panpanyaしたくなる
panpanyaが面白すぎるよー。
やっと一つ大仕事が終わりまして、今日は小休憩を午前中だけとって、panpanyaやスーパースターを唄ってやそら頭はでかいです、世界がすこんと入りますを読みながら喫茶店でモーニングを食べて、午後からはせこせこ頑張っておりました。
一日通して、虚脱の雨、童謡の虚無虚無プリンを受け流す。そんな時間でございました。
大仕事は卒業のための論文でして、自然科学分野としては異質なろんぶん出してしまった実感があるため、卒業させていただけるのか少し不安になりながらも、必要なことを反映させた実感はあるため、賢そうな立場にいる人たちにお赦し願いたいと思っている所存でございます。
午後のせこせこは発表資料を作っていたことを指示(りふぁーとぅー)しているのだけれど、その中で昨日提出したろんぶんの間違いにちょこちょこ気づいてしまったりしているから、M1決勝を4分に収めない暗黙の了解みたいな感じで、あとでろんぶんを差し替えさせていただければと思い、締切後のろんぶんも修正しながらのせこせこちまちま時間を過ごしておりました。
文体どおおおしよおおおおおねぇぇええぇ。
切断、接続過剰。ミーム千葉浮上を鎮め給えたもう。
panpanyaの単行本には日記が合間に差し込まれています。淡々としていながら、日記も漫画本体もあまりに綺麗でこれを世の中の知性の教科書にしたいと思えるほどのものです。その知性は喫茶店のトイレの穴の来歴(あの穴は釘によって開けられた上にペーストで埋め立てられた、そういえばトイレットペーパーを挿す場所は複数の素材できており、一方はメッキのある金属、他方はプラスチック・・・)を考慮せざるを得なくさせるようなものでした。他方、川上未映子さんのそら頭はでかいですも、読んだ人の文体に強烈に影響を与える類のものだし、スーパースターを唄ってはエモいもんたーじゅだから、実弾の散乱銃デフォの自分としては、あらゆる面で困ってしまいました。急に千葉ジャーゴンが湧き出てくるほどです。
あー、面白いなぁー。本ってオモロイわぁ。最近の漫画ほんとおもろ過ぎやわ、ミライライフライおもしろすぎるし、みどろも魅力的すぎる。
切り替えて、面白さについて。
先日読者について書きましたが、間違いなく言えることとして、この文章の一番の読者は自分自身です。自分は飽き性です。面白気っけしたものを読んでもその気っけの匂いのキャメル感に飽きてしまうため、さばさばしたものを読みたくなってしまうのだけれど、さばさばしたところでこってりしたものを読みたくなってしまいます。だから一つの主題で複数の文体を使いたくなってくる。ましてや正当化するための文章なんて単数のおちんちんなのだから相対化したいだけの見ぶり、つまり客観「的」のまま千切りしたくなる。
そういや、そんな論文になっちゃってる、やっぱり散乱銃がぼやけたプリズム越しに顔を出しているからそんな自分なんだろうなって今のところ思っています。そんな自分を記述する文体にも飽きちゃうし、もはや一貫してることをした方が変化してるくらいの飽きに襲われ脅かされ驚かされている。
驚きについて。
たまに過去に書いたものを評価されることをきっかけとして読み返すと驚かされる。キレがあって賢そうな文章を書いているなってなんとなく思う。でも、大して賢くなっているわけではないんだから、多分エモくて共通感覚的なことを歯切れ良く書いていたんだろうなって思う。その良さはあるのだけれど、まんまと(自分も読者も)騙されおって(しめしめ)みたいな気分になってくる。なんとなくもう違うよって言葉が漏れ出ちゃいそうになる。
この感覚って何なんだろうって思う。寂しさ?多分言語化されたことがない。どんなに賢くて周りや自分から評価される文章であったことがあるのだとしても、その後はどのようにあるのだろう。多分それはフロイト的な不気味なもので、未知の既知性のようなものなのだろうか。それにしても、この違和感というか寂しさは何なのだろう。便利な理由はたくさん浮かぶよ、例えば今寂しいからその寂しさを投影しているんだとか、読者がいるから他者が存在するそれだけだ(キリッ)とかさ。
でも、自分が自分を捉えるということはやっぱり何なのだろうか、書きながら書いた文章を最初の読者として自分が読むということは一体何なのだろう。さらにはその時に起こっているこのずれは何なのだろう。そのようなあたりでいろんな賢い人がキリッとした答えを出したかもしれないけど、なんにも残ってくれてない。多分なんとなく何かが違うっていう気持ちになってたりして、東風してるのかも。本当に一体何なんやろ。乖離してるみたいな結果にラベルを貼っただけの説明はなしです。便利って長くて1週間でバレちゃうものだし。
困った結局なんやの、それくらいしか大事なことってないのに、それがわからないからpanpanyaしていたい。