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オイテイカナイデ
母は、確実に老いてきていると思う。
家族の太陽のような存在で、陽気の塊だった母。今はできなくなったことが増えて、嘆く。
この前教えたことを忘れる。新しいことを覚えられない、思い出せない――となるから、昔からの自分のやり方に、固執する。
時々だけど、その「時々」が増えてきた。
ただのガンコとは違う。教えた内容だけでなく、「この前教えた」というその出来事自体、欠落したように忘れる。
ああ、始まったのか――。少し血の気が引く。
元嫁ぎ先も含め、こういう現象は何度か覚えがある。私といたのに、私が消されている。
話の筋も、よくズレる。それは昔からだが、そうではないズレ方をしたとき、不安と疎外感に襲われる。
私を見ているのに、見えていない。
母の中に、私がいない。
おいていかないで
ザワザワ ゾワゾワ
おだやかに、冷静に、心を保っているつもりだけど。
おいていかないで
目の前にいるのに、孤独になる。
私を忘れないで。ずっと私のお母さんでいて。
常のものなどない。森羅万象、この世のあらゆるものは、変化し続ける。みんな老いるし、みんな死ぬ。そのことを自覚しないから苦しみが生まれるのだ。――とは、お釈迦様の教え。
いつまでも若いままでいて。変わらずにいて。このままでいて――。そんなふうに思うことが、苦しみを生む。わかっている。でも……
老いていかないで
私をおいて いかないで
ひとりになったら、しっかり家のことを回さなきゃ、という意気込みもあるけど。ひとりになったら、しっかり暮らす自信がないよ……という子供の私もいる。
私は今生で「母」になることは諦めた。
ずっと母の「娘」でいることを選んだ。
老いていく母を「母」という役目から解放しなきゃ、という大人ぶった私と、「マイペースな私のおしりを叩き続けてね」と甘える私がいる。
同じように、母にも相反する存在があるのだろう。なんでもこなせた若い頃の記憶と、できないことが増えていくこれからの自分。
自覚するには時がかかる。
私も母も、迷える衆生だから。
今こそ私の腕の見せどころではないか。できなくなったことばかり数えて嘆く――それはかつての私がやっていたこと。持病に苦しみ、バレーもYOSAKOIもまともに歩くことすらもできなくなった、あの頃の私。
あの頃どうしてほしかったか、思い出せ。
姉は「いよいよ作家をするしかなくなってきたじゃないか」と、私に活力を注いでくれた。おかげで毎年のように入院しても、病室で楽しく小説を書いていた。
あんなふうに、母を落ち込ませない言葉をかけたい。
悶々としながらお風呂から上がった私を、母が呼び止める。
「さっき話してたやり方、もっかい教えて!」
母の記憶から欠落してしまった、「この前教えた」件である。こうやって明るく元気に聞いてくる母を見て、密かにホッとする。素直さがまだある。硬直しきっていない。やわらかい。――いつもの母だ。
母は今、過渡期なのだろう。
「波がある」というやつかもしれない。
まだまだ小さな波ではあるが、いよいよ老いに向かっていることには間違いないだろう。
いつぞやも盛大に物忘れをした母が、激しく嘆き悲しんでいたことがあった。あまりにも落ち込んでいたので心配していたが、ほどなく台所の方から
「びっくりぽんったらびっくりぽん! びっくりぽんったらびっくりぽーん!」
と高らかに歌う陽気な声が聞こえて安堵した。
実はそんなに落ち込んでいないのか。あるいは落ち込んだけどうまく切り替えたのか。はたまた落ち込んでいたことを忘れてしまったのか。
いずれにせよ、10年前の朝ドラ『あさが来た』のセリフを、母がいまだに気に入っていることにびっくりぽんなのである。
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バツイチ独身子供なし
日々のこと。時々物思うこと。 過去の悪口は言いたくない。 関わりも持ちたくない。 意味がなかったとも思いたくない。 ネガティブにもポジティ…
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