怒りと、気付き

私にしてはめちゃくちゃ稀なことなのだが、昨日、カッとして怒ることがあった。
怒るということ自体が生きてきた中で少ない私がである。
しかも、反抗することすら出来なかった母にだ。
夜が明けて、怒りの正体を見つめてみると、そこには幼少期から積み重なった澱があった。

自分の意志を無視されることへの悲しさ
何故自分の心は蔑ろにされるのかという憤り
無視しても良いと思われていることへの失望

自分という“一個人”を蔑ろにされている

それが爆発したのだ。

どうしようもなくなって、友人に頼ってしまったのだけれど、友人に「マントルなんだな」「富士山型なんだね」と言われた。
溜めて溜めて溜めて爆発する火山。
彼女に「必要な怒りだよ」と言ってもらえたのが救いだった。

多分、母は、何故こんなに私が怒っているのか解らないだろう
何故こんなに私が憤っているのか解らないだろう

引き金が今回だっただけで、ずっと私の中で滾っていた怒りが噴き出しただけなのだから

慣れないことをしたから頭が痛いし、しんどいけれど、これで良かったのだ

今回、頼ることが怖くて、申し訳なくて、頼ることができない私が、友人を頼った。
それくらいしんどかったということなのだけれど、頼ってもいいだろうか、と、思えたのが新しい一歩だった。
とても忙しくしていることを知っているし、彼女は本当にすごい人で、色んな人に引っ張りだこな人。
だから、頼るのは申し訳なくて、結局一度送ったLINEを、読まれる前に送信削除したのだけれど。
それなのに、友人は連絡してくれて、わざわざ自分のところに来てくれた。
相談にのってくれた。
すごく心強かったし、嬉しかった。

年末になんて最悪な、と思っていたけれど、これは確かに私には必要な爆発だった。
感情を抑え込みすぎなくてもいいということ
あと、助けを求めてもいいんだということ
これらを気付かせてもらえただけでも私にはプラスだ。

支えてくれる人がいるというのは、こんなにも心強いのだと知った。

怒りの原因については許さないし、私の感情を否定することも許さないけれど。

今回は私にとって、大事な怒りだから、ここに残しておこうと思う。

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