私たちは相対するものの世界で生きている
10月30日(月)
朝5時台の澄んだ空気の中、愛犬と庭をダッシュして家の陰から畑へ飛びだすと、西の空にある大きな月と目が合った。満月直前の、有明の月というにはあまりにも堂々とした存在感。
背後からは今まさに日が昇ろうとしている。山の木々が遮って、我が家の日の出は少し遅い。木漏れ日と呼ぶには少々強すぎる光が、木々の隙間から差し始めていた。
夕方ならこれを黄昏と言うのだろうが、朝はなんと呼ぶのだろう。朝の黄昏。月と太陽。陰陽がまじり合う。境がなくなる。
私は愛読書のひとつで語られていた、「対極を和する」という話を思い出していた。
陰陽と同様に、「火と水からすべては成り立つ」という考えも古の日本にはあったようで。神社での柏手は手の高さを少しずらし、左手が火「カ」で、右手が水「ミ」。柏手をすると火と水が合わさり、音が出て「カミ」となる――などなど、興味深い話がこの本で語られている。
西に月、東に太陽。
陰と陽に挟まれて、まもなくここに、大いなる神気が満ちる。
そんな気がした、朝の散歩だった。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?