志尊淳が出てくると「志尊!志尊!」と手を振り上げてしまう衝動
私と同年代の周囲の友人らは鈴木亮平氏の太い首に安らぎを感じている一方で(いや私だってそれは感じている)、志尊淳氏の目を見張るような美しさに私は今さら興奮している。
初認識したのは多分、NHK朝の連ドラ「半分、青い。」(2018)あたり。漫画家志望の優しい男の子といった役どころで、どちらかというとフェミニンな印象。ご本人のシュッとした佇まいもあり、また演技力も伴って見事にハマっていた。そのイメージのせいか、その後も比較的柔らかい、または少し気弱な役をされるイメージを持っていた。最近、ご本人が自らコロナ禍に心臓病を患われたことを公表され、家族に遺書を送信していたことをネットニュースで知った。「若いのに大変な思いをされて……」とアラフォーはひとり泣いたりもした。
とはいえそういった記憶も薄れつつあったのだが、Netflixでたまたま現在放送中の「フェルマーの料理」なるドラマが配信されているではないか。
料理が不得意ですぐ腹を下す私は食べ物に強い憧れがあり、料理ジャンルのドラマ・小説・漫画は大好物。どれ拝見しようではないのと見始めた。結果、「2023年我ながらベストデシジョン賞」受賞が決定してしまった。
宝石のような料理の数々もさることながら、志尊淳演じる朝倉海(あさくらかい)という孤高のシェフの存在がすでに煌めきすぎて推せる。はっきりと推せる。
とにかくバンコラン並みに目力がないと成立しないキャラクター。料理について確固たる自信を持つ役なのでそれは当然なのかもしれないが、それにしてもギラギラ感があの大きな瞳からみなぎっているのである。基本的にグッチしか着ないところがまた良い。胸元に「GUCCI」と編み込まれたニットなど着てくれるのでさりげなさは皆無。なのに気品が漏れ出ちゃう志尊ぶり。
ニコニコしたイメージであった志尊淳がほとんど笑わず、笑うときはかなり含みを持って口角を上げてくる。そして私は「志尊!志尊!待ってました!」とひとりリビングで右手を振り上げて絶叫するのである。
ハイトーンのヘアカラーも料理を触る繊細な指使いも宮澤エマ演じる給仕長の寧々を優しく制する時の仕草も完璧。2秒後に注文を忘れるであろう私には永遠にレストラン勤めはできなかろうが、あんなオーナーシェフがいたら勤めるのではなく通う。そう課金に走るしか私にはできない。
ここまで書いてしまうと40代のおばさんが20代の俳優に入れ込んでいるイタキモイ図、なのであろうがやむを得ない。そうであるし、久しく、楽しみなドラマが毎週あるという感覚も忘れていたので今楽しい。長らく理解ができなかった「~ロス」という現象も今なら理解できる。ドラマの放送が終わったあとどうすれば良いのだろう、という今世の心細さ、これがロスなのか。辛い。
とりあえず「幽☆遊☆白書」を楽しみにしちゃうんだろうなという予想しかたたない。志尊淳さん(急に敬称)は蔵馬(くらま)という赤い長髪、赤い学ランを着た少年の役を演じるわけだが、私が小学生の時、この「幽☆遊☆白書」は主にアニメとして一世風靡をしていた。クラスの女子たちは登場人物の中でも特に人気だった「飛影(ひえい)」か「蔵馬」かで、どちらが好きかを決めなければならなかった。私はアニメを見ていなかったが、ビジュアルで圧倒的に蔵馬派であり、教室の後ろの黒板に蔵馬の絵を描いて、一時は女子から賞賛されていたことがあった。
時を経てその蔵馬を志尊淳さんが演じるというのだから、生きてみるものである。勝手に「私には先見の明があった(?)」と自信を持ってしまった。
ちなみにここで混乱してしまうのが好きな俳優が演じている役が好きなのか、はたまた演じている俳優が好きなのか、ということである。けれどもそれは無粋な問いに思えてきた。両方、としか言いようがないのである。「スカーレット・ピンパーネル」で礼真琴さんが演じたショーブランが好きなのか、礼真琴本人が好きなのか、と問われて即答できる人間などいるはずがないと思う。その奇跡それ自体を愛している……としか言いようがないのだ。
志尊淳さんの素晴らしさを形容するには言葉が足りないし、かといってまだまだ書いていたい気もするがここらへんにしておこうと思う。今私が欲しているのは恋愛うんぬんではなくて、自分自身に縁がない絶対的な場所で起こる、自分自身が感じたことのあるまたは感情移入できる人間の苦悩なのである。かといってリアルすぎると苦しいので、志尊淳くらい圧倒的だと現実離れ感がちょうど良い。
実生活において一度は死の淵を体験した俳優のすさまじさなのか、なんてそんなことを軽々しく結び付けてくる一般人のブログなどどうでも良い。
ただただ推せる俳優に出会ってしまった、なんだかんだ書いているが要は「めちゃかっこいいな☆」と思った、という話でした。
また書きます、と書くことで自分を鼓舞。