになっていて、誰かと分け合って食べるのが前提だ。


 さりげない下の句だが、よく読むと、ちょっと不思議。すべての思い出を俯瞰したとき、二人がその屋上の時間を、互いの目印のように感じる……つまり「あなたにとっても、大事な思い出でありますように!」という気持ちだが、過去を、こんなふうに未来に向けた言葉で表現しているところが、なんとも素敵だ。


 作者二十代の瑞々しい一首だが、世界を俯瞰するようなこの視線は、笹本碧の特質と言っていい。一人の人間という器を、軽々と抜け出て詠まれたような歌たち。それは、読む者の心をも伸びやかにしてくれる。

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進化論は地球でいちばん大きな樹その枝先に今日も目覚める

 世界の片隅の小さな目覚めが、地球規模の広がりと、進化の歴史という時間軸で語られる。壮大にして爽快な一首だ。
高校生の時から天文部で、東京農業大学に進学した。彼女の青春時代は、自然と深い関りを持つものだったのだろう。植物になりきった、ユニークな作品群もある。


ゆるやかに上がる水温春だよと呼ばれたことはすぐにわかった

ここからは動けぬけれど太陽への近づき方は誰より知ってる 

台風が生まれたようだ南から僅かに伝わる気圧の震え

 私も所属する歌誌「心の花」への入会が2013年、二十七歳の時。毎月の誌面で、彼女の新鮮な作品を読むのが楽しみだった。ところが、2017年の暮から、気になる歌が掲載され始める。


CTはまるで大きなタイムマシンうなりを上げて出てきたら今日

もう既に闘っていた吾(あ)の体これから気持ちも一緒に闘う

 マシンがどこかに連れて行ってくれるかと思いきや「出てきたら今日」のユーモア。だが、診断は「ステージⅣの癌」だった。二首目、体をいたわりつつ、心が合流するような前向きな表現が印象深い。


  2018年、笹本碧は、毎年のように候補になっていた「心の花賞」を受賞した。


月面より呼ばるる心地手術室八に入ったはずの吾だが

点滴機かぽわんかぽわん働いてがんセンターの夜回りゆく

両親が両脇に居てくれることこんなにも親不孝な幸(しあわせ)

 選考委員の一人だった私は、その表現への強い意志に打たれた。未知の体験である手術を月面旅行にたとえたり、点滴機を擬人化してユニークなオノマトペを編み出したり。「親不孝な幸」という絶唱に接したときの衝撃は、今も忘れられない。


 2019年、ホスピスに入院した笹本は、歌集を編みたいと願った。歌の仲間がチームを作り、力を集めて完成させたのが歌集『ここはたしかに 臨時版』だ。届けるときには私も同行させてもらった。一分一秒が貴重な病室で、短歌を通して出会った自分は、短歌の話しかできなかった。好きな歌を指さすと、大きく目を見開いてくれたことを思い出す。その二日後、三十四歳の若さで彼女は天に召された。短歌は、残された者への手紙だ。今年あらためて『ここはたしかに 完全版』(ながらみ書房)が出版された。多くの人に届いてほしい。

(西日本新聞2020年12月4日掲載/題字デザイン・挿画=北村直登)


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