白馬の王子を待つんじゃない 馬担いで迎えに行け
部活を始めてみた。
正味なところ、いつ廃部になるともしれない部活だw
なぜかというと『今』必要だと感じているだけだから。
『今』必要な共振をする場、と思っている。
だから先の形は決めていない。
必要な時に集まり、必要な時に解散する。
身軽な感じでいたいと思う。
それぞれの道を往く過程にすぎない、という立ち位置だ。
つい数日前、気付いた事がある。
それは「どこかでぶら下がり意識になっていた」と言う事。
何某かのグループに居るとき、何かを習っているとき。
私は『与えられる』ものだという意識で、待ちの態勢だったんだよね。
それは言い換えると「誰かがどうにかしてくれる」という事だ。
…まだ居たのか、その意識!と自分でも驚いた。
🌕 🌕 🌕
結論からいうと。
「あんたの人生、どうにかできる人間はおらん」のだ。
サポートはできる、時に並走もあるだろう、何かに気づくための配役を担ってはくれる。
だが、スイッチは押せない。
白馬の王子はおらん。
むしろ馬担いで走り出すくらいの気概の方が、人生楽しめるってもんだ。
骨折もまたヨシ。
で。
私が始めた部活もソレである。
協力の意識は持てど、助けの意識は必要ない。
人間は本来、呆れるほど強い。
そうでなけりゃ、こんなに地上でのさばらないよ。
🌕 🌕 🌕
話を戻すと。
力を合わせて頑張るぞ!ではない、という事だ。
歩いているのは、それぞれの道。
互いの姿を認識することで、助けになるヒントはあるだろう。
邁進する姿に感動したら、少なからず起爆剤にもなるだろう。
躓いて俯く姿に自分ができることを発見もするだろう。
相手がいて、初めて気づく自分が居る。
あくまでも、そういう場。
やってくるものを享受する場にはしない。
それはまーったく身にならない、と私の身を持って実証しているからだw
そして私は、この場で見つけたいものがある。
私だからこそ組める、『あなた』を起こす何か。
メニューになるのか、講座になるのか、或いは既存にない形になるのか分からない。
けれど、これまで蓄積してきたものを眠らせたまま墓に行きたくないのだ🪦
未開封で返品みたいなもんじゃないかw
🌕 🌕 🌕
もうここまで来たらさ。
真剣にふざけたいのよ。
真剣にふざけ倒して、すべて笑い飛ばすくらいの度量になりたい。
それには、ぶら下がってちゃ始まらん。
馬担がないと!w
で。
具体的にやることは『お茶会』なんである。
ふざけてるやろ〜www