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アフリカの旅 ④ セネガル ①

4度目のアフリカの国への旅は、西アフリカの Senegalセネガルでした。これも少なくとも15年程は前の事。西アフリカの Djembe という太鼓をはじめていて、Djembeジェンベの師・砂川正和さんの師匠 Abdoulaye Diakite (Abdouli Diakite)先生の生まれ育った村タンバクンダ(Tambacounda) に太鼓とダンスと歌を習いに行きました。

YouTube の Abdoulayeアブドゥライ Diakiteジャキテ 先生の映像
場所は Tambacounda だと思われます。


太鼓とダンスを習うツアーに参加して、何人かの仲間といったのですが、僕は皆が帰ってからしばらく残りました。
1人残ると、それまでの教室的雰囲気はなくなり「お前の課題は音色。ちゃんとした音色が出せるまで1人で練習せい。レッスンはそれから」と言われ、黙々と個人練。夕方になると突然ダンスがはじまるが、上手いのから下手くそなのまで色々なドラマーが集まって来て踊りに向かって叩く。誰も教えてくれないし、誰が正しいのかもよくわからないけど、とにかく見よう見まねで叩きました。正直なところ、3日で帰りたくなったが、3日くらいそんな事をしていると、何か自分の音色が聞き取れるようになり、工夫していろいろなフレーズを叩いてみて、自分のどこの音色が濁るなと分かるようになってきた。すると Diakite 先生が来て「さっき叩いていたフレーズを叩いてみろ!」と言うから叩くと、音色に一応のOKが出てレッスン開始。僕とは逆にアメリカ人のツアーより先入りしていたJ君と2人で教えを受けました。
教えてくれるのはDiakite 先生のアルバム「JebeBara」でも演奏している名人 Jongoジョンゴ Drameドラメさんと Mamadouママドゥ Sidibeシディベおうの2人。

アルバム「Jebebara」(The Bamana Djembe)
Abdouli Diakite 先生によると JebeBara は
Djembe の正式名で調和の太鼓という意味だという


YouTube の Mamadou Sidibe 翁の映像
場所は Tambacoundaだと思われます。

2人とも僕と通じる言語はない。とにかくこれを叩けと実践してくれる。若手の Jongo Drameさんは、複雑な長いフレーズを叩いてやってみろとうながす。覚えるだけでも大変だが、少しでも音色が乱れると怒鳴どなられる。Diakite 先生よりも歳上の Mamadou Sidibe 翁は、シンプルだがのりの難しいフレーズばかり。必死で真似ているつもりだが首を振られ、最後はため息。これは止め、と次のフレーズへ。そんなことの繰り返し。
夕方のダンスではある日突然 Diakite 先生から「お前は何を叩いてるんだ!そんなんじゃない!こうだ!」と言われ、その通りに叩くが、少しでも乱れるとまた怒鳴られる。夜には祭りに連れ出され、叩け踊れととにかく実践。
そしてアメリカ人のツアーが到着し、ダンスクラスが始まった初日、朝のクラスに Diakite 先生はじめ、すぐれたドラマーは誰も来ていない。J君の姿もない。1人、あまりあてにならないドラマーが「俺がいるから大丈夫!付いて来い!」と言うが、お前が1番心配なんだよと思いながらダンスに向けて2人で叩いていると、ニヤニヤしながら名人達が到着。怒涛どとうの演奏が始まる。わざとかな?あれも修行のひとつだったのかもしれない。ダンスの先生は、僕らのひどい太鼓でも見事なダンスで皆を導いていて全く驚きました。

緑陰りょくいんにタンバクンダの茶の甘苦かんく

アタヤ(アッタイヤ)

座っている写真はそんな中でもアタヤ(アッタイヤ)というお茶を飲んでくつろいでいるところ。アタヤは茶葉を煮詰めるので大変苦く、それに砂糖をたっぷり入れる、まさに甘苦といったお茶です。なにやら厳しくも優しいレッスンともかさなります。誰かがつくっている所に通りかかると「飲んでけよ」と声がかかる。小さなグラスで皆で回しながら飲むのですが、3番茶まであって、誘われたら最後の茶まで付き合わないと失礼だそう。だから小1時間の休息になります。言葉は通じないが、会話は出来るもので、いろいろ話しながら皆で和やかにすごすひと時でした。お茶にに入れるハーブの匙加減さじかげんが、アタヤを作る人の腕の見せ所だと聞きました。

タンバクンダ

大変なことも多かったけれど、とても良き旅でしでした。


Tambacounda へのツアーを企画して下さった柳田知子さんのHP↓


柳田知子さん翻訳の名著
「アフリカの知恵 癒しの音」について


これまでにあげた外国の旅

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