江戸時代の商人は火事のとき真っ先に顧客台帳を守ったそうな
江戸時代の商人は、火事のときまず、金品よりも顧客台帳を最優先に守ったらしい。商売を再開したときのためにも、お得意さんとの繋がりは絶対に失ってはならない大切なものということなのだろう。
うちは商人家系ではないものの、年を重ねるごとに人との繋がりの大切さは身に染みるようになってきた。特に去年父が亡くなったとき。親類やご近所さんのありがたみは痛感した。
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各地でまん延防止等重点措置が頻発していた頃である。葬儀を行うにも、他県の親戚や姉夫婦には頼ることができず、私と母の二人で踏ん張るしかないと絶望しながら夜明けを待った。
だけど母は絶望しながらも、
「とにかく本家だ。本家にさえ伝えれば安心だ」
とうわ言のようにつぶやき、本家に電話をした。
母の言葉の意味はすぐにわかることとなる。連絡を受けた本家のご当主は、すぐさますべての親類に連絡。親類たちは皆、早めの朝食を済ませたあとすぐに駆けつけてくれた。
彼らはすぐに受付や会計などの担当を割り振り、動き始めた。遠い親戚たちに「お知らせ」をしてくれたのもこの親類たちである。おかげで母は喪主として、私は母のサポートと弔問客のお相手に専念することができた。
余談だが、本家のご当主も高齢になってきたので、ぼちぼち息子さんに役目を教えようと思っているらしい。私とは子供の頃に会ったきりなので、まったく顔が思い出せない。
だけど何年かあとには、その息子さんが親類をまとめることになる。世代的には私の代でお世話になる人だ。そう思うと、今からお互いに人となりがわかるように縁を深めておいた方がいいだろう。
こんなこと、20代のときにはまったく考えもしなかったな。
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この前母が、私に1冊の大学ノートをよこした。表には父の葬儀関連の記録であることが書いてある。中を見ると、お悔やみをいただいた方の名前と大まかな住所、金額が書いてあった。
私もこれまでに冠婚葬祭の備忘録はつけていたが、母が私によこしたノートは、とてもわかりやすくまとまっていた。例えば――
叔父1
御見舞い 〇〇円
御霊前 〇〇円
身洗い酒代 〇〇円
四十九日
御仏前 〇〇円
というように、近親者には各家ごとに1ページを使い、あとは親類、隣組や班、父母の同級生、姉や私の同級生、とわかりやすく分類してある。
このノートは母ももちろん使うのだが、私の代になったとき苦労しないようにという、母の気迫がものすごく伝わってきた。
「誰それが亡くなったっていうお知らせ見たら、このノート見て、お父さんのときもらってないか確認ね」
「うん」
「おばあちゃんのときもらったのは私は返すけど、あんだの代になったらもう世代交代だから。返さなくていいと思う。もう付き合いもなくなってくと思うし」
「うん」
「あんだが気にしなきゃいけないのは、お父さんのと私のときの分ね」
「うん。お父さんのときは私の同級生からももらってるしね」
田舎では新聞にしろラジオにしろ、誰が亡くなったか、葬儀の日程は、という情報が大変重要である。
母がよく言う。
「毎月のようにあっちこっちで葬儀があって、お悔やみでお金が飛んでいくけど、こうやってみんなで出すから、葬儀出す家は助かるんだよな。めぐりめぐって、みんな助かるし、みんなで助け合ってんだよな」
私もこの年になってそれを思う。
火事のときには、私も江戸商人のようにこのノートを持って逃げねばなるめえ。
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