ミレーの転機【ホロスコープからみる芸術家のひとかけら⑦の2】(ホロスコープ読みは次回)
さて、ミレーの第2弾です。
第1弾はこちら。
いつもは、ネイタルチャートという出生の時のホロスコープから、画家さんの特徴や魅力をお伝えしているのですが、今回は趣向を変えて「ソーラーアーク」という未来予測法から、ミレーの転機について読み解いていきたいと思います。
(未来じゃなくて、調べるのは過去ですけどね!)
ですが、今回は一旦ホロスコープは置いておいて、ミレーの転機についてのみご紹介。
◎ミレーの描くものはどう変わった?
画家には、描くものや手法が大きく変わる時があります。
有名どころでいうとピカソでしょうか。
(青の時代、薔薇色の時代、キュビズム…)
もちろん、ミレーにもいくつかの変化がありまして。
まずは、ざっくりと。
このように、その時々の環境や、それにともなう気持ちの変化とともに変わっていってるんですよね。
といっても、字だけだと「で、結局どう変わったの?」なのではないでしょうか。
なので画像で変遷をたどっていきましょう。
▫️肖像画
▫️歴史画
▫️ロココ風
▫️ロココ風と農民画のはざま
▫️農民画
▫️風景画
ミレーは、手法については積み重ねていった感じで右肩上がりなのですが、描く主題がガラリと変化しているんですよね。
で、次回の記事で、どの時期のホロスコープを読んでいくかというと、
34歳の1848年!
(と、おまけで次の年1849年)
この年は、ミレーにとっても、その時ミレーがいたパリにも、大きく変化があった時です。
《種をまく人》や《晩鐘》に代表される、多くの人が「これぞミレー!」とイメージするような絵が始まったのは、ここがきっかけ。
転機のホロスコープを読むときに、その年にあったことやその人に起きたことを頭にいれておいた方がおもしろいと思ったので、ここから1848年をちょっとご紹介。
では早速〜、ミレーのいた1848年パリに~
「クルクルバビンチョ パペッピポ ヒヤヒヤドキッチョの モーグタン!」
(さてさてこの呪文、知ってる人いらっしゃいますか〜?)
◎1848年って?① ーフランス・パリ
ミレーは、この時代の影響を受けに受けました。
翌月の三月。サロン展に歴史画《バビロン捕囚》と農民を描いた《箕をふるう人》を出品すると、《箕をふるう人》が新政府にお買い上げされ、ここから絵画制作の注文が入るようになります。
ここまで貧乏だったミレー!
降って湧いた大転換期!
やったね、ミレー。
激乱の時代の中、絵描きとして順調な道がみえてきたような年です。
そしてお次は、ミレー個人の転機エピソード。
◎1848年(ちょっと前かも)って?② ーミレー神話エピソード
『101人の画家』より紹介します。
(漫画なので、ちょいちょい解説挟みながらの引用です)
っていうエピソード。
この頃まで、ミレーは生活のために肖像画や歴史画(という名の裸体画)を多く描いていましたが、この一件以来「農民画」を多く生み出すことになるのです。
ただ、ミレーの出生図を見る限り、こんな火の星座みたいな怒り方、方向の決め方をしたのかなぁ?
なんて、占星術読み的には思ってしまったり(笑)。
風の要素の強い人ですしね。
怒るにしても、風的なのではないかと。
また、「ハダカの絵はもう描かん!」問題についても、以下のような見解があります。
うーん、結構、打算的。
と、まあハダカのハナシは置いておいて。
こんな感じで、神話的にも実際の出来後的にも大転換期だったのには変わりありません。
◎ミレーのソーラーアークチャート(1848年)
そーしーてー、
ここでやっとこさホロスコープ!
(お待たせしました!)
じゃーん!
内円がミレーのネイタルチャート(出生図)、外円が1848年ソーラーアークチャートです。
さてさて、ここから何が読み取れるのか?
続きはこちらです。
◇主な参考文献はこちら
『101人の画家』著:視覚デザイン研究所・編:早坂優子
『「農民画家」ミレーの真実』著:井出洋一郎
『ミレーの生涯』著:アルフレッド・サンシィエ 訳:井出洋一郎
『巨匠に教わる絵画の見かた』著:視覚デザイン研究所、早坂 優子
『もっと知りたいミレー 生涯と作品 (アート・ビギナーズ・コレクション) 』著:安井裕雄 監修:高橋明也
※見出し画像《春(ダフニスとクロエ)》(1865) 一部分
↑こちら、国立西洋美術館で見られます。
四季連作のひとつ「春」です。
※画像はArtvee、Wikimedia Commonsより