アフリカの旅 ② マリ共和国(再投稿)
アフリカ諸国へは、ジンバブエを皮切りに、マリ、セネガル、ケニアと4ヶ国を旅しました。
どれも貴重な旅でしたが、マリでは素晴らしいガイドとの出会いにより、興味深い体験をすることができました。
西アフリカのマリ共和国の旅
マリへ旅したのは20年以上は前の事。
首都のバマコから車でジェンネ、モプティ、トゥンブクトゥという街を巡る計画を立て、まずジェンネへ向かいました。ジェンネには有名な 泥のモスク があって、その前には大きな市が立ちます。すごい人でした。それを詠んだのがこの句です。
炎天下 泥のモスクに市が立つ
この街ではマリの家庭料理をいただきました。観光客用のレストランが割高なのにおいしくなく辟易していたので、マリ人のガイドに「ジンバブエでは家庭料理がうまかったな、そういうのないかな」と持ちかけていたのです。
彼の力添えで、地元の家庭にお邪魔して料理を食べることができました。
四角く、まわりに泥を塗ったような家で上が平。階段でそこへ上がって食べました。大皿の料理を皆で囲んで手で食べます。おかずは主に魚です。おそらく川魚でしょう。とてもおいしかった。
食事の後、皆へ何か一言欲しいとガイドさんに言われ、たどたどしい英語で「お招きいただきありがとうございます。皆様のおかげで、まずくて高い料理を食べずに済んだ。とてもおいしかった。感謝します。」と言い、ガイドさんが訳してくれました。
次の日は一路モプティへ。モプティは、ニジェール川 の河港に沢山の舟が泊まり、荷物の積み下ろしをしていて、岸辺には巨大な岩塩が積まれていました。それを詠んだのがこの句です。
舟こぞる岸に岩塩大河の暑
本当に沢山の舟で、正に "こぞる" といった感じです。艀が沢山泊まった昔の日本の港に似ているかもしれません。
日本の艀についての記事がありました↓
ここから舟に乗ってトゥンブクトゥを目指すと聞かされました。その方が車より早いと。
疲れて体調がすぐれなかった僕は無理をせず、トゥンブクトゥは諦め、ここに留まる事にしました。そんな僕を励まそうと、ガイドさんは短時間のニジェール川のクルーズを行ってくれました。なぜか舟の上で立って写真を撮ろうという事になり、僕とガイドさんがそれぞれ立ち上がって写っています。このガイドさんは本当に素晴らしい人で、この人のおかげで良い旅になりました。
実はこの旅は、はじまりから一悶着ありました。空港の入国審査で止められてしまったのです。審査官がパスポートをジロジロと見て「おかしい。これではダメだ!」と言うのです。「何がおかしいの?」と訊くと、並んでいた列から外されてしまう。そしてしばらく経つとまた呼ばれ、同じような話。「だから何でだ」と食い下がると、また外される。3度目くらいに「お金を払えばなんとかなる」と言い出した。「いくらだ?」と聞くと、100ドルと。「無理!」と言うとまた外される。どんどん皆通っていく。しばらくして今度は「50ドルならどうだ。」ときたから「無理!」と言うと「では20ドルでは?」と。頭にきたから黙っていると「いくらなら払うんだ!」と言って来たから「もう入れてくれなくていいから、日本へ帰る金をくれ!」と言うと、がっかりしたような呆れたような顔で「行け!」と通してくれました。
そんな事があったから、その後も似たような事がないかと心配だったのだけれど、前述のガイドさんと一緒だと、警官に車を止められても、ガイドさんの顔を見て、なんだお前かという感じでフリーパス。そして行く先々でいろいろな人が親しげに彼に声をかけてくる。僕にからんでくる人がいても、途中でハッと気がついて、離れたところにいるガイドさんを指差して「彼の客?」と聞いてくる。そして「そうだ」と言うと、そそくさと去って行く。彼の客だというだけで、どこでも暖かく迎え入れ、便宜を図ってくれる。でも権力があるとか腕力があるとかそういう感じじゃない。皆に尊敬されているといった様子で全く驚きました。
しかし、当然ながら全ての人が知り合いというわけじゃない。ある時少し離れたところから、警官のような人が高圧的なでかい声でこちらに向けて何か言ってきた。こっちへ来いと手招きしている。何かいちゃもんでもつけられそうな、いやな雰囲気。するとガイドさんはぼそっと「ちょっと戦ってくるぜ」と言い残しスタスタと警官の方へ。ガイドさんは痩せていて小柄、警官はマッチョな大男。まじかよ!と思ったが、近づいて行って何か話しかけている。すると腕組みをして偉そうな姿勢だった警官がどっと大笑いし、2人で何やら楽しそうに会話をしている。しばらくして何事もなかったかのように戻ってきて「行くぞ」と。一体何を話していたんだろう?と今でも不思議です。そんなガイドさんと一緒だったから、旅の間は本当になんの問題もなく助かりました。
このガイドさんの紹介のもと、旅の先々でいろいろな場所を訪れました。鍛冶屋の仕事場・とんぼ玉の専門店・太鼓の工房・イスラム教の導師の庵などです。ジェンベ(西アフリカの太鼓)奏者のレッスンも受けました。貴重な体験ばかりだったと思うのですが、ほとんど予備知識がないまま1人でマリへ行ったので、その価値があまり分からず、記憶も曖昧なのが残念で成りません。便宜をはかってくれたガイドさんにも申し訳なく思います。
順調に進んだ旅ですが、帰りも空港に入るとガイドさんはもういません。また関所がある。教えてもらったバンバラ語で挨拶すると、嬉しそうな顔をして「行け!」と。やった!と思ったが、また関所が。そこも同じ手で通過したが、なんと最後にもう1つ。ここの大柄なおっちゃんは、そんな事では眉ひとつ動かさず、胸ぐらをつかんで脅してくる。入国の時、多分30〜40分程ねばって通してもらった。同じだけねばろうと覚悟を決めて「飛行機行っちゃうよ」と脅かされても動じずにいました。すると入国時の審査官が通りかかり、僕を見るなり声を上げて指差しながら、またやってんのかよとでも言いたげに、訝しげな様子で僕を見ながら去って行きました。そして予定通り30分ねばったら通ることができました。やった!勝った!とその時は思ったけれど、後で考えてみれば僕がマリで出会った警官や役人は根っからの悪人ではないし、何が何でもお金を取ってやるといった感じでもなかった。最後は僕を通してくれたことからも、前のガイドさんと警官とのやりとりからもそう思います。だから僕のような怖いもの知らずの生意気な若者でもなんとか帰ってこれたのだろうと思います。
しかしそれでも旅の間、空港と同じようなやりとりが何度もあったら、大変だったなとつくづく思います。ガイドさんや暖かく向かい入れて下さった方々に感謝したい。いい旅でした。
昔の事で、多少内容が違っていたり、前後している所があるかもしれません。その点はご容赦下さい。
P. S. この旅で見たニジェール川の風景は印象深く、後に風景構成法のワークショップで描いた絵にも如実に影響が現れました。↓
アフリカ諸国の旅
これまでに上げた旅
自己紹介の代わりに